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映画『ユゴ 大統領有故』レベルB “黒い画面の意味” 南山とソルロンタン

映画・ドラマで学ぶ韓国
ペコム
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※注意※

この記事はネタバレを含んでいます。

おはる
おはる

映画『ユゴ 大統領有故』レベルAの記事をまだご覧になっていない方は、そちらを先に読まれることをオススメします!

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「このシーンは削除されました」 黒い画面の意味

削除されたシーンに挿入された当時の映画の画面
出典:카카오티비 씨네플레이

このシーンは2005年1月31日、大韓民国ソウル中央地方裁判所 第50民事部の決定に従い、削除されました。

映画『ユゴ 大統領有故』中 

映画会社とイム·サンス監督は、判決に対する抗議の意味で、削除された分量の時間の間、黒い画面を流し続ける強気の姿勢に出た。 映画の最初と最後の約4分間、ナレーションだけで画面はそのままなので、テロップの状況を知らない観客は、映像が止まったと勘違いしたりもした。

おはる
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「実話です」、「フィクションです」っていうテロップは見たことあるけど、こういうのは初めて見るかも。

ペコム
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制作会社や上映する立場からすると、簡単な選択ではないよね。質問と抗議を沢山受けなきゃいけないから。

双方とも異議を唱えて開かれた1年後の控訴審で裁判所は、映画会社が朴正煕大統領の遺族たちに故人冒涜に対する損害賠償金1億ウォンを支給する代わりに、故人冒涜の程度が深刻ではないので、削除した部分の復元を許可するとのこと。それで、1年6ヶ月ぶりに完全な映画を鑑賞することになったにもかかわらず、双方とも控訴。

結局2008年になって、最終的に損害賠償金1億ウォンは映画会社に返納する代わりに、既存の案内テロップの文言を修正することで合意する “調停判決” で決着。

既存の字幕は「この映画は、実際にあった出来事をモチーフにしています。 しかし、話の細部事項と登場人物の心理描写はすべてフィクションです。」だったが、人々に認識の混乱を与えかねない「実際」の単語は除いて、「想像力」という単語を必ず含めて、映画がフィクションであることを強調しろということだった。

そうして出来上がった2008年以降の最終的な案内テロップの実際の様子は以下の通りである。

出典:티스토리

この映画は歴史のひとつの事件をモチーフにした想像力に基づいています。ほとんどの細部事項と登場人物の心理描写はフィクションです。

映画『ユゴ 大統領有故』中 

今は古い作品なので、ストリーミング業者ごとに違うバージョンかもしれない。上記の過程をふまえて、自身が見る映画が何年度バージョンなのか探してみるのも面白いだろう。

表現の自由と人格権の侵害、創作の自由と名誉毀損の長い戦いは、そうして終わるのかと思ったが、2014年の映画『バトルオーシャン 海上決戦(명량)』から、2021年のドラマ『朝鮮求馬師(조선구마사)』まで、歴史的人物に対する歴史歪曲と名誉毀損論争は、まだまだ進行中。

歴史を簡単に理解し、楽しく学ぶという意味で映像作品を薦めているが、私たちが常に気をつけなければならないのは、「フィクション」は「フィクション」に過ぎないということ。

ペコム
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限られた時間内にはすべての歴史が盛り込まれているわけではないから、常に実際の歴史や根拠に対する再確認作業を通じて比較学習することを忘れてはならないよね。その過程がむしろもっと面白くもあるし。

2021年、歴史歪曲で議論になり放送2回で打ち切りとなったドラマ『朝鮮駆魔師』
出典:부산일보

考証は犬  高木正雄の日本語

敏感な人がこの映画を見ると、居心地が悪い部分がとても多い映画だ。この映画は1979年当時の姿を精巧に再現することに対して、関心がなさそうに見えるほどだからだ。

フランクな席だったという晩餐会のメニューには大きなロブスターがあり、宴会場所は平凡な部屋だったが、床を階段のように積み上げ、ハイアングルのシーンではセットと小物がそのまま感じられ、時代が入り混じった自動車の使用など、この映画は几帳面な歴史的再現というよりは、寓話的な風刺コメディジャンルであることを露骨に表わしている。

映画の中の宴会場所 出典:씨네21

重要な場面のセリフだけをみても、事件当時の裁判記録に忠実になろうとした『KCIA 南山の部長たち』とは全く違うセリフを使っており、監督は記録に依存する「自己検閲」をしたくなかったと話している。

その結果、大きな論争の1つになった朴正煕大統領の日本語使用問題は、日本による植民地時代に青少年期を送り、成人になってからは日本軍に服務した朴正煕の日本語使用が自然なことだと考えたと言う。 実際に日本語をよく使ったという記録もあるし。

朴正熙の日本軍の記録 出典:미디어오늘
当時の民主新聞に掲載された朴正熙の“天皇讃揚血書” 
出典:미디어오늘

風刺のための皮肉と逆説の美学を越えて、自分勝手に見えたりもする監督のこのような演出を通じて、何が言いたかったのだろうか?

日本軍の中尉から光復軍に、朝鮮警備隊の将校が共産主義勢力の「南韓労働党(남한노동당)」に加入し、その後は共産主義者の「赤(빨갱이)」を捕らえる韓国の独裁者になった朴正煕の人生のように、映画全体は矛盾的で逆説的だ。 ある意味「コメディーのような人生」。

※南韓労働党(남한노동당)…光復(1945年)以降、北朝鮮の共産党に従う勢力のこと

ある勢力には救国の英雄、民族復活の英雄と崇められるが、親日人名事典に登録された代表的な‟親日派大統領”のアイロニー。

朴正煕、高木正雄。
そんな彼の人生をからかうように、映画の全ての人物は右往左往、限りなく軽く下品に描かれている。

映画の中だけの歌 「北の宿から」

그때 그사람들(The President's Last Bang) 중 김윤아(자우림) 노래
映画『ユゴ 大統領有故』中、歌手キムユンア(チャウリム)が歌う場面

歌手シム·スボン役の歌手キム·ユナさんは実力派グループ ‟ザウリム(”자우림)” のメインボーカルだ。

映画が始まって、釜馬抗争のドキュメンタリー部分を童話を読むようにナレーションする声の主人公が歌手キム·ユナさん。 独特な声色で、韓国ではそれなりにファン層が厚いグループ “ザウリム” のリーダー。

当時の世相と朴正煕の好みを考慮して、映画では「かなしい酒」と「北の宿から」の2曲の演歌を歌ったが、映画の撮影とは別に録音をしなかったので、映画の正式OSTではこの歌を聞くことができない。

演歌を歌ったという設定だけでも「また」論争だったので、実際に歌手だったシム·スボンさんは論争当時、現場では演歌を歌ったことがないという釈明をしなければならないほどだった。

映画序盤のヘリコプター内のシーンで、朴正煕が「へその下のことは問題にするな」と日本語で言うが、この映画は小さなこと1つ1つまで全てを問題にする映画になってしまった。

へその下の仕事 ‟閣下はさみしい”

ヘリコプターの中の朴正熙の「へその下のことは問題にするな」という言葉は、実は自分に言った言い訳のようなセリフだ。
男の精力に良いとされるオットセイの生殖器である海狗神の輸入中に、鄭総理が盗んだという会話内容だったが、誰よりもへその下の仕事をしていたのが朴正煕本人であるからだ。

映画『ユゴ 大統領有故』中、「へその下」のセリフシーン 出典:더팩트뉴스

映画『KCIA 南山の部長たち』でも、『ユゴ 大統領有故』でもよく出るセリフの1つ「閣下は寂しい」。 これも、朴正熙の乱れた私生活を夫人の陸英修(ユク·ヨンス)が亡くなったせいにする言い訳だ。

このような人物たちの原始的な本性を見せるように、ズボンを脱いだまま電話に出る車室長や、事件直前にも便秘に苦しむ金部長のトイレの姿、家で休んでいた警備員の下着の場面まで…へその下の姿も多く出てくる。 品格はみられない場面。

映画『ユゴ 大統領有故』中 朴正熙の姿 出典:미디어오늘

朴正煕がよく引用したというこの「へそ」の発言は、日本による植民地時代、朝鮮の初代統監だった “伊藤博文” の発言で、原文は「へその下には人格がない(臍下三寸に人格なし)」。

日本の朝鮮侵略の先導者の役割を果たした人ゆえに、韓国では国家的怨讐の1人である人物の発言を平然と口にしていたのだ。大統領のヘリコプターが青瓦台(大統領府)に向かう場面の光化門前にある ‟李舜臣将軍” の銅像を初めて立てた人が朴正煕であることを考えると、彼のアイデンティティと同じくらい面白い場面。 伊藤博文も、日本では好色漢でとても有名だったというから、互いに同質感を感じたのかもしれない。

伊藤博文の死亡当時の日本の新聞の漫画評論 “好色家の最後”
出典:월드투데이뉴스

彩紅使(채홍사) ジュ課長と狂った王 燕山君

ジュ課長と1人の母親のシーンから映画は始まる。朴正煕大統領と一緒に寝た女子大生である自分のの娘が、大統領と持続的な関係を持つことを望んでいる場面だ。

ここからこの映画は一般的でない母親を登場させて、映画全体の流れを予告している。 当時、中央情報部の儀典課長だったチュ課長(実在の人物は朴ソンホ)の主要任務は朴大統領の「彩紅使」の役割だったという。

燕山君時代の採紅使(채홍사)の話が出てくる映画『背徳の王宮(간신)』(2015)のポスター  出典:네이버영화
参考リンク:전자신문

彩紅使(채홍사)、彩紅駿使(채홍준사)と呼ばれるこの職責は、朝鮮時代の “燕山君” の時に生まれて消えた朝鮮時代の官職の名前だ。

朝鮮時代の代表的な狂った王 “燕山君” 。

燕山君の獵色家的行動と色欲は狂気に近く、全国で美しい女性と狩猟用の馬を供給する任務を担うために新設された。 毎日数十~数百人の女性と交流し、在任期間11年間、彩紅使が王に供給した女性の数は1万人と記録されている。


「朴正熙には専任の彩紅使がいた」

韓半島の代表、狂った王 燕山君と朴正煕を結びつけて映画は始まるのだ。

映画『王の男(왕의 남자)』(2005)で燕山君と宦官・金處善の姿 燕山君に直言して、矢に当たり死ぬ。
出典:세종경제뉴스

そうして選ばれてきた女性たちが安家のプールで泳ぎ、”聖恩を着た” 女性の母は “側室” の席を狙って、美貌の女子大生モデルと当時流行った新人女性歌手が大統領の飲み会にいて…。

燕山君に最後の直言をしたとされる宦官・金處善を象徴するように、映画の後半には安家の執事が登場し、観察者としての役割を果たすのも燕山君の行動と似ている。 2人の独裁者の最期は、わたしたちがすでに知っている。

安家執事のシム·サンヒョ役の俳優チョ·サンゴン(左)、ミン·デリョン役の俳優キム·ウンス(右)
出典:카카오티비

南山の捜査技法「朝飯前」と「ソルロンタン」

監督(金部長の主治医)が直接出演して「現政権、このようなやり方では長続きしません」と映画の結末をネタバレしてくれる “親切な” 映画。 本人の健康よりも自分の口臭を嗅ぐ大統領の立場を心配する “優しい” 中央情報部長。

「人間というものは本来、匂いをさせながら生きるものですね」というミン大佐の発言のように、朴正煕政権の口臭を象徴するように、画面は有名な南山の中央情報部へと移ってゆく。

反共法、スパイ罪のフルコース、耳にかければ耳輪、鼻にかければ鼻輪になっていた当時の保安司令部の捜査手法を「朝飯前」と羨ましがる情報部要員だが、彼らがビリヤードをしている南山ではピカソの絵が描かれた花瓶を所有する男が拷問を受けている。

ピカソがスペイン共産党員だった」という理由で。

南山一帯の中央情報部関連建物の位置。現在も建物は残っているところが多く、撤去されたところは歴史観光コースとして活用中。
出典:한겨레21

殴打は基本で、水拷問、電気拷問が行われていた中央情報部の捜査技法もまた、大きな差はなかったのだ。 拷問室でひざまづいている2人の親子が出てきて、母親は依然として愛が何なのか分かるのかと泣き叫ぶが、「沈黙」を条件に道端に捨てられてしまう。

朴正熙と全斗煥の軍事政権、それに先立ち、日本による植民地時代の独立闘士まで含めれば、どれほど多くの国民があのように道に捨てられたことだろうか。どれだけの市民が、拷問や沈黙を強いられたことか。 車で「穏便に」降ろしてくれただけでも、どんなに「幸運」なのかあの親子は知っているだろうか。

二人の親子とチュ課長の映画シーン 出典:오마이뉴스

そのような幸運を得ることができなかった数多くの人々と記録があるからこそ、数十年間、南山は韓国人にとって恐怖の場所だった。

中央情報部の南山、警察の対共捜査部があった南営洞、陸軍保安司令部の西氷庫まで、全てソウルの中心、南山の麓にある龍山(용산)地域に分布していたため、統合して南山と呼ばれる地域の噂は、市民にとって「恐怖の場所」そのものだった。

周辺の誰かが何の知らせもなく姿を消すことが多かった時期だったので、正式に逮捕されれば幸いだったあの時。
永遠に消えるか遺体になって戻ってくるか、運が良ければ身体障害になって帰ってくる人たちの話が韓国映画に特に多く出てくる理由だ。

南営洞 対共分室 南営洞の対空分室5階の窓が狭い理由だ。 関連映画「1987」、「南営東1985」。
出典:YTN뉴

一般の警察官だからといっても、あまり変わらないので、その時代の映画やドラマの中には強制捜査や拷問のような場面がよく出てくるし、周りを見回して「言葉に気をつけて」という台詞もよく登場する。 そしてよく出てくるシーン “ソルロンタン(설렁탕)” 。

米がなくて小麦粉を食べる運動をし、茶碗の大きさを制限していた時期だったので、肉は贅沢だった時代に一般庶民に “肉の味” を提供できる良いメニューの、肉のスープのソルロンタン

スープを作る骨や肉もない場合は牛頭肉クッパ、それもなければただの白菜クッパ。

スープも一緒に飲むと満腹感が出てきて、忙しい時に素早く食べられ、韓国式のおかずを作る余裕がなくても、キムチだけ追加すればいい庶民の代表料理「クッパ(국밥)」。

ソウルの伝統ソルロンタンの美味しい店。 「イ·ムンソルノンタン」
有名なところなので訪問おすすめ(並ばなければならない)。
出典:중앙일보

調査対象を少なくとも飢えさせようと、そのような理由で食べさせたものとみられる。

店は前もって作っておいたスープを入れればいいので調理も早く、配達も簡単で、食べる時も取り分ける器は別途要らないのでスペースも取らず、食べる速度も速く消化にも良い。値段は安いけど、スープでお腹いっぱいになる。

だから警察署のようなところでご飯を “食べさせる時” にはクッパを注文して食べさせていたと思われる。 長い調査の後、警察署を出るや否や食堂に寄ってクッパを食べて帰るケースも多い。

そのような韓国人の慣行は、拷問室や取調室のような場所にも受け継がれ、拷問場所の象徴は南山になり、様々なクッパの中でソルロンタンが公権力の象徴のようなものとなったのだ。

保安司令部顧問室があった「西氷庫分室」の席の銅板。 今は撤去されて銅板のみ
出典:연합뉴스

そのように現在、韓国で使われている言葉の中に、”お前そんなことしてたらソルロンタン食うぞ(너 그러다가 설렁탕 먹는다)“という表現がある。どこかに連れて行かれて取り調べや拷問を受けるかもしれないという警告だ(笑)

政府や政治に対して批判したり、会社の社長をや誰かを非難したり、または批判する時の冗談のようによく言う言葉だが、主に政府や政治、北朝鮮関連の対話の中に使う。

南山に行きたいのか?(남산에 가고 싶냐?)”、“ソルロンタン食べることになるぞ(설렁탕 먹게 된다)” 以外に、もっと強烈な表現で “コロンタン(코렁탕)”もよく使う。

あの時代、拷問を受ける人を逆さに吊して、鼻に水やクッパを入れる拷問技術が有名で、鼻にソルロンタンを入れるという意味で “コッ(鼻:코)+ソルロンタン(설렁탕)” → “コロンタン(코렁탕)”と呼ぶ。今では笑って使う言葉だが、ただ笑ってばかりはいられないコロンタンの由来。

ペコム
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特に韓国の男性のほとんどが軍隊の除隊者なので、軍事機密に関する内容がインターネットに掲載されると、“コロンタン食べたくなければ、削除しろ(코렁탕 먹고 싶지 않으면, 그 글 지워)”のように、韓国の男性がよく使う表現だよ。

映画『南営洞1985(남영동1985)』の水拷問のシーン 出典:이지데이뉴스

本当の起源については、日本の警察の “親子丼” 捜査技法から始まった説が有力だが、家庭で食べた最も一般的な家庭料理を調査対象に食べさせて、親と家族を思い出させ、調査対象の心理を揺らす手法の1つだったという。

韓国ではその技法を発展させて、“親切に” 鼻で食べさせたりもしていたんだ。

「どこのチョさんなの?」、嘘だ

宴会で、朴大統領は女子大生に「どこのチョさん?」と姓の本貫を尋ねるが、何事もなかったかのように「知らない」と答え、「嘘だ(거짓말이야)」という歌を歌っている。

ペコム
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最近ではあまり聞かないけど、昔はよく聞いていたよね。「どこの金さん?」、「どこの朴さん?」って。学縁や地縁を重視するから共通点を探すんだよね。

実際の事件で大統領が本貫を尋ねた人は女性歌手だったとし、女性歌手は本人の本貫をきちんと答え、その日演歌は歌わず、女子大生が歌った歌は「愛してる(사랑해)」というタイトルの歌だった。映画で歌われる「嘘だ(거짓말이야)」は、当時禁止曲だったので一般人は歌えない歌だった。 何1つ実際の歴史とは合わない根本的な考証の混乱。

似ている漢字 ‟公務員の漢字入力ミスで名字本館の種類が15年間で8倍に急増” 出典:조선일보

このように映画は、原則も根本もなかった当時、根本もない人物たちの浅はかな姿だけを見せてくれる。 チュ課長とミン大佐に「民主主義のために自決する気持ちで一緒に行こう」と言った金部長は、緊迫しているのに状況室で眠る無責任な姿で、映画のテーマと言える金部長の決心と過去の場面、そしてその後の姿までも全て即興的で無計画だ。

華やかな大理石の装飾の場所で金庫のお金を渡しながら節約して使えという大統領のセリフのように、「遠くから見るとすべてがコメディのようだ」という監督の意図により、映画『KCIA 南山の部長たち』とは全く違い、金部長の意図と目的には関心なく、映画は結末に向かって走っていく。

金部長の目的 「計画を教えて」

午後7時40分頃、金部長の最初の銃声が鳴り響き、2番目に車警護室長を撃とうとした時、拳銃の激発不良が起こり、車警護室長は大統領を置いてトイレに隠れ、銃声を電気ショートと勘違いした安家の職員が、しばらく全部の電源を切って再度つけ、ミン大佐と部下たちは警護員たちを処理し、海兵隊出身のチュ課長は自分の同期であり友人だった警護処長を撃たなければならなかった。気が気でなかったのか裸足で歩き回って、靴を借りて履く金部長の姿も実際と同じで、そう考えると今回は考証には大きな問題はない。

裁判記録を見ると、パク·ソンホ儀典課長は自分の友人で海兵隊同期のチョン·インヒョン警護処長を撃つ前に「一緒に生きよう」と叫んだという。
出典:네이버영화

違いといえば、「今日は帰れない、あなた、今日はお祈りをたくさんしないと」と電話をかけていたチュ課長が、実際には午後8時20分ごろに帰宅し、息子と妻を妻の実家に行かせて帰ってきた点だが、チュ課長はすでにこの時点で、自分の運命について予感していたようだ。

そしてチュ課長は安家に戻り、現場の2人の女性を帰宅させたが、その時点でそのような任務を果たしている状況ではなかったが、金部長からは本当に何の指示もなかったという。 あれから1時間も経っていないのに、金部長に捨てられたチュ課長の心情は、今の私たちと同じではなかっただろうか?

「計画を教えて」

ミン大佐側の状況も同じで、金部長は決定の瞬間、陸軍本部を選択し、陸軍参謀総長とともに到着した一行が陸軍本部の入口から出入りできずにいたのはむしろ実際のエピソードだ。

米国に連絡するまでもなく、大統領に何ががあった場合、国務総理を継承する権限が憲法に記録されているか、大法典に記録されているかを争う国務委員たちのように、陸軍本部の状況も混乱そのものだった。 その最中、金部長は理由は明らかにせず、戒厳令の宣布だけを主張し、後になって到着した秘書室長が現場で目撃・告発したため、陸軍に逮捕された。 彼が起こした事件の規模に比べてあまりにも虚しいエンディング。

いったい金部長はどんな計画だったのだろうか?

人生は近くで見れば悲劇だが、遠くで見れば喜劇だ

“人生は近くで見ると悲劇だが、遠くからみると喜劇である。だから私は遠くを見ようと努力するのだ” 
チャーリーチャップリン
出典:중앙일보

その間、秘書室長は朴大統領をソウル国軍病院に移し、病院に到着した国務委員らは「私たちの貧しさを克服した閣下」と団体黙祷するが、そんな彼らをあざ笑うかのように、画面には裸の朴正煕が横たわっている。朴正熙の支持勢力たちが1番憤激したシーンだ。

これに先立ち、「金部長また撃つつもりか?」、「すでに一発食らった」などと、見苦しい朴正煕の最期の発言を通じて、最後まで彼らの閣下をからかってきた監督は、「民主主義のために」、「男が歩く道」、「誰でも死んだら腐った臭いごみだ」と言って引き金を引いた金部長も、彼の大げさな発言とは違って、理解できない行動の持ち主として描写している。

保安司令部の西氷庫分室で拷問や調査を受けながらも、「もう世の中は変わった、これからは良くなるだろう」と、状況を把握できない金部長と、彼を見守る保安司令部の全斗煥の後ろ姿を見せながら、映画は終わる。

出典:씨네21

これ以上、自分の口臭が閣下に不便を与えることを心配しなくてもいいが、自分の生命を心配しなければならない境遇になってしまった金部長の最後の姿。 実弾のない陸軍本部の軍人たちと、「ここは部長が完全に掌握している」というミン大佐のセリフのように、結局すべてがコメディのような終わりだ。

裁判中、民主主義に対する熱望を込めた最後の陳述をした金載圭は、革命的民主闘士だったのか、誇大妄想ドン·キホーテだったのか、喜劇になると思った「あの時」、「あの人たち」の話は、韓国人に新しい「悲劇」として近づいていた。

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