みんな久しぶり~!今回は障がい者の性と愛がテーマだよ。自分が判事ならどんな判決を下すべきか簡単ではないテーマ。ウ·ヨンウは彼らの愛を守りたがっているけど…一緒に考えてみよう~!
韓国語試験期間で記事のアップロードが遅れてすみません; ウ·ヨンウのレビュー、また再開!(笑)
自らを守る力
ミランダの原則
地下鉄に乗って出勤中のウ·ヨンウの前で起きた、警察の被疑者の逮捕とともに10話は始まる。
逮捕された被疑者であり、ウ·ヨンウの依頼人になる人の名前はヤン·ジョンイル。
逮捕理由は “障がい者に対する準強姦”。
簡単じゃない回だって、最初から教えてるよ(笑)
ウ·ヨンウが異議を提起した警察の逮捕過程の中で出てくる “ミランダ原則(MirandaWarning/MirandaRights)”は、映画やドラマでよく出てくる場面だが、実は出来てからそんなに経っていない。
1966年、米国のある裁判で始まった “ミランダ原則” とは、警察や検察が犯罪容疑者を連行する際、逮捕理由と弁護人の助けを受けられる権利、陳述を拒否できる権利などがあることをあらかじめ知らせなければならないということをいう。
あなたは黙秘権を行使することができ、あなたがした発言は法廷で不利に使用される可能性があります。 あなたは弁護人を選任することができ、質問を受けたときに弁護人に代わりに発言させることができます。 弁護人を選任できない場合、国選弁護人が選任されます。 この権利があることを認識しましたか?
米国の告知内容
国ごとに少しずつ差はあるが、普通は上記と似たような内容だ。
この規則が生まれたのは1963年、米国で18歳の少女に性的暴行を加えた疑いで逮捕された犯罪者エルネスト·ミランダ(ErnestoMiranda,1941~1976)のためだ。
当時、警察は目撃者の供述に従って車両のナンバープレートを追跡して容疑者のミランダを逮捕し、被害者もミランダを犯人と名指しした後、ミランダの自白まで得た。
ありふれた性犯罪事件になりうるこの事件は、当時、国選弁護人が犯罪の核心証拠だった自白の無効性を主張して控訴し、1966年、 “容疑者の権利を十分に知らない状態で受け取った自白は証拠として認められない” という米国連邦最高裁の最終判決により、今私たちが知っている “ミランダの原則” が生まれた。
罪のない人が犯人として犠牲になる可能性を最小化するために、自白に依存する捜査よりも、証拠収集に注力しろという意味の判決だった。
その目的が重要であっても、必要な手続きを欠かさず慎重にしろという意味!
最高裁で無罪判決を受けたが、新たな証人と目撃者の供述により、ミランダは10年の刑を言い渡されてから6年ぶりに仮釈放され出所。
自分が “ミランダの原則” のミランダであることを誇らしげに騒いでいた彼は、1976年、ある賭博場で喧嘩になって刃物で刺されて死亡した。
容疑者は逮捕されたが、ミランダの原則の黙秘権を行使した後、証拠不十分で釈放され、メキシコに逃走したというイソップ寓話のような話。
ミランダの原則を活かして逃げることになったミランダ殺害犯… (ㅡ,.ㅡ)
ちなみにぺコムがおすすめする有名な脱獄映画『ショーシャンクの空に』の後半のシーンを見ると、警察が悪党を逮捕する際に、手帳を見ながらミランダの原則をたどたどしく読み上げながら話す場面が出てくる。
この映画の背景が1966年なので、ミランダの原則ができてから数ヶ月しか経っていない時期だったことを示す隠れたディテールだ(笑)
ミランダの原則が出てきた理由
では、あえてなくてもよさそうだった地下鉄の逮捕シーンが、なぜ最初のシーンだったのかを考え直してみよう。
第10話の核心テーマが障がい者の愛と性的自己決定権。
簡単に表現すれば “自らでどれだけ状況判断が可能か?” だ。
本当の愛だと主張する被害者の意見は障がいがあるという理由で排除され、保護者の母親と検事が2人の関係についてすでに感情的な判決を下している状況。
誰が見ても犯罪者のような行動をするヤン·ジョンイルの分別のない姿と態度まで加わると、2人の愛に対する真実かどうかは消え、性的自己決定権という単語より、性的暴行とツバメ(浮気者を呼ぶ俗語)という単語だけが強調されて見える。
当事者2人が本当の愛だと叫ぶ “自白” は何の役にも立たない。
悪い男ヤン·ジョンイルと知的障がいを持ったシン·ヘヨンの真心を証明する方法は何があるだろうか?
愛という感情に対する真心を裁判所はどんな “証拠” で判断するだろうか?
最終判決が無罪であれ有罪であれ、証拠はなさそうなこの事件に当事者の自白さえ排除されれば、2人を守る方法は?
自らを守れない力がないから保護者と法が必要なのだろうが、法と保護者がむしろ自分たちの選択権を守れなくする状況だ。
自白よりは証拠に頼って黙秘権のような法の安定装置を通じて、自らを守ることができるミランダの原則と対比される2人の境遇は、法がすべての状況に万能ではないということを示しているのだ。
ミランダの原則がミランダの殺害犯を保護してくれたように、障がい者を保護するために作られた法律が障がい者の選択権を保護できない現実の中の矛盾。
ウ·ヨンウとシン·ヘヨンを比較しても、どこまでの障がいを “自らを守る力” がない段階と区分するかは決して容易なことではないからだ。
性的自己決定権
愛か犯罪か
作家とスタッフは本当に難しくて敏感な問題を持ってきた。 “性的自己決定権“。
性的自己決定権は性的行動を自ら判断して選択し行動する権利のことだが、10話の全体的な流れは9話の内容とつながっている。
9話でバン・グポンの行動が “拉致か児童保護か?” が分かる方法は、バン・グポンの真心が何かによって変わる回であり、10話のヤン·ジョンイルも本人は心からシン·ヘヨンを愛したと主張しているので “愛か犯罪か?” に対する唯一の答えは “真心” だけなのだ。
もう1つの共通した脈絡は、保護者(バン・グポン、シン·ヘヨンの母親)がどんな対象(子ども、シン·ヘヨン)を保護しようとする利益と保護を受ける当事者である子どもと知的障がい者が、自分の声を主体的に出せるかという質問が共通して出ていることだ。
障がい者たちの愛ということだけでも実は非障がい者たちが普段考えにくいテーマだが、作家は性犯罪まで連結してさらに複雑な状況を作っておいた。悩みの種が多くならざるを得ない回だㅠㅠ
視聴者のこのような悩みを予想したのか、製作陣は簡単に判断できる設定を作ってくれた。
ヤン·ジョンイルが悪質な犯罪者だという認識を与えるため、障がい者コミュニティに意図的に加入し、シン·ヘヨン名義のクレジットカードを発行した後、お金を沢山使わせて、この2つのタイプの行動を他の被害者に対しても繰り返しているという点を示した。
分別のない単純なツバメではなく、これくらいなら本当に”悪い男”という合図だろう。
しかし、悪い男が必ずしも犯罪者であるわけでもなく、たとえヤン·ジョンイルが悪い意図だったとしても、シン·ヘヨンだけは本気だとしたら、それはまたどう考えるべきだろうか?
この出会いは愛なのか犯罪なのか?
そのため「障がい者にも悪い男と恋に落ちる自由はありませんか?」というウ·ヨンウの発言も十分共感でき、裁判後、ウ·ヨンウに「うちの子の障がいと、あなたの障がいが同じように見えるか?」と怒るシン·ヘヨンの母親の心情も十分共感するしかない。
厳しい世の中から自分の娘を守るために一人で孤軍奮闘してきた経験から出た発言だろうからㅠㅠ
こうやって整理してみると、ヤン·ジョンイルが悪い男という信号は視聴者を簡単にしようとするのではなく、さらに難しくした設定のようだ(笑)
チェ·スヨンの合コンとワンナイトの意味
裁判中、精神科医は愛したい、愛されたいという知的障がい者の欲求について言及した。
ヤン·ジョンイルが悪い男であることは知っているが、それでも好きだというシン·ヘヨンの心は、母親の憂慮や世の中の偏見と関係なく、愛で正しいのではないかとも思う。
そして検事はシン·ヘヨンに「愛は何だと思いますか?」と質問するが、どこまでが愛で、どこからが犯罪なのか、シン·ヘヨンの心は “愛ではない” と第3者が定義できるのだろうか?
しかし精神科医は知的障がい者に対して「不純な目的を持った接近を愛情と勘違いする場合が多く、不当な関係を区別できる力が弱いため性的自己決定権があるとは見難い」と警告も。
医師の発言を考えてみると、重くて慎重なテーマの今回の回に、チェ·スヨンの彷徨と合コンがなぜしきりに登場したのかについての説明になりそうだ。
合コン相手が気に入らなくて席を離れクラブに向かうチェ·スヨンのように “拒絶と選択” ができる非障がい者とは違い、ヤン·ジョンイルが自分のカードを使ったり望まない夜の営みを要求しても、愛という言葉1つで許さなければならなかったシン·ヘヨンの立場は違うかもしれないということを比較してくれる演出だと思う。
チェ·スヨンがクラブで会った男と一夜を過ごしても誰も不思議に思わないが、シン·ヘヨンは障がい者という理由だけで自分の愛について両親と社会に許可を得なければならない状況を見せながら、”自己決定権“に対する私たちの考えを聞いているのだ。
裁判の結果と実際の事件
10話の内容もまた実際の事件だ。実話が土台だからか、スタッフがすごく力を入れて慎重な構成を盛り込んだと思う。
初めて今回を見る時は集中力が途切れるくらいに、なぜしきりにチェ·スヨンの彷徨を見せるのかとも思ったし、ウ·ヨンウカップルの甘い話も真剣な雰囲気にあまり合わないのではないかとも思った。
作家と製作陣の深い意図は私のようにつまらない人は分からないことだった(笑)
シン·ヘヨンの望みとは裏腹に、ヤン·ジョンイルには懲役2年の判決が下された。
実際、弁護士の意見は刑事法的観点からは故意に障がい者を狙って接近したと見られる状況なので有罪と判断する設定ではあるが、懲役2年は思ったより強い量刑だそうだ。
これは他の被害者たちに繰り返されたパターンとヤン·ジョンイルの反省しない態度が量刑に影響を与えたという予想だった。
いくら愛が本気だったとしても法律をあまりにも怖がらなかった(笑)
ヤン·ジョンイルは誰が見ても “悪い” 男に見えたが、どこかすっきりとした判決ではなかった。
この裁判の本質は “愛する権利” だから。
人の善悪を離れて当事者が障がい者だという理由で、シン·ヘヨンの意見が黙殺された裁判だったので、気が引ける判決だった。すべてが他人による判断だけで解釈された裁判というか。
実際の事件の弁護士が後で言ったインタビューの発言がしきりに思い出される。
최소 피해자”만”은 진실된 관계라고 생각했던 것 같다.
弁護士のインタビューより
少なくとも被害者”だけ“は真実の関係だと思っていたようだ。
ヤンモバとヘモバ ハングルの略語
チャットアプリのディテール
ヤン·ジョンイルとシン·ヘヨンがお互いを呼ぶ愛称ヤンモバとヘモバ。
양모바 : 양정일 밖에 모르는 바보
ヤンモバ:ヤン・ジョンイルしか知らないバカ
혜모바 : 신혜영 밖에 모르는 바보
ヘモバ:シン・ヘヨンしか知らないバカ
ウ・ヨンウの指摘のように、統一性を出すにはヘモバよりはシン・ヘヨンのシンモバが正しいだろう(笑)
最初はただの若いカップル?だからお互いの愛称を作って呼び合っていただけと思って通り過ぎたが、2人が会話をしたアプリは単なるチャットアプリではないと思う。
日本には国民アプリ “LINE” があり、韓国には “KAKAO TALK” があるが、スタッフはなぜあえて新しいチャットアプリ画面を用意したのか?
2話で登場する新婦のキム·ファヨンのコミュニティニックネームをレズビアン宇宙飛行士サリー·ライドとして用意したほどの緻密なスタッフなのにそんなはずがない。
ピンク色のメインカラーは “ヨボヤ(여보야)”、“チャギヤ(자기야)” というデートチャットアプリを参考にしたものと見られ、ハート型のロゴは “チャギヤ” という結婚マッチングアプリにより似ている。
どちらのアプリも、ラインやカカオトークのような日常的な会話よりは、積極的な出会いのためのアプリという共通点がある。
精神科医の発言のように障がい者のシン·ヘヨンも恋をしたいので、本人が直接アプリを選んだのか、ヤン·ジョンイルが元々悪い男だったので、自分が主に利用していたアプリを使うことを強要したのかは分からないが、明らかなのはデートアプリ自体が一般人が大衆的に使うアプリではないということ。
ドラマでは “恋人たちのアプリ” とだけ紹介されていたよ。
韓国人がYoutubeを見ていると、特によく出てくる広告がいくつかあるが、その中の1つが結婚アプリ “ヨボヤ” だ。
おはるは普段、韓国語の勉強のために韓国のニュース局のチャンネルをよく視聴しているが、去年だったかな?繰り返し広告に洗脳されたおはるが私に聞いたことがある。
「ヨボヤのアプリ、あれ良い?」って(笑)
私は険しい世の中でどんな人に会うことになるか分からないから、どうしてそんなことを言うんだ~!と答えた(笑)
ランダムチャット、ランダムマッチング、デートアプリシステムというのは基本的には非常に希薄な確率を狙うものだから。
時代遅れの考えかもしれないし、すべてのアプリがそういうわけではないが、
「悪い目的を持った人がいるかもしれないし、自分が足りない人でなければ、なぜあえてそのような方法が必要なの?」と尋ねたその日の会話を思い出した。
そして思い浮かぶ今回のエピソードのヤン·ジョンイルとシン·ヘヨン。
ウ·ヨンウは障がいがあっても社会生活を通じて自然にイ·ジュノとの愛を育んでいたが、シン·ヘヨンにはそのような機会がなかったのではないか。
おはるに言った良い人に会えるその “希薄な確率” でも、シン·ヘヨンには切実だったことを示す設定ではないかと推測してみる理由。
ヨボヤの広告はYouTubeに本当にたくさん出て韓国人にイライラする広告で有名(笑) 次はウ・ヨンウとイ・ジュノカップルの初キスが待ってる~!ドキドキするぅ~!(笑)
おまけ★ハングルの略語まとめ
今回は2人の主人公から特に略語の表現がたくさん出てきて一度整理してみた。
뜨밤(トゥバm)= 뜨거운 밤
熱い夜=ラブラブな夜
<似ている表現>
불금(ブルグm)=불태우는 금요일
燃える金曜日→日本語の“華金(華の金曜日)”と同義。金曜日の夜だから最後まで燃え尽きるほど楽しく遊ぶための新造語。
먹튀(モkティ)=먹고 튀다
食べて走る=食い逃げする
トン・グラミが、ウ·ヨンウが告白されて逃げた場面を表現する時に使ったが、利益だけ得て逃げるという表現。高年俸のスポーツ選手が負傷や実力低下で年俸の価値がない場合、よく使っていた表現がより広い意味で使われている。最近は食堂やお店で、言葉通り食べて逃げることも多く、ニュースにもよく登場する単語。
それ以外にも、ウ·ヨンウが説明したように、ほとんど長い単語や文章を短くして歌う表現が多い!
코노(コノ)=코인 노래방(コイン ノレバン)
500ウォン玉を入れて歌うカラオケ、学生に人気。
오저치고(オジョチゴ)=오늘 저녁 치킨 고(オヌル ジョニョk チキン ゴ(GO))
今日の夜チキン食べに行こう!
수주비(スジュビ)=수줍다(スジュpタ)수주+パッチムのㅂに母音ㅣを付けた表現
恥ずかしいの意
<似ている表現>
もったいない時は아깝다(アカpタ)を 아까비(アカビ)とよく表現して使う
パッチムㅂがある場合~~비として使う
찐 사랑(ヂン サラン)=진짜 사랑(チンチャ サラン)
本当の愛の意。진짜(チンチャ)を強く発音して찐(ヂン)と呼ぶ
바학(バハク)=바리스타 학원(バリスタ ハグォン)
バリスタの塾のこと。
韓国では略語は日常的なので、ウ·ヨンウが “バハク” の意味を探す時、クジラが登場したことに疑問を抱いた韓国人が多かった。クジラが登場するほどの状況じゃないんじゃない~?って(笑) 他の回に比べてかなり弱いという意見だった(笑)