ギテクの経歴を推測
ビッグマック指数って知ってる?
全世界どこにでもあるマクドナルド!
元祖のアメリカも、寒いロシアも、暑いアフリカにも… 海外旅行に行けばなじみのあるあの黄色いマーク!
全世界の売り場で販売されるビックマックのメニューの値段を物価指数と比較して、国家の購買力の統計に使う経済用語だ。(2017年基準 35,000店)
では… 韓国にあるチキン屋さんの数は…?
2017年基準 約36,000店!
チキン共和国!!!(笑)
もっと恐ろしいことに、1年で約10%ずつ増加しているってこと…
全世界のマクドナルドよりも、全国のコンビニよりも、も~っと多い数を誇っていた韓国のチキン屋さんは、幸か不幸か、減ってきていると言う。
理由は “廃業”
2015年を基点に創業数よりも廃業数が増え始めて…今では安定的?に減ってきている。
そう、主人公のギテク(お父さん)の話。そしてその家族の生活の話。
ギテクの最初の挑戦 チキン屋
逆推理してみよう!
運転手食堂でキジョンが父・ギテクに、ベンツを運転したことがあるか確認するシーンで、ギテクはパレットパーキングのアルバイトが一番直近で、その前は台湾カステラ、そしてその前はチキン屋さんだったと話している。
他の記事で紹介した、映画に出てくるiPhoneの発売年度を見る限り、2018年が現在とすると、2017年下半期何か月間はパレットパーキングで働いていて、2017年中ごろには台湾カステラの廃業をして、2016年初期から韓国で流行った台湾カステラの創業時期まで一致する。
だったら、短くても1年半、長くても3~4年前にチキン屋さんをしていたはずだから…ギテクは韓国のチキン屋さん史上、最盛期の競争時期にオープンしたということになる(笑)
チキン屋さんたちの「チキンゲーム」時代…
もちろん…ギテクの家族は生き残ることが出来なかった…
2015年を基点として創業数を上回る “廃業数” の中のひとつがギテクの店…
でもギテクは諦めなかったようだ。
ちょうど流行りだした2016年のヒットアイテムをちゃんと選んだから。
ギテクの2つ目の挑戦 台湾カステラ
台湾カステラ(대만 카스테라)
手ごろな価格でものすごい量!チキンの故郷、卵の味が深く感じられる!言葉通り、大人気、大ヒット、皆が列を作って並ぶほど、ここが、韓国なのか台湾なのか分からない、そんな時期だった。
久しぶりに家族みんなが笑って過ごせるようになったのに、2016年夏、いきなり殺虫剤卵騒動が起こって…やっと落ち着いてきたと思った11月には鳥インフルエンザが発生…。
突拍子もないこの出来事たちは、卵を主原料とする台湾カステラにはとても致命的で、原材料の価格の急騰により、販売価格の引き上げという結果を招いた。
殺虫剤騒動は検証された卵を使用し、消費者たちの不安を和らげることができたが、安くて人気だったものの価格が上がると、もうこれ以上何のメリットもない「高い卵パン」になっただけ。値段は許してくれないからね。
映画の中で、パク社長の地下室で生活していたクンセは、チュンスク(母)に、なぜ地下室にいるのか説明するシーンで、クンセは「台湾カステラが潰れてから…借金が増えて…」と話す。隠れて聞いていたギテクの表情を見る限り、ギテクもクンセの気持ちが痛い程分かるのだろう…。
同じ時期にオープンしたクンセとギテクの 悪夢の冬は、そうやって始まったのだ。
どんな年よりも寒かった冬を耐え抜き、鳥インフルエンザも卵の価格も、暖かい春風と共に落ち着くかと思った2017年3月…。有名な告発専門テレビ番組に台湾カステラが登場する。
台湾カステラ食用油騒動
“台湾カステラ食用油騒動”
有名な告発番組の内容はこうだった。
*台湾カステラは広告内容にはない食用油がめちゃくちゃ入っている!
*バターが高いから食用油を使っている!
*食用油は良い材料ではない!
案の定、放送後は大騒ぎになった。
食用油のパンを売ってたの?それって消費者詐欺じゃないの?って…
1時間もないその放送は、長い冬を耐え抜いた店主たちの最後の希望さえも奪ってしまった。
*元祖台湾のレシピと一緒だ
*ケーキやパンを作るとき、食用油を使う場合が多い
と…食用油は何の問題もないという業者と専門家たちの反論があったが、
「ケーキを作る方法で作っているのにカステラとして売っているのは国民に対する詐欺だ」という、謎の言い訳の放送を最後に、だんまり…。
あの多かった黄色いお店は、ひとつ…ふたつ…と消えていったのだった。あんなに大量の卵はどっから手に入れたんだろう?ってくらい、短く熱かった台湾カステラのブームは、新しい流行にうもれ、あまりにも簡単に消えてしまった。ギテクには挫折とローンだけ残ったでしょう…
私がギテクだったら、放送局に食用油をかけて燃やしてしまいたいかもれないが、誰もそんなことはしなかったし、誰も彼らを覚えてもいない。
実は、その番組とプロデューサーは、もともと「悪い意味で」有名だった。
「먹거리X파일(グルメXファイル)」という番組で、国民たちの安全を責任とるという美名の下にカメラを向け、何の根拠もない自分たちだけの基準で、色んな業種と売り場を簡単に廃業に追いやる、議論が絶えない番組だった。
マスクパック重金属騒動(2007)も、ラーメンのMSG騒動 (2013)も、ヨーグルト騒動(2015)も、台湾カステラ騒動(2017)も…全部!
根拠も論理もない番組の横暴に、自営業者たちは手も打てずに生活が崩壊していく間、放送業界の新製品を発売したり、広告モデルをするプロデューサーの姿は、あまりにも図々しい悪魔の姿なんじゃないかな?
ギテクの2度の挑戦はそうやって幕を閉じ、計画は計画通りになるものではないと悟り、今では計画を立てない。
クンセはこの頃に地下に住み始めたんだろう。
そうやって2人の男は…韓国の2つの家庭は地下に下りていく。
何が2人を地下に導いたのだろう? 悪魔のプロデューサー?鶏たちの復讐??
あ~もう知らん、全部世の中のせいだ~と、 叫びの声かもしれない。
文系も理数系も卒業後、結局はチキンを揚げなきゃいけない構造の中で、彼らはとっても忠実だっただけ。
良い大学に入るため。良い会社に就職するため。良い大黒柱になるため。毎朝彼らは家を出て…退社はあまりにも早く訪れ、彼らの選択肢は多くなかっただけ。
どれだけ振り返ってみても、これといって間違った人生ではなかったはず。
多様な人生を楽しむ余裕もなく、自己啓発の時間も贅沢だった熾烈な競争の中で前だけ見て走ってきたから、自分だけの技術やノウハウもなく誰でも簡単に始められるフランチャイズの力に頼るようになる。
韓国のチキン屋は店舗を確保してフランチャイズ料を払えば、誰でも簡単に始められる外食産業の代表的な例だよ。国内経済が悪化して再就職が難しくなった場合に、フランチャイズのチキン屋を始めることもよくある。
退職金だけでも開けられるドア、アパートを担保しローンされ組めれば簡単に開けられるドアを開け、そうやって「バミューダの三角地」の中に吸い込まれていくのだ。 入る時は選択だが、出ていくのは難しい。
まるで引退した選手の復帰前のようで華麗な復活を夢見るが、ほとんどが永遠の下り道を経験する。彼らの希望と挑戦の中でお金持ちになるのは本社という名のまた別の悪魔というだけ…。
コーヒーが流行っているからコーヒーを勧め、肉が流行ってるから肉を勧め、世界1位の売り場数のコーヒーの都市はそうやって誕生し、世界1位のサイバー戦士の養成所・ゲーム部屋も同じ。
「オープンを手伝う本社はあるけど、廃業を手伝う本社は見たことない。」
そうしてギテクとグンセは捨てられてしまったのだ。
チャパグリの流行
チャパゲッティの誕生
チャラチャラ~チャ~パゲティ~農心チャパゲティ!
日曜日は私が~チャパゲティ料理人~
韓国人ならみんな知っているあるCMソングの中のお話。
すでに1970年に世界最初のジャジャンラーメンを発売し、色んな種類のジャジャンラーメンを販売したものの、その人気は期待に沿えず…
1984年、農心から発売されたジャジャンラーメン「チャパゲティ(짜파게티)」は、慣習的に呼ばれていた「ジャジャン+ラーメン」の構造から抜け出そうする。「ジャジャン+スパゲッティ」というネーミングで修正された「チャパゲティ」は、中身は何も変わっていなくても、どこか欧米式の名前だからか何だか洗礼された感じがする。
多分これは、私の記憶上、最高のマーケティング成功例のひとつ!
「チャパゲティ(짜파게티)」という名前、そしてその名前を広めるためのCMが大ヒットしたんだ。
今こそ、ジャージャー麺、チャンポンは代表的な庶民のメニューになってしまったが、当時は誕生日や卒業式などの特別な日にだけ食べることができる「スペシャルメニュー」の概念で、そんなジャージャー麺を西洋の雰囲気を醸しながら、若者にアピールし、「日曜日には家族みんなが食べることができるジャージャー麺!」というセリフは「家で簡単に安く外食を味わうことができる」という新しいライフスタイルを提示してくれた。
まあ、大げさにライフスタイルまで?!というかもしれないが、本当に洗脳されるようになる(笑)
“チャラチャラチャチャチャ~~~~チャ~パゲティ~!“
頭から離れないCMソングに洗脳された韓国人たちはそうやって信じ、 「日曜日は私が料理人!(일요일은 내가 요리사!)」と叫ぶCMの息子とお父さんのおかげで、日曜日には家事をしないお母さんが増え、そうやってチャパゲティは大ヒット商品になったのだ。
今もジャージャーラーメンといえばシェア80%以上のチャパゲティ!
その成功は、もちろん、単純なネーミングとマーケティングだけによるものではない。
よく混ざらないジャジャン味のソースの新技術の開発、今も肉だと多くの人が錯覚している肉のふりかけ、他社よりもどこか濃い味に感じる農心だけのノウハウ…彼らの努力があったからこそ成功することができたのだ。
経済が成長して貧しかった時代の思い出になった卒業式のジャージャー麺は、本物のスパゲッティとピザに変わった。
チャパグリの流行を作った少年
ラーメンとジャージャー麺はもうスペシャルメニューじゃなかったから、人はいろんなラーメンを混ぜて食べたりもした。その中で登場したメニューが “チャパグリ” 。
韓国人が好きな辛い味のために、ジャジャンに唐辛子の粉とキムチ、という組み合わせはすでにありきたりで、ラーメンの辛い味を一緒に食べたらどうかということで、色んなラーメンと組み合わせを試し、うどん(インスタント)の麺が太くて外で食べるようなジャージャー麺の感じがでる。
ユヌが最初にチャパグリを作ったわけじゃないけど、本当に美味しそうに食べてたんだよ。番組放送時間も、偶然か日曜日の晩御飯の前!日曜日はなんだったっけ?(笑)
こんな流行のコラボメニューは、映画『パラサイト』を通じて、金持ちは韓牛(高級肉)を入れるという想像力が加わり、全世界で新たな人気を得たのだ。
庶民のレシピを真似するにしても、韓国では一番高い肉の韓牛を追加するアレンジは、小さいけど大きな差を見せてくれた。
「私もこのくらいの量の韓牛なら食べれる」という小さな贅沢を真似するブームも起こった。
そうやって食べ物はお互い出会いすばらしい組み合わせを成し遂げたが、映画の中の人々は馴染むことが出来ず、血の悲劇を作っている。
今となってはラーメンひとつにも差が広がっているのだ。
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