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韓国にはなぜアパートが多い? 韓国のアパートの歴史

韓国文化と生活

ペコム
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ソウル江南シリーズ3回目、今日は外国と韓国のアパート文化の違いについてお話しする。 韓国にアパートがなぜ多いのか、その始まりを調べてみよう~!

おはる
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初期に韓国人に人気がなかった理由が珍しいよ~(笑)江南シリーズの1・2をまだ読んでいらっしゃらない方はそちらから読んでいただくと、理解しやすいです♥

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韓国型大規模アパートの登場

ソウル松坡区蚕室(ソンパグ·チャムシル)ロッテワールドタワー周辺の様子
出典:시사저널

韓国の都市の姿を思い浮かべた時に、上の写真のような似たような形の数多くのアパートが思い浮かぶと思う。

韓国最初のアパートはソウルの西大門区忠正路にある”忠正アパート(충정 아파트)”で、日本統治時代だった1930年代に建てられ、今でも存在する最高齢アパートでもある。

当時、日本人建築家の名前にちなんで “トヨタアパート” と呼ばれたこのアパートは、今では各種映画やドラマの背景としてよく利用されている。

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ソウルを通りすぎるときに、道路沿いに古くて野暮ったい緑の建物が見えたら「あ、この建物!」と気づくだろう。歴史性の問題で撤去できずにいる。

韓国初、最高齢マンション“忠正アパート”
出典:주간기쁜소식.

本格的な韓国型アパート文化の始まりは、1970年代のソウル江南の開発と共にする。

それ以前はソウルの中心地である江北を中心にアパートが建てられていたが、広い土地があまりなく、今の姿のような大規模アパート団地造成が難しかった。

しかし1970年代の江南(カンナム)は、農業をしていた “何もない原野” だったから大規模団地造成が可能だったのだ。

ペコム
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韓国では〇〇アパートに住んでいる~とか、〇〇アパートの〇〇団地に住んでいる、という表現もよく使うほど大規模な団地が多い。〇〇アパート1団地、2団地、〇〇アパート1次、2次、3次、こんなふうによく使う。

1971年、江南区論硯洞(カンナムグ·ノンヒョンドン)に建てられた公務員マンション
出典:강남구청

前の江南シリーズの記事で紹介したように、ソウルの人口増加が爆発的で、600年間首都だったソウルの江北地域は飽和状態だったので江南への人口分散は急がれていた。

新しく開発される江南の限られた面積に、ソウルに押し寄せる人口問題を解決するために、大団地 “アパート” は非常に効率的な方法だったのだ。

そのように江南には同じ時期にものすごい数のアパート団地が出来始めた。

本格的な “韓国型アパート団地” の登場。

1973年に建てられたソウル江南区盤浦(カンナムグ·バンポ)住公マンション団地
出典:경향신문

韓国にアパートが多い理由

日本と韓国の地形比較

朝鮮半島と日本の3D地形地図
出典:뉴스낵

あえてソウルの江南の開発でなくても、韓国のアパート文化は必須だったかもしれない。

日本は国土面積のうち山地の割合が高いが、韓国の場合も全体面積の約71%以上が山地になっていて、割合だけでは日本とほぼ同じ。

でも、北海道と同じくらいの大きさの韓国の国土面積に、北海道の人口の10倍の5,000万人が住んでいるという点を考えると人口密度が想像できるだろう。

韓国と日本の面積比較(地図の青の枠が韓国の面積)
出典:국민일보

そして韓国には日本の関東平野のような大規模の平野地帯がほとんどないという部分を考えると、平地の広い韓国の首都圏地域(ソウル・仁川・京畿道)とソウルにすべてが集まる理由が分かる。

ペコム
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一言で言えば、人口は多いのに土地が狭い! (笑)

韓国の首都圏(ソウル市、仁川市、京畿道)

2018年の各市道別人口自然増加現況(出生者と死亡者 ソウル、仁川、京畿道のみ増加・赤)
出典:한국일보

韓国で東京の関東平野と似たような役割をするところが、韓国の “首都圏” と呼ばれる地域だ。

首都ソウル特別市、ソウルの隣の仁川広域市、ソウルと仁川を取り囲む京畿道を合わせて首都圏と呼ぶ。

国土全体の12%を占める首都圏の面積に総人口50.3%、青年人口55%、雇用数50.5%、1000大企業86.9%、クレジットカード使用額75.6%。住宅価格は非首都圏対比3倍。

これくらいなら韓国のすべてが集中しているところと言える。

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首都ソウルは朝鮮半島全体を見ると良い位置だが、北朝鮮とわずか50kmの距離の場所に全てが集中していて、現在は首都の位置として良い場所ではないㅠㅠ

主要指標別の首都圏と非都圏の割合の差(横:左から 項目、首都圏、非首都圏 縦:上から 面積、人口、就業者数、事業体数)
出典:기계신문

人口など全てが集中しているので、狭い面積に垂直に住居空間を積み上げるアパート文化は非常に効率的で必須だった。

このような集中現象は今も進行中で、首都圏人口は依然として増加しているが、土地の面積は限界があるのでアパートが全てを解決できずにいる。

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日本の植民地時代と朝鮮戦争を通じてすべてが廃墟となった状態で、急速に経済発展を成し遂げるには、”動線の効率性”も非常に重要だったので、首都圏集中現象は仕方ない部分でもある。全地域を均等に発展させる余裕がなかったからㅠㅠ

年度別韓国の首都圏人口(赤)と非首都圏人口(緑)@統計庁資料
出典:헤이뉴스

韓国のアパート文化

日本(外国)と韓国の認識の違い

韓国人が住んでいる住居空間方式を外国人に説明する時、認識の差が大きい部分がまさに “アパート” だ。

普通、韓国では居住形態をアパートとビラ、一般個人住宅くらいに区分しているが、これを外国人に説明するのが難しい。

前述したように、狭い面積を活用して垂直に同じ形の家を積む構造のアパートは非常に効率的で経済的で、外国では主に国家が貧しい国民に “賃貸” する用途で使われてきたため、韓国との認識の差が大きい。

特に冷戦時代、共産主義国家が多く活用した方式だから認識がさらに良くないのだ。

旧ソ連時代に建てられたロシアの大規模アパート団地の様子(韓国と非常に似ている姿)
出典:클리앙

アパートが始まった西洋ではアパート(apartment)とコンドミニアム(condo,condominium)などと呼ばれるこの構造を、庶民や貧民層の居住用途として認識している理由でもある。

日本も若干似たような認識だと思うが、欧米人に対して韓国人はほとんどアパートに住んでいるというと、「韓国には貧しい人が多いの?」という反応が出るほど(笑)

今は地価が高くなってしまった米ニューヨークの貧民街のアパート
出典:머니그라운드

韓国のアパートも最初は同じように始まった。

1960年代に入って人口が急増すると、政府の立場では1ヵ所に多くの世帯が居住可能で、建設費が比較的安いアパートが希望に見えた。

1960年代末、ソウルの板子村(山の尾根に位置する庶民住居地域)をなくすようにという朴正熙(パク·チョンヒ)大統領の指示で、市民向けアパートを大量に供給し始めた。

大規模工事をあまりにも急いだため手抜き工事が続き、1970年には結局 “臥牛(ワウ)市民アパート崩壊事故(와우시민아파트 붕괴사고)” という結果を生んだりもした。


※板子村(판자촌):庶民が住んでいるところは主に木の板で作られた家が多いため板子村と呼ぶ

1970年ソウル臥牛市民アパート崩壊事故現場の様子(山の斜面に位置。周辺には庶民の板子村が見える)
出典:조선일보

韓国でもアパートは庶民が住んでいるところ、危険なところだという認識が強くならざるを得なかった。

30人以上が死亡した臥牛アパート崩壊事故以後、緊急安全診断の結果、当時ソウルに建てられた市民アパート434棟のうち、80%を超える349棟が補修が必要だという結果が出たほどだから、当時の韓国のアパートの状態が分かるはずだ。

ペコム
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アパートの名前がよりによってワウ(英語wow~と同じ発音)なので韓国人にはとても長い間記憶に残っている事故ㅠㅠ

臥牛アパート崩壊事故当時の新聞記事
出典:경향신문

朴正熙大統領は当然怒り、ほとんどは撤去されたが、現在唯一残っている当時の “市民アパート” は、今でもソウル南山(ナムサン)に行けば見られる。

韓国人は南山市民アパートと呼ぶ “フェヒョン市民アパート(회현 시민아파트)” は、最近はNetflixドラマ『Sweet Home -俺と世界の絶望-』(2020)の背景にもなったり、各種映画やドラマによく登場する場所だ。

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この時期までのアパートは、主に庶民のための国家主導の賃貸アパートだったので、他の国と大きく差はなかった。

ソウル南山の下にある”フェヒョン市民アパート”
出典:다음뉴스.

韓国人に人気がなかった理由

庶民アパートという認識に対する部分以外にも、アパートの実際の構造自体が韓国人に人気がなかった。

外国から持ち込まれた方式を真似したため、韓国の床のオンドル文化とは全く合わないラジエーター方式の暖房システムが一番問題だったし、韓国人が一般個人住宅に居住する際に欠かせない部分だった甕台の場所がなかったからだ。

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床が暖かくないし、キムジャンキムチといろいろなジャン類(コチュジャン、味噌、醤油)を保管する場所がないというのは当時の韓国人にはとても不便だった(笑)

甕台にある様々な壺の姿
出典:춘천사람들신문

臥牛市民アパートの崩壊事件以後、朴正熙政府はソウルの板子村の住民たちをソウルの外に移転させる計画を実行した。

“広州大団地事件(광주 대단지 사건)” と呼ばれる計画で、ソウルの無許可の板村に住んでいる市民10万人をソウル南東の京畿道広州郡に移住させる計画だ。

ソウルに二度と戻ってこない」という覚書を書いて移住すれば住宅と働き口を提供するという約束だったが、まともに守られず、1971年に大規模な騒乱が起きた事件だ。

1971年8月に発生した広州大団地の騒乱当時の様子
出典:한국일보

ここは今の京畿道城南市地域で、城南市の旧都心地域に特に丘や山が多い理由が、この時に土地が安い山の近くの地域に人々を追いやり、そこを中心に城南市が発展したためだ。

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ソウルの山の下に住んでいた人たちを、京畿道の山の下に送ったから当然デモをするよ(笑)

1970年代の板子村移住当時の姿と現在の城南市の姿
出典:연합뉴스

韓国型アパート

ただでさえ人気もないのに市民の騒乱まで経験し、政府は再び戦略を変更した。

ソウルの板子村をある程度整理したからという判断かもしれないが、これからは庶民を対象にせず、中産層を狙う戦略。

国主導よりは民間業者主導で、賃貸よりは分譲中心で、最小限の要件だけを備えた西洋式アパートから韓国人が望む韓国型アパートに変わり始めた。

1970年代のアパート よく見るとバルコニー(ベランダ)には壺が見える(笑)
出典:동아일보

当然、床のオンドルシステムは基本で、各家庭ごとに壺を保管できるバルコニー(ベランダ)システムも必須。 そして西洋式のキッチンに水洗トイレまで備え始めた。

オンドル床はホカホカで四方が密閉された構造のため、一般住宅でよく経験する隙間風がなく、寒さが格段と減った。

最近設置中のアパートのオンドル床の構造
出典:대한경제뉴스

また、当時ほとんどの住宅が汲み取り式トイレを使用していたため、水洗式トイレは清潔さの代名詞のような存在だった。

生活環境においてアパートが一般住宅より比較的に優位な立場になり始めたのだ。

ある高層アパートの屋上にある壺の最近の姿(珍しい)
出典:수원뉴스

政府の望み通り、中産層で人気が上昇し、アパートに対する需要は増え始めたが、当時の建設技術では工事も難しく費用も多くかかる山間地域よりは、地価が高い平地に大規模団地造成をしなければならなかった。

江北(カンブク)の地価はすでに高くて、広い土地もなかったから自然に江南の開発は始まった。

そのようにいろいろな要因が合わさって、ソウル江南は “伝説の地” になる準備を始めた。


行こう!江南へ(가자! 강남으로) ”(当時の江南開発キャッチフレーズ)

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この時期、間違って呼んでいたから、韓国では今でもアパートのバルコニーを”ベランダ”と呼ぶ(笑) 今度は本格的な江南不動産の神話について紹介するよ~!

建物の屋根と床によってバルコニー(左)、ベランダ(右上)、テラス(右下) 韓国のアパートのベランダは構造上バルコニーに該当する
出典:이론경제뉴스
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