初心者を意味する新造語「~リニ(~린이)」表現は子どもの卑下表現なので使用自制しなければならないー韓国人権委員会
[5月4日、韓国ニュース]
5月5日は韓国の “子どもの日” だよ。なんと2022年は子どもの日が出来て100周年!「韓国人権委員会」でも特別なメッセージを発表したけど、何か理解できないニュースだったので最新ニュース解説の最初のニュースとして選んでみたよ。
韓国の新造語 주린이 부린이 요린이 캠린이…
新造語生産工場 DCインサイド
韓国で使われるほとんどの新造語はインターネットコミュニティで作られる。
その中でも最も代表的なインターネットコミュニティは“DCインサイド(디시인사이드)” 。略して
”ディシ(디시)”と呼ぶ。
2000年代初め、デジタルカメラの情報を共有するために作られた場所だからDC(DigitalCamera)なのだ。
カメラ専門コミュニティが拡大し、インターネット文化が活性化するにつれ、ここは韓国の代表的な “インターネット廃人” たちのたまり場になり、しばらくは日本の2チャンネルや5チャンネルのような、廃人と社会不適応者が集まっているところのイメージだった。
しかし、インターネットの爆発的な成長のおかげで多様な主題の下位カテゴリができ、“さらに狂った人” が集まるカテゴリもできたが、私たちの日常生活と同じようにこの世には正常人が多いため、DCインサイドにも一般人の比率が多くなっているし、外野からの視線もかなり改善された。
かなり改善されたけど、相変らず色眼鏡をかけて否定的に眺める視線が存在するほど一時は本当に悪名高かったよ(笑)
テーマ別にコミュニティがあるが、このコミュニティを “ギャラリー(갤러리)” と呼び、大規模人数のメインギャラリーの数だけで2千個、それより小さい規模は3万個以上のギャラリーが集まっている大韓民国の代表的なコミュニティと考えればいいだろう。まだ実感が湧かない方のために、もう少し説明すると、1日に新しく作成される掲示物の数が100万個以上、1日のコメントが2~300万個だ。
ここのサイトなしに韓国のインターネット文化は語れない。“断固として!”
1日の訪問者数が韓国の全てのサイトの中で6位。1日の訪問者数300万人。
ポータルサイトであるダウム(다음)が4位であることを考えれば、その規模が分かるはずだ。日本人がよく見るNAVERニュースよりもっと順位が高い(笑)
今日は別にテーマがあるから説明はこれくらいにして、ここでも代表的なギャラリーがいくつかあるが、その中に株式ギャラリーがある。 株の情報のやり取りをするところ。
ここで株式初心者を呼んでいた名称が “ジュリニ(주린이:株式+子ども)”。
主に若年層が利用するコミュニティなので、暴言と悪口がほとんどのDCインサイドの中でも株式というテーマの特性上、比較的大人が多いところだ。
比較的、大人っぽくて、比較的、一般的で正常な割合が高いところ。
ここで誰かに質問する時によく使うとても礼儀正しい表現を紹介する。ディシの悪名を考えても、とてもかわいい表現だ。
저 오늘 가입한 주린이인데요 ○○은 어떻게 해야하나요?
私は今日加入したジュリニ(주린이)です。 ○○はどうすればいいですか?
주식 시작한지 3개월된 주린이입니다. 지금 저 망한 상황인가요?
株式を初めて3ヶ月のジュリニ(주린이)です。今、私はダメな状況でしょうか?
韓国のほとんどの新造語がそうであるように、ディシの新造語は他のギャラリーに広がり、ディシ以外の他のコミュニティに、そして実生活につながるように伝播され、今では一般放送やニュースでも使われるほどの単語だ。“ジュリニ(주린이)” 。
この新造語を応用し、不動産コミュニティのブリニ(부린이:不動産+子ども)も有名で、YouTubeとモッパンでは料理初心者のヨリニが、最近はキャンプブームと共にケムリニまで日常用語のように使われていた。
もう一つの生産工場 国立国語院とジャージャー麺
ところでいきなり2022年5月4日、「〇〇ニは子どもを卑下する単語なので使用を自制せよ」という発表が出て、さらに突拍子もないのは人権員委員会で発表したということ。
子どもを足りない存在、愚かな存在という認識を植え付け、子どもに対する卑下と無視が危惧されるという内容。
子どもの日設立100周年を記念して、何か “私たちも働いている” をアピールしたかったようだが、国民の反応はあまり良くない方だ。
もともと韓国でこういう方面で有名なところは “国立国語院” だ。
韓国語を習ったことのある人は分かると思うが、韓国人でさえ分からない正書法に分かち書き、そして最も難題な新造語問題。
言語を使う人が簡単に使うことが主体にならなければならないのに、自分たちの規定を前面に押し出す国立国語院の存在で、韓国人は腹を立てたことが一度や二度ではない。
その代表的な単語が “ジャージャー麺(짜장면)”。
本来の標準語 “ジャージャー麺(자장면)” をほとんどの人が強い発音 “ジャ(짜)” と発音して数十年が経ち、チャパグリ(짜파구리)の流行を作ったチャパゲティ(짜파게티)の初発売が1980年代初めであることを考えると、本当に呆れるほどだった。
“ジャージャー麺(자장면)だけ標準語” が主張を曲げ、“ジャージャー麺(짜장면)” を共同標準語として認めたのが2011年。わずか10年前に認められたので、韓国に来たらメニューに依然として混在して使用中であることが分かるだろう。
ジャージャー麺(자장면)が標準語~、ジャージャー麺(짜장면)はダメだよ~。こんな話をずっと聞いて育った世代が多くて、今も相変わらずジャージャー麺(자장면)だけが標準語だと思っている人もとても多いほど。変わった標準語は広報を熱心にしなかったから。
ジュリニ(주린이)のニュースを見た時、「これは私だけ可愛いって思っているのかな?」と思ったが、こんなに悪名高い国立国語院もすぐに声明を発表した。
差別的表現の定義と範囲がまだ明確に確立されていない状況で “~ニ”が差別的表現に該当するかは社会的合意を通じて決める事案
国立国語院
“社会的合意” が決めるということは、国民がよく使っているのになぜ?という意味だろう(笑)
ここに文化体育観光部(日本で言う文化庁)でも意見を発表したが、
あることにまだ未熟な人を卑下する意味よりは、情感を持って表現することで、差別的表現と見るには無理があると思う
文化体育観光部
個人的には文化体育観光部の意見に非常に同意している。ジュリニという表現が何がそんなに不便だったのか、世の中をあまり深刻に眺めていたのか意味も分からない他の新造語よりは本当に可愛くて適当な表現だと思ったのだが。
「コリニがコイン投資をして失敗しました~助けてください~」
こんな文を見ると本当に切なくて可愛く感じるのにこんな表現を使うなってㅠㅠ
多くの国立機関の行動を見ていると、一般会社であのように働けば給料を受け取ることが難しいだろうと思う時が多い。
英単語 “ゴールドミス” を国立国語院でどのように韓国語化したのか紹介し、このパートは終わりにする。
“黄金独身女性(황금 독신 여성)”
[韓国語を整える]「黄金独身女性」は「ゴールドミス」を整えた言葉です。”財務管理に敏感な階層として黄金独身女性が注目されている”のように整えられた言葉「黄金独身女性」を使ってください。
国立国語院 Twitter
むしろ、整えない方が良かったよ…
国立国語院のTwitterへの1番目のコメント
政府機関の不協和音を見ながら、むしろこの記事を読む日本の方にも韓国の新造語の広報をしたくて急いで記事を書いてみたよ。 ジュリニ、ブリニ、ヨリニ、万歳! (笑)
子ども好きの男 子どもの日の意味
小波(ソパ)・方定煥(バン・ジョンファン)の生年月日を見ると、31歳という非常に若くして亡くなった男性だ。しかし、彼の号の意味のように小波、韓国に小さな波を起こしてこの世を去った。
幼い頃、授業でソパ~って言うから英語のSofa(長椅子)をどうして号に決めたんだろう、面白いと思ったことがあったけど、今考えてみたら本当によく似合う号だと思う。 小波(ソパ)。
小波・方定煥は独立運動家であり、教育人であり、児童人権に対して誰よりもよく考えていた方で、今年100周年を迎えた韓国の “子どもの日” をつくった方だ。
幼い頃は祝日だから学校に行かなくて良かったし、何かプレゼントや外食が期待できる日が誕生日以外にも、もう1日あるということが本当にとても楽しみだった日だった。
本当に子どもたちにとっては、夢と希望ような日だったと思う。
もちろん親の立場では、財布の心配に悩む日にもなるだろうが、今思い出してみるとまさにこの日、家族が一緒に外出した記憶が一番多い。
家庭の事情が豊かでなかったり、幸せの余裕がなかった家庭の子どもたちに最小限、この日1日だけでも子どもについてを考えさせたこの日の意味は、かなり重要だということを大人になってから知ることになるのだ。
今も依然として貧富格差の問題や孤児たちの問題で解決しなければならない問題が多いが、特に方定煥がこの日を作った時期が100年前だったということを考えれば考えるほど、すごい方だと思う。
100年前の韓国は、韓国じゃなくても地球全体で子どもの存在はとてもつまらない存在だった。子どもは人間以下の扱いを受けたから。
子どもたちを“애새끼(子ども野郎)”、“어린 놈(幼い奴)”、“자식 놈(子どもめ)”などと卑下する蔑称でも呼んでも、誰も問題だと思わなかった時期だった。
ここで今日の始まりを知らせたニュースの意味が出てくる。
韓国で [어린이(子ども)=어린(幼い)+아이(子ども)] の単語の意味自体が17世紀までは愚か(어리석다)だ、足りない(부족하다)という意味で使われ、18世紀になってようやく年齢が低いという意味で使われた。
これは当時の韓国だけがそうだったのではなく、西洋先進国でも産業革命時期には子どもたちを安価な労働力の道具としてのみ使用し、アフリカの場合には今も依然として現在進行型で労働させる所が多いからだ。
このような姿を見て、変えよう!と思った人が方定煥だ。
“어린이(子ども)” という単語には若者、年寄りの場合のように単語自体に尊重の意味が含まれていると主張した。
習慣的に使用していた単語自体の意味から注意を喚起させ、警戒心を呼び起こし、年齢が低いと言うのではなく、子どもたちも尊重しようという運動も一緒に行った。
資料を探しながらこの部分を読みながら本当に驚くのが、あの時代にあんなことを言ったら石を投げつけらそう…という気がして。今も依然として儒教文化のせいでタメ口と敬語で戦う世の中が韓国なのに、子どもたちに敬語だなんて、あの頃を考えるとソパ(韓国語で小ネギ)ではなく、長ネギなんじゃないかと思う(笑)
2年間の広報活動の末、1923年5月1日に第1回子どもの日イベントを行い、1927年からは5月第1日曜日に変えて実施したが、1939年には日本総督府によって子どもたちに民族精神を悟らせてはならないという理由で中止になった。
光復(日本の植民地解放)以後、再び施行され、1947年から5月5日に指定、100回目を迎えた日がまさに今日だ。
この日は単純に1日休む日でもなく、子どもたちにプレゼントを与える日でもなく、私たちがつい忘れてしまう子どもの価値と人権を改めて考えてみる日なのだ。
全世界の児童権利に関するジュネーブ宣言が1924年だったことを考えると、大韓帝国という国で本当に悟った人が小波・方定煥だったのだ。
もちろん産業革命時代には子どもだけでなく、人間の尊厳性自体が破壊された時期だったので、以後ラッダイト運動のような事件が起き、黒人の奴隷問題や差別問題、アフリカ地域の血のダイヤモンド問題まで依然として存在するので地球人が解決していかなければならない宿題が多い。
それでも私たちの小さな関心さえあれば私たちの子どもと私の周辺の子どもの人権はほんの少しは保護されると信じている。
嬉しくて楽しい思い出を考えながら始めたのに急に重くなったけど、方定煥先生の遺言を最後に終えるよ~!
어린이를 두고 가니 잘 부탁하오
小波 方定煥の遺言
子どもを置いていくのでよろしくお願いします