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南山にある赤いホテルの話・ソウルダークツアー

ソウル南山 韓国を旅する

ソウル明洞(ミョンドン)から南山(ナムサン)のケーブルカーに乗りに上る道路の周辺には、軍事政権時代に悪名が高かった中央情報部の建物がたくさん残っている。

当時「南山(ナムサン/남산)」と呼ばれていた複数の “調査室” と “拷問室” もあり、この地域が悪名恐怖の対象になっていたのは、実はさらにさかのぼった日本による植民地時代時代からだった。朝鮮総督府と朝鮮統監官邸が南山にあったからだ。

その中でも韓国にとって最も恥辱の歴史であった「韓日併合条約」の認定文書が南山の統監官邸において署名され、大韓帝国は消え、本格的な日本の植民地となった。

1910年(庚戌年)8月29日のこの日を韓国では「国家恥辱の日」、「庚戌年の国恥日」と呼び、「庚戌国恥(경술국치)」の名称で歴史の時間に学ぶ。 試験にもよく出る日付だ。

南山 朝鮮統監官邸の様子
出典:연합뉴스

日本による韓国併合の始まりを作った朝鮮初代統監だった伊藤博文は、1年前の1909年に安重根(アン·ジュングン/안중근)義士に狙撃され、この条約を見ることなく亡くなったが、伊藤博文を追悼するために南山に建てられた祠が彼の名前にちなみ博文寺(박문사)という。

本来は、日本軍との戦闘で亡くなった朝鮮軍を追悼する奨忠壇(장충단)があった場所だったから、そこに日本人の祠を建てるということは、日本の朝鮮民族抹殺政策がどの程度であったかを示す場所でもある。

単に従来の奨忠壇を撤去しただけでなく、朝鮮時代の王の「御真」を祀っていた景福宮 璿源殿(경복궁 선원전)を移設し僧侶の宿所として使用し、慶熙宮の「正門」だった慶熙宮 興化門(경회궁 흥화문)を持ってきて入口に建てたのだ。朝鮮の王宮までも本格的に抹殺されていた時期だ。

博文寺の入口に移された慶熙宮の興化門 
出典:쿠키뉴스

韓国人の立場では幸いなことなのか、1945年の光復(主権回復)以降、誰かの放火により博文寺は全焼し、1967年にその場所に外国から訪問した国家貴賓の宿所である迎賓館(영빈관)を建てて使用していたが、1973年にサムスングループの運営に変わり今の「ソウル新羅ホテル」の始まりだ。

南山の眺望権問題と環境保護問題のため増築も難しく昔ながらのホテルだが、韓国における新羅ホテルが今でもNo1ホテル、最高級ホテルと呼ばれている理由はまさに “迎賓館” だったからなのだ。

迎賓館時代から多くの貴賓や他国の首脳たちが多く泊まったホテルで、今でも多く利用する場所であるが、サービスのサムスンらしく職員たちの応対サービスとおいしい料理で現在でも有名だ。韓国料理と中国料理はナンバーワンという評価だ。

俗に言う “芸能人割引” のようなものは全くないのに、最近の “ソン·ジュンギ、ソン·ヘギョ” カップルをはじめ、“チャン·ドンゴン、コ·ソヨン” カップルなど、トップスターや有名財閥の代表結婚式場として有名な理由もまた同じだ。 実際に、迎賓館時代の場所は一般人の接近が難しく、保安に有利で施設も最高級だという。 もちろん価格も最上級。

新羅ホテルの迎賓館内部の結婚式場 出典:스포츠서울

こうした点が南山を見下ろすと見える赤いホテルが韓国で有名な理由であり、そのホテルに韓国的な建築物が多く残っている理由でもあるし、特に西洋式ホテルの入口にいきなり “朝鮮時代の大きな門” が置かれている理由でもある。

博文寺を建てる時に持ってきた慶熙宮の正門、興化門がそれである。1988年までは実際の興化門があったが、慶熙宮復元のために移転したため、今は複製品が置かれている。

現在の新羅ホテル正門の興化門の姿 出典:오마이뉴스.

韓国旅行で南山に行ったり、ホテルを検索していてこの正門の写真を見つけたら、朝鮮の胸が痛い歴史がある場所だということ思い出してほしい。

南山周辺にはこのような場所がたくさんあるので、南山の散策路の名前の中に “国恥の道(국치길)” というものがある。ソウルダークツアーのコース中ひとつで、標識や案内板の形がすべてハングル子音の “” の形だ。国恥日 “国(국)” の “”、記憶する(기억하다)の “기” の “”。国恥日を忘れずに記憶しておこうという意味が込められている。

「国辱の道(국치길)」の標識と統監官邸跡の案内文 
出典:내 손안에 서울
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