この映画の原題は『김씨표류기(金さんの漂流記)』だよ。さあ、漢江の “その男” の話をはじめようか!映画のあらすじが含まれているけど、先にこの記事を読んで映画を観ても大丈夫だと思う!
ソウルの漢江にあるものとないもの
漢江(ハンガン)橋の上、一人の男の電話通話。
貸付元金、7,500万ウォン。未納利子を含めて2億1038万ウォン
映画『彼とわたしの漂流日記』中
대출원금 7500만원, 미납 이자 포함 2억 천 3십 8만 원
そう聞いて勇気が出たと言い、橋の上の男が消え、映画は始まる。
浜辺に倒れている金さんの姿が見え、「マヌケ。死ぬことも出来なかった。」と自責するが、周辺を見回すと汝矣島の63ビルと国会議事堂が見える。再び死ぬために63ビルに行こうとするが、それを妨げる漢江。
汝矣島の金色の63ビルは1985年に建てられた当時、アジア最高層のビルで、2003年までは韓国で一番高いビルだったから、ソウルを象徴するビルの1つとして有名だ。今は蚕室(チャムシル)のロッテワールドタワーが1位。
ソウルで日常を生きていく人々に忘れられていた多くのこと。
“ 漢江にあるものとないもの ”
漢江には大きな橋があり、遊覧船があり、魚もいる。 そして無人島と飛び降りた信用不良者もいる。
その漢江の男にはお金も、恋人も、人々の関心もない。そして携帯の充電もない。
遊覧船の観光客に救助を要請し、海辺に「HELP」の文字も書いてみるが、誰も知らない金さんの都心の中の漂流。
「HELP」金さんが死を覚悟する前に世の中に言いたかった言葉ではないだろうか。
彼はそうやって漢江に1人残された。
泳いで脱出しようとするが、彼の頭の中を通り過ぎる過去の姿。
水泳を無理やりに教えていた幼い頃の父親と、金さんの就職面接の様子の中の高圧的な面接官たち、会社でリストラされ「すみません」と言わなければならなかった金さんの純真な姿。
ひどい女と無能な男、どっちが悪いのか分かる?という恋人のようにみんなが彼に不親切だが、唯一親切だった無利子消費者金融業者は彼をここに来させた。
無利子無担保の無(ム/무)の発音と野菜の大根(ム/무)の発音が同じことに着眼した”ム課長”を登場させ、親しみやすいイメージでマーケティングに成功した消費者金融会社。 ム課長、ム利子、ラッシュ·アンド·キャッシュ~
サルビアの花とみにくいアヒルの子
もう一度死を試みる金さん。
民防衛訓練サイレンと腹痛は彼のやり直しを後回しにし、偶然発見したサルビアの花の甘さが感じられる境遇に、悲しく流れる涙。それでも金さんには新しい時間が与えられた。
最近の人は知らないと思うけど、サルビアの花を吸うと実際に液体が出る。ほんの少し甘い砂糖が光の速さで通り過ぎたような甘さのある液体。
食べ物がなかった時代は、よく飲んでいた野外用飲料水みたいって言えばいいのかな?(笑) たまに本当に甘くて量も多い場合もあるが、ほとんどはスポイト1、2滴程度の非常に少ない量だ。
花びらは食べると苦しくて渋いよ~。 食べないで(笑)
どっちにしろ強烈な生存欲求はないから適当に生きてみようとするが、金さんの思い通りにはいかない。きのこの採集と魚釣り、渡り鳥の卵盗みまですべて失敗したが、彼を助けたのは洗剤で死んだ魚。
環境汚染は尾を引き、魚類から鳥類に金さんはメニューを変え、住宅請約積金7年ぶりにアヒルの家を手に入れ、本格的な無人島生存記が始まる。
家族に捨てられた憎いアヒルの子のように、都心の中に捨てられた金さんは白鳥になれるだろうか。
島の生活に適応しながらだんだん完璧な退屈さに陥っていた。
日本も同じだと思うけど、住宅請約積金は基本的な申請資格が与えられるだけで、多くの競争者の中で当選しなければならず、当選しても購入するお金がなければ、実際に住宅を分譲してもらうのは非常に難しい。
自分の部屋で孤立した女
慌ただしく動くマウスのカーソル。そして忙しくキーボードを押す1人の女性。
2000年代初めに韓国を旋風したサイト “サイワールド(싸이월드)”の仮想世界の中で彼女は人気者だった。拾ってきた写真1枚、クリックで飾られる私だけの空間。コメントだけが重要な世の中。
世の中から自ら孤立した女は人々との断絶した疎通を仮想世界でしている。
現実の世界では母との会話もメールでするほど彼女は徹底的に孤立している。彼女はなぜ3年間も自分を閉じ込めているのだろうか。単純に顔の傷のせいではないだろうに、食事の世話をしてくれる母の慣れた姿を見れば、家族は理由を知っているだろうか。
引きこもりになった彼女は、意外にも食事のカロリーを計算して規則正しい運動をしている。その理由は1日を一生懸命生きたような錯覚をするためだ。
自らの姿を健全な現実逃避と表現するほど慣れた姿。パソコンをつけることを出勤と表現し、時間に合わせて退勤したり、趣味は月の写真を撮ること。
달에는 아무도 없기 때문입니다. 아무도 없으면 외롭지 않으니까요.
映画『彼とわたしの漂流日記』中
月には誰もいないからです。 誰もいなければ寂しくないからです。
彼女の発言は現実では人々がいるから寂しいという言葉に聞こえる。人々が彼女を孤独にさせたのか、彼女自身が寂しさを選んだのか…。
クローゼットの中に入ってクリーニングテープのビデオ画面を見ながら眠りにつく彼女の人生。
彼女の言葉のように、今日1日がクリアに消され、明日の1日が新たに再生できるだろうか。
ソウルに孤立したもう1人の1日。
ビデオプレーヤー時代、ビデオテープを沢山再生すれば、ビデオプレーヤー内部のヘッド部分のほこりや異物がテープに付着して画質が悪くなる。そういう時にクリーニングテープを入れてつけると、単純な案内映像と一緒にヘッド部分の異物を取り除く方式。掃除のコロコロのテープみたいなものだよ。
繰り返される人生を生きている彼女がどこか焦ってみえるその日。
春に1度、秋に1度、1年に2度訪れる。
韓国の民防衛訓練の時間。
年に2回。 午後2時。10分ずつの20分。
世間の視線が相変わらず怖いのかヘルメットをかぶって窓を開け、誰もいない街の写真を撮る彼女。この時間だけはソウルの世界も誰もいない月のようで、漢江の夜の島が見下ろせる窓際で写真を撮る。彼女の気持ちが月の重力のように軽くなった瞬間。
韓国には春と秋に北朝鮮の空襲に備えた全国民避難訓練があるよ。午後2時に空襲のサイレンが鳴ったら、すべての車両は道端で止めなければならず、移動中の人は地下や建物の避難所の中に入らなければならない。 詳しい内容は別の記事でまとめているよ!
世界がこのまま止まることを願いながら写真を撮っていた彼女に発見された栗島の文字 “HELP”。
そしてその男キムさん。
彼女は金さんを宇宙生命体と呼び、観察し始めるが、自殺を試みる金さんの姿が消えない。
その場面を忘れようとクローゼットの中に隠れていたが、金さんへの心配は消えず、オンライン上に閉じ込められていた彼女は、もう1歩外に出て、彼を本格的に観察する。
キムさんの生きていることを発見し、ささやいた彼女の言葉 “サンキュー”。
世の中との疎通のための小さな1歩。
そして1番の名場面と思われる指で鴨の船を押してあげる場面とともに、月の写真だけでいっぱいだった彼女の部屋には1人の男の写真が埋まっている。
1人よりは2人がましだという意味ではないだろうか。
ジャージャー麺の為の死闘、そして希望
グッドショットを叫びながら松ぼっくりでゴルフをする金さんは、今では遊覧船を避けて身を隠すほど多くのことが変わった。
島の生活に完璧に適応した金さんは、今は自ら孤立を選択する。
漢江のそこには融資を返せという電話も来ないし、会社の心配はいらない。彼女を思い出す時間もないので、これまで得られなかった心の平穏を感じる。
彼女が月の写真を撮る理由と同じだと思う。 誰もいないから寂しくない。
平和を探し求めていた日々、偶然発見したチャパゲティのスープ12グラムの重量感。
袋の成分表を見ながらジャージャー麺を懐かしむ金さんは、ジャージャー麺を拒否した過去の姿を思い出しながら、ジャージャー麺に対して傲慢だった自分の過去を心から懺悔する。
ジャージャー麺の記事で紹介した「ビリヤード場はジャージャー麺」のシーンも出てくるよ(笑)
本格的なジャージャー麺づくりに取り掛かる金さんは、多様な試みをしているが、無人島では容易ではない。
ジャージャー麺への欲望が風のように消えるのではないかと心配した瞬間、鳥の糞からアイデアを得た希望の小さな種。
ジャージャー麺を食べるという一念の下で農業を始め、カカシも作り、映画キャスト·アウェイのバレーボールボールウィルソンのように「オットゥギケチャップ」の缶の友達も作った。
普段だったら見向きもしなかったジャージャー麺とトウモロコシだが、彼らには希望と目標だった。
キムさんはチャパゲティ袋の裏面の “希望小売価格” から人生の希望を見つけた。
希望小売価格、希望消費者価格は軍事政権時代、消費者物価統制のために主に生活必需品に反強制で実施した政策だ。むやみに価格を上げないようにして消費者の立場ではそれなりに良かった制度だが、多様な販売ルートがある最近では企業に任せているようだ。
金さんが鳥たちに怒る時に言う言葉「君たちは鳥なんだ~ケセ!」の台詞は韓国の最もよく使う悪口「개새끼(ケセッキ/犬の子)」の「セ」の発音と鳥類を表す「새(セ/鳥)」の発音が同じことを利用している言葉だ。ある職業を卑下する時は「~~새(セ)」としてよく使用する。理髪師は「깍새(カク+セ/頭を削る+奴)」。最もよく使う言葉で、警察の場合、民主化運動時代に学生や市民を多く捕まえていたから、捕まえる(チャプタ/잡다)+새(끼)(奴)、「짭새(チャプセ)」とよく呼ぶ。 取るのチャプ(잡)の発音を強くして「チャプセ(짭새)」。 卑下用語だから、できれば使わないほうがいいけど警察や泥棒が出る韓国の作品にはよく登場する単語だよ。
3年ぶりの外出 世の中と出会う窓
すべてを見守っていた彼女にとって金さんは、恥ずかしがり屋で、汚いものが好きで、地球のジャージャー麺が気になる寂しい宇宙生命体だ。
キムさんは彼女の外の世界に存在し、彼女はキムさんの外の世界に存在する。それぞれの視線と境遇によって相手に異なる意味を与えている。
2人のつながりは窓。
コンピューターのウィンドウは部屋の中で1人ぼっちだった彼女が唯一世間の関心を集めるウィンドウで、彼女の部屋のウィンドウは無人島の金さんと疎通し、誰かに関心を与える機会の窓だった。
それで彼女はキムさんが寂しいだろうと判断し、キムさんと「1寸(1촌)」を結びたがっていた。孤立生活3年ぶりに彼女の心情にも変化が生じてきていた。
インスタグラムのフォロワーを考えればいいんだよ。 家族関係の単位を表す「1寸(1촌)」がサイワールドの友達の名称だったの。
大きな決心をした彼女は徹底した下準備の末、外の世界に3年ぶりの外出をする。
ワインボトルに入れてキムさんに送った彼女の最初のメッセージは “HELLO”。
トウモロコシを育てるために完璧な無人島居住者になったキムさんから3ヶ月ぶりにもらった返事は
“HOW ARE YOU“
そうやって2人は英語の教科書1ページ目のような疎通を始め、金さんはついにトウモロコシを発見した。
“HELP“が”HELLO“から”HOW ARE YOU“まで変わる間に、本当に”1寸“になったと思ったのか彼女はキムさんにジャージャー麺を送る。
しかしキムさんは彼女の好意を断った。
「私にとってジャージャー麺は希望」というメッセージとともに。
希望という単語を百年ぶりに聞くという彼女は、男が送ってきた希望を味わうことにした。母にトウモロコシの種を頼み、今ではメールではなく会話をしている。
母が驚いて涙を見せる理由は説明が必要ない。3年ぶりの会話だから。
そうして彼女はもう少し世の中に出ようとしていた。
キュウリ、豆、にんじん、そして隠しておいたたくあん(笑)
チャパゲティの包装と同じようにジャージャー麺を完成させた金さんは涙を流す。寂しさと悲しみではなく、小さな希望から出発した達成感の涙だったはずだ。
そんな彼の姿を気の毒に思う彼女は、今やクローゼットの寝床が不便になり、数年間の孤立から抜け出す時間が来たようだ。
配達に来た普通のジャージャー麺とカンジャージャー麺、サムソンジャージャー麺は、それぞれ調理法と材料が少しずつ違うよ! 「짜장면 시키신 분~(ジャージャー麵頼んだ方~)」って言うセリフは、当時有名だった通信会社のCMのセリフだよ。
孤立と漂流を終わらせないといけない時間
ジャージャー麺の希望の意味を共有し、本当の “1寸” になった2人は、だんだんと相手が気になってくる。
“WHO ARE YOU?“
あまりにも大きな欲だったのか、表情が硬くなる彼女。
金さんに現実世界の自分を紹介できず自責していた彼女は、仮想の世界に戻ろうとするが、すでにすべてのことは崩れている。
学生時代いじめられていじめられていた事実まで、全てが公開されてしまった状態。また世の中と断絶しなければならないが、もう行く所がない。
台風が吹き荒れた栗島の金さんも同じだ。全ての暮らしは壊され、アヒルボートも流されてしまった。
2人とも自分の生活の基盤を失った瞬間。
挫折する暇もなく金さんに訪れる見知らぬ影。
島を管理する公益要員と清掃ボランティア活動をする海兵隊戦友会に捕まった金さんは、再び社会に連行されることになる。
彼には現実世界では感じられなかった希望と自由を得た所だが、潰れたオットゥギ缶のように死ぬことも生きることも、彼の計画通りになることはない。
金さんは確実に死ぬため63ビル行きのバスに乗り、鳴り響く交通カードの残高4,600ウォン。残高があるという安堵と同時に悲しみの表情。
死ぬことが出来ると嬉しかったのか、せっかく見つけた希望を逃したくなくて悲しかったのか。バスの中でずっと涙を流す金さん。
すべてを見守る彼女が決断を下さなければならない時間。今じゃないと2人はこれ以上話すことができない。
自分の全てを失ったキムさんに勇気を出して走っていく彼女の頭にはもうヘルメットがない。夢中で走ってきたが、金さんが乗ったバスは出発してしまい、悲しく泣く2人の姿。
“MY NAME IS 김정연(キムジョンヨン)”
彼らを会わせてくれたサイレンの音とともに、手を取り合った二人を乗せたバスは再び出発し、
映画はおしまい。
結局、映画は無人島の金さんと部屋の金さん、2人の金さん漂流記だったのだ。
生きるために無人島のゴミを集めなければならなかった男の金さんと、生きているだけで部屋の中にごみがたまっていた女の金さんの姿。
世の中に対する未練がなくて死のうとしたその男と、未練が多くてごみさえ捨てられなかったその女の話は北朝鮮が作り出した “民防衛訓練” のおかげでハッピーエンド。
日常生活を送っているほとんどの韓国人にはあまりにも不便でイライラする訓練に過ぎないが、世の中と断絶した2人にとっては小さなトウモロコシの種から希望を見つけるように大切な機会だった。
女の金さんには窓を開けて世の中を思う存分見物できる機会を与えてくれ、男の金さんには人生を諦めない機会を与えた。
小さな希望が必要な人々に、彼らへの関心を忘れるなと警告するように、また春と秋の韓国ではサイレンが鳴っているだろう。 私は2人の金さんを思い浮かべるだろうし(笑)
今も誰か浜辺に、“HELP”の代わりに“HOPE”が書かれているのを願い、今日はここまで。
人に対する関心、縁、疎通、家族に対する道徳のようなとても分かりきった話だが、本当によくできた構造の話だったなと思ってオススメしたよ。
“私”という微々たる存在も、誰かにとっては希望になれると思うから、少しずつもっと頑張っていこうね!ここまで読んでくれてありがとう!
おまけ*栗島(범섬)に漂流することは実際には可能なのか?
映画制作会社を苦しめたのは、映画のメイン会場である漢江の “栗島(밤섬)” の撮影だった。
西江大橋が通る下にある栗島は、各種渡り鳥が生息する “生態景観保全地域” だから一般人は立ち入り禁止区域だ。島内に小さなラムサール沼地まであり、環境保護団体の監視が激しい区域。
もともと栗島は1960年代までは人が住んでいた有人島で、規模も大きく、今の汝矣島(ヨイド)地域とほぼ隣接していたが、常に浸水する区域だったため、朴正熙(パク·チョンヒ)大統領時代、江南(カンナム)地域とともに汝矣島地域を開発した。
今の汝矣島公園と国会議事堂、KBS放送局本社、63ビルなどが建設される以前は本当に“島”で、汝矣“島”だった地域だが、ここの地盤に使う石を得るために1968年に栗島全体を爆破させたのだ。
その時、ほとんど消えていた栗島の残骸に漢江の堆積物が積もり、今の栗島になったが、爆破当時の6倍の面積になった状態だ。
撮影許可の条件は撮影人数最大20人、夜間照明使用禁止、8回目のみ撮影可能。
映画の中の島の夜間シーンがほとんどなく、あっても暗い画面の理由だ。
だからより無人島の感じはするが、撮影スタッフたちはゴムボートに乗って移動したが、ボートの燃料が底を突き、漢江の上で本当に漂流したこともあるほど苦労しながら完成した映画だ。
このように限られた時間内に映画1本の全てを撮らなければならなかったため、かなり難しいスケジュールだったが、それにしては映像もかなりきれいに撮れた映画。
実を言うと、実際の状況では毎日、環境監視員たちがパトロールをしているから、映画のように栗島に「孤立」することはないそうだ(笑)