※注意※
この記事は映画のネタバレが含まれています。
レベルAの記事を先に読むことをおすすめします♥
コリアゲート事件とアメリカ政府の立場(1976年-78年)
映画の最初のシーンであるアメリカ聴聞会の「コリアゲート事件」は、レベルAの記事でも紹介したように、アメリカの立場から見ても大事件。
「自由民主主義先導国家であるアメリカの下院国会議員全員が、アジアの一国家の便宜を図るために賄賂を受け取った」ということは、アメリカ内でも問題だったが、韓国のような国家に民主主義を反強制的に強要したり、北朝鮮のような共産圏国家を非難してきたアメリカの外交政策においても恥ずかしいことだった。
ちょうど、最高の内部情報を持った元中央情報部長(金炯旭)がアメリカに亡命中で、しかもその人は韓国大統領(朴正熙)と仲が悪かったので、暴露の事態が大きくならざるを得なかった。
この事件は、映画のように韓国政府としても耐えがたい問題だったが、アメリカ政府からしても自身の内部の不正に関する問題だった。だから1978年、最終的には数百名の関連者の中からたったの2名だけが起訴されることとなり、事件の規模に対してかなり縮小され、静かに終わりを告げた。
聴聞会では「犯人はプレジデント朴!」と叫び、朴正熙政権の実態を命を懸けて証言した金炯旭からすると、残念な結果に終わった。
映画では デボラ・シムがロビー活動の主導的人物のように出てくるが、実際は在米同胞の事業家の 朴東善(パクドンソン/박동선)という人物が主導していた。アメリカで輸入される米を韓国に独占取引権を与える代わりに、その収入の一部を使い、アメリカ政府にロビーをしてあげる条件だったという。
赦免を条件に全てのことを証言して拘束を逃れた朴東善は、その後もアメリカでロビイストとしての活動を活発に行い、2005年の国連のイラク石油販売プログラム関連の不正によって結局拘束され、保釈された。
パク・ヨンガク(金炯旭)と回顧録
コリアゲート事件を通して朴正熙政権の終わりを望んでいたパクヨンガク(金炯旭)は、期待とは逆に事件が静かに終わってしまったので、1979年までは自身の回顧録の作成に集中した。
アメリカでキムギュピョン(金載圭)に会う最初のシーンでも出てくるように、パクヨンガクは亡命生活中もパク統(朴正熙)からの復讐を恐れており、銃を肌身離さず過ごさなければならず、そんな彼にパク統の全ての恥部が記された回顧録は彼の命綱のような最後の交渉用カードだったのだ。
交渉用カードは交渉においてのみその価値が有効なので、それが暴露されたり公開されたりすると、かえってその価値は消滅してしまう。日本で回顧録の要約本が出版された時、映画の中のパクヨンガク(金炯旭)が不安でいらだつ理由は、自分の存在価値もまもなく消滅するということを直感したからだ。
金炯旭の回顧録は1979年末、日本のとある出版社から「要約本」の形で出版されたが、すぐに版権を購入した韓国政府により販売が中止される。しかし翌年の1980年、他の出版社から正式に出版され、これにより朴正熙政権時代の多くの秘話を知ることが出来た。
映画では、キム・ギュピョン(金載圭)がアメリカまで行ってパク・ヨンガク(金炯旭)と直接会い、回顧録の原本が流出しないように回収しに行く。しかし実際は、金載圭の部下である中央情報部の海外担当次長ユ・イルギュンが金炯旭と直接会い、金載圭からの説得の手紙を渡し、亡命資金の援助を条件に回顧録の回収を受け入れたという。
流出したらマズい内容だから、わざわざ亡命資金の援助をする約束をしてまで回顧録の原本を回収したんでしょ?
じゃあ何で日本で回顧録の要約本が出版されたの?
要約本っていっても、原本がないと出版は不可能じゃない?
いいところに気づいたね!
”誰が流出させたのか”っていうのが重要なポイントなんだけど、実は日本での回顧録の要約本が出版されたことについては、はっきりと分かっていることがなくて今でもミステリーなんだ。原稿用紙約2,000枚分のものすごい量だったそうだけど。
映画では、全斗煥がいる保安指令部側からキムギュピョン(金載圭)の盗聴もしたり、そちら側の人物が回顧録の原稿を誰かに渡すシーンから、わざと原稿を流出してキムギュピョン(金載圭)を無能と仕立て自身たちのラインが朴正熙の右腕になろうとしていたように出てくるが、この部分は今でも色んな説がある。映画では全斗煥の方に協力した人たちが、南山に連れていかれ拷問されるシーンから、情報部のからの流出ではなさそうだし、お互いがお互いを監視している状況だ。
金載圭を取り除くため、ライバルの保安指令部や青瓦台の警護室長側からわざと流出したという説と、金炯旭が安全のために保管していた写本を、資金が足らず出版社に売ったという説、第2のコリアゲートの戦いをするために金炯旭がわざと公開したという説、あるいは朴正熙政権を終わらせるためアメリカ政府が関与していたという説まで多様だが、映画では保安指令部側のストーリーが描かれている。
明らかなことは、工作や朴正熙を誰よりもよく知っている金炯旭が自身の最後の脅迫用カードの回顧録を自ら公開するという説に対しては、違いそうな気がする。
映画の中のパクヨンガクのセリフのように。
내가 미쳤어? 왜 내가 내 무덤을 파!
映画「KCIA 南山の部長たち」中
(俺が狂ってるって?なんで俺が自分の墓を掘るんだよ)
世の中が変わるか?名前だけが変わるんだよ
回顧録が発表され金炯旭はデポラ・シムに会い、怒りながら
다 같이 죽자 동네 한바퀴.
映画「KCIA 南山の部長たち」中
(みんな一緒に死のう 町をひと回り)
と言うが、それは自分の未来を知っていたからだろう。
韓国の子どもたちが友達と遊ぶときに歌う童謡に「다 같이 놀자 동네 한바퀴~ 바둑이도(강아지) 같이 놀자 동네 한바퀴~(みんな一緒に遊ぼう。町をひと回り~ポチ(犬)も一緒に遊ぼう、町をひと回り~)」という歌詞がある。
楽しく歌うはずの歌を、真逆の状況で歌詞を変えて歌っているのだ。
武器と盾を逃してしまった戦場の軍人の結末を、誰よりもよく知っているから、怒りを感じ、ため息をつき挫折したパクヨンガク(金炯旭)は、デボラ・シムの
세상이 바뀌겠어? 이름만 바뀌는 거지
映画「KCIA 南山の部長たち」中
(世の中が変わるか?名前だけ変わるんだよ)
というセリフのように、その名前(政権)を変えて命を守ろうとする。キム・ギュピョン(金載圭)を次の大統領にしてこそ自分が生きられると判断したのだ。
「ナンバー2は俺たちじゃない」 秘密組織“イアゴ”
2인자는 우리가 아니야
(ナンバー2は俺たちじゃない)각하는 2인자는 살려두지 않아 태양은 하나니까
映画「KCIA 南山の部長たち」中
(大統領はナンバー2を助けない 太陽は1つだから)
パクヨンガク(金炯旭)は忠誠を尽くしたのに急に吐瀉口を突かれた理由について「朴正熙の独占欲」だと考える。 長期独裁のために徹底的に利用されるだけで、権力を分けるつもりは絶対ないということだった。
パクヨンガク(金炯旭)はキム・ギュピョン(金載圭)に「イアゴ(이아고)」という隠された組織の存在を教える。
朴正熙政権のスイス銀行の秘密口座は海外資金洗浄を担当する大統領個人の秘密組織があって、それが本当のナンバー2だということだ。
過去のパクヨンガク(金炯旭)のように、キムギュピョン(金載圭)とカクサンチョン(車智澈)もナンバー2の座を巡って、忠実な犬になるために熾烈に戦っているが、朴正熙が本当に信頼する人は キムギュピョン(金載圭)とカクサンチョン(車智澈)ではなく他にいるというこの発言は、おそらくキムギュピョン(金載圭)の心理が揺れ始める転換点だ。
組織なのか、個人なのか分からない「イアゴ」の実態は歴史的にも明らかになっておらず、映画でも細かく描かれていない。
しかし映画後半部、朴大統領が殺された後、全斗煥保安指令官が大統領の執務室の金庫から、金塊とスイス銀行の口座の目録が書かれた紙をカバンに入れて立ち去るシーンを通して、全斗煥との繋がりを暗示しているが、この部分は現在に至っても、ものすごい議論がある。
本当に独裁者の大規模の秘密資金が存在していたのか?
だったら、その莫大なお金は全部どこにいったのか?
これほど面白くて気になる素材はないから。
日陰で働いて日向を目指す
青瓦台が急に慌ただしくなって盗聴器を探すシーンは、実際に1979年以前にあった話だよ!
ワシントンポスト紙からコリアゲートを最初に暴露した1976年の記事の内容は、高層の関連者ではない限り知ることが出来ない細かい内容で、まさに「機密」に値する内容だったんだけど、その後、ニューヨークタイムズの記事にもかなり詳しい内容が立て続けに暴露されていた。
本当に、「その場にいないと知りえない内容」まで…。
アメリカのCIAから、青瓦台を含め韓国の大使館まで盗聴していたということなんだけど、どういう理由でアメリカのマスコミにまで流れていたのかは分からない。
とにかく暴露が続いたので、青瓦台内部の会話が流出しているということに韓国政府は気づき、警護室や情報部が大騒ぎになっただろう。でも職員が慌てて部屋を捜索する映画のシーンは少し誇張された面がある。最も多く使われる盗聴の方法は「電波盗聴」だったから、装置をあえて設置しなくても済む方法だったからだ。
電波盗聴は、内部の音により窓のガラスが振動するのを遠くから電波でキャッチし増幅する方式で、わざわざ装置を建物内に設置しなくても良かったわけで、この方式はすでに1950年代の始めにモスクワにあったアメリカの大使館が、ソ連に盗聴を仕掛けられた時に使われていた技術だったので、ものすごい技術ってわけでもなかった。だから実際に当時まず最初にとった対策は、青瓦台の内部の全ての窓ガラスを、盗聴されにくい3層構造のガラスに変えることだった。
もちろん、友好国の大統領の会話までもアメリカから盗聴されていたってことは大きな衝撃であり、屈辱的な出来事だったので、映画のように朴正熙がかなり憤慨していただろうけど、実際は映画とは大きく違って、駐韓アメリカ大使に「盗聴の事実を否定してほしい」と要請したそうだ。映画ではアメリカに激怒し、すぐにでも謝れと大騒ぎするのだが、実際は正反対だったのだ。
コリアゲート事件のアメリカ政府の立場のように、青瓦台の盗聴事件は韓国政府の無能が知られる事件だったし、盗聴が事実だとしたら、その会話の内容のコリアゲートも事実と確定されるから、コリアゲート自体を否定する韓国政府は、アメリカ政府が「公式的に盗聴したことはない」と発表してくれるのを懇切に要請したのだ。
しかし、アメリカ政府は公式的には否定したが、後で盗聴が事実だとばれてしまったら、その時はまたアメリカが打撃を受けてしまうため、アメリカはノーコメントで貫いた。
まさに「盗まれた被害者が、私は盗まれていないということを泥棒が発表してほしい」っていう状況だね。
現実の政治は本当に複雑で面白いね。両者とも自分たちの立場だけ徹底して計算している。
前情報部長パクヨンガク(金炯旭)の口を押さえなければならなかった情報部長キムギュピョン(金載圭)は、盗聴事件まで起こって色々と立場が小さくならざるを得なかった状況ではある。そこにむしろを自分を監視する映画の中のイム教授のような保安指令部の勢力までいるということが分かったから、ずっと節制を貫いてきたキムギュピョン(金載圭)が、カクサンチョン(車智澈)の胸ぐらを掴んで銃を向けるほど爆発することも分かる気がする。
こんな事が続いて、 キムギュピョン(金載圭)は「あの日」を決心する。
カクサンチョン(車智澈)がキムギュピョン(金載圭)に、仕事をちゃんとしろと非難するシーンで、
거기 쓰여 있잖아 대문 앞에, 음지에서 지랄하고 양지에서 뭐 어쩐다.
映画「KCIA 南山の部長たち」中
(そこに書いてあるじゃん、大門の前にさ 陰地で働いて陽地でなんとかって)
と言うセリフは、中央情報部の建物の入り口にある情報部の院訓碑のことを言っている。”我々は陰地で働いて陽地を目指す”
「陰地と陽地、お前がこなせる仕事は何かあるのか」と皮肉っているのだ。表の仕事、裏で動く仕事、全てきちんと出来たものがないから、「それなら苔の生える闇に消えろ」と面と向かって馬鹿にするほど2人の関係はすでに破綻していた。
参考までに、前に少し説明した盗聴の原理は基本的に発信装置に電気や電源装置がなくても電波を通して遠くから情報を受け取ることができる、これがまさにRFID( Radio-frequency identification)と呼ばれる技術の始まり。私たちが今ほとんど毎日使っている交通カードや高速道路のETCの決済システム、携帯のNFCはこの盗聴技術から始まったそうだ。
あんたがやりたいようにやれ
3選改憲(1969年)反対派の処罰に関して尋ねたパクヨンガク(金炯旭)に、パクヨンガク(金炯旭)の処罰を尋ねたキム・ギュピョン(金載圭)に、そしてキム・ギュピョン(金載圭)の処罰を尋ねた電話の相手に、朴大統領は同じ答えを言った。
임자 하고 싶은 대로 해, 임자 옆엔 내가 있잖아
映画「KCIA 南山の部長たち」中
(あんたがしたいようにしろ あんたの隣には俺がいるじゃないか)
一番よく口にした言葉、「네가 알아서 해라(お前がうまくやれ)」。外食で友達とメニューを選ぶとき、一番困惑させるタイプの朴大統領…。「なんでもいい」、「決めて」と、「選択はお前がしたから、責任は私は取らない」っていう卑怯な政治のやり方だけど、これほど人の忠誠度を試す方法もないようだ。朴正熙はこの方法で18年間も持ちこたえたのだから。
내가 언제 끝날 것 같아? 다음은 누구였으면 좋겠어? 임자가 해.
映画「KCIA 南山の部長たち」中
(俺がいつ終わると思う?次は誰がいい?あんたがしろ)
ひっきりなしにキムギュピョン(金載圭)のテストをする朴大統領の圧迫に、キムギュピョン(金載圭)は選択しなければならなかった。
パクヨンガク(金炯旭)はアメリカの支援を受けて朴正煕を除去する計画だったが、すでにパリではカクサンチョン(車智澈)がパクヨンガク(金炯旭)を除去する作戦が進行中で、もしカクサンチョン(車智澈)の作戦が成功すれば、キムギュピョン(金載圭)自身は完全に出番がなくなってしまうから…。
自ら忠誠心を選んでも、その用途が終わったらどうやって捨てられるのか、キムギュピョン(金載圭)もよく知っていたが、パリでのカクサンチョン(車智澈)側の行動が早かったから、キムギュピョン(金載圭)はやむを得なかった。
そうやってパクヨンガク(金炯旭)を先に殺す戦いが始まったのだ。
パクヨンガク(金炯旭)の殺害、そして失踪
1979年10月1日、パクヨンガク(金炯旭)はパリに到着した。カクサンチョン(車智澈)の指示を受けたユン大使が、朴正煕との和解交渉をえさにパクヨンガク(金炯旭)を招待し、この知らせを聞いたキムギュピョン(金載圭)は気が急いだ。
カクサンチョン(車智澈)が先にパクヨンガク(金炯旭)を殺してしまったら、自分は本当に何もしたことがなくなるから。聴聞会出席も、回顧録も、パクヨンガク(金炯旭)の殺害も…。
すでに大統領府の会議や行事の席から外されるほど立場が危ぶまれていたキムギュピョン(金載圭)は、早い決断を下さなければならなかったから、デボラ・シムをパリに送ってパクヨンガク(金炯旭)を先に殺害しようとする。
パクヨンガク(金炯旭)と手を組み、自分がナンバー1になる道の代わりに、朴正煕に忠実なナンバー2になることにしたのだ。
アメリカにいたパクヨンガク(金炯旭)を、わざわざパリまで呼び出さなければならなかったのは、アメリカ内でパクヨンガク(金炯旭)を殺害したら、ただでさえ良くないアメリカとの関係が、深刻にこじれる可能性があるからだが、日本やアジアの方では、パクヨンガク(金炯旭)を危険だと考えるから、パクヨンガク(金炯旭)と親交のあるユン大使を利用して安全な西欧先進国にいったん出させるようにしたのだ。 規模のある国家であってこそ、大使館の職員たちを活用するのも楽だからだ。
亡命生活の間、慎重で徹底していたことで有名だったパクヨンガク(金炯旭)は、結局、人生最悪の失敗をしてしまう。
パリではカクサンチョン(車智澈)が言っていた「朴正熙との和解と許し」はなく、キムギュピョン(金載圭)が言っていた「朴正熙除去計画」も存在しなかった。 パクヨンガク(金炯旭)本人が情報部長時代にそうだったように、キム・ギュピョン(金載圭)とカク・サンチョン(車智澈)も朴正煕の忠誠を誓った猟犬に過ぎなかったからだ。
1979年10月8日、パリで最後に目撃されたパクヨンガク(金炯旭)はそうやって永遠に行方不明となった。
「失踪」
アメリカを含む他国から、報復殺人疑惑と非難を受ける恐れがあるため、死亡処理や行方不明の発表はしなかった。 そのため、彼の死はさらにミステリーとなり様々な議論を生み、韓国では1991年になってようやく法的に死亡処理が行われる。彼がこれまでやってきたことのように、自分の死の過程もまた歪曲と捏造、隠ぺいで終わってしまったのだ。
実際には、車智澈のグループとの暗殺競争はなく、金載圭の指示を受けた情報部要員たちがルーマニアのマフィアの傭兵2人を雇って殺害したそうだ。死体の処理方法については映画では、田舎の養鶏場の粉砕機で痕跡を消したという説を採択している。
この部分の話はレベルCで詳しくお話するね!
パクヨンガク(金炯旭)が途中で車から脱出し、他国の見知らぬ土地、郊外の田舎町で会うことになる東洋人男性の正体は、映画のように何も聞かなくても、対話を交わさなくても、政府が送った暗殺者だということを知っていたはずだ。
すりむけた靴を見つめ、諦めたようで淡々としていたパクヨンガク(金炯旭)の表情は、人生に対する後悔だったのだろうか。 死への恐怖だったのだろうか。感情の過剰やセリフがなくて逆に良かった場面だった。
このシーンで、靴の片方が脱げた自分の素足を眺めるパクヨンガク(金炯旭)の姿は、キムギュピョン(金載圭)が朴正煕暗殺後、車の中で自身の素足を見つめる姿とデカルコマニーのようにつながるが、運命が違うようで、同じようで違っていた2人の人生の姿を重ねて合わせるように見せたかったと監督は話す。
パクヨンガク(金炯旭)と友人として出てくるキムギュピョン(金載圭)は、実際は 金炯旭より1歳年下の後輩だったが、人生の過程をよく見ると、2人の生と死の多い部分でつながっていたことは確かだから。
何かのために一生懸命走っている間に、いつのまにか消えている靴のように、 金炯旭と金載圭は歴史の中に消え去ってしまうのだ。
私がくれというものを持って来い
パクヨンガク(金炯旭)が死んだことはどうでも良く、ただパクヨンガク(金炯旭)の隠し財産を捜し出せという朴正熙。キムギュピョン(金載圭)の望みとは違って、 パクヨンガク(金炯旭)の除去は何も変えられなかった。
すでに失われた信頼は取り戻せなかったのか、さらに露骨にそっぽを向き始め、キムギュピョン(金載圭)の心理は急速に揺れ始めた。
朴正煕の言葉のように「友達も殺した子」になって忠誠心を見せようとしたが、朴正煕はただキムギュピョン(金載圭)のお金が目的だということが分かると、キムギュピョン(金載圭)は当惑するしかなかった。
彼が守りたかった忠誠心も、国家のための民主主義も、今はあまりにも遠くなっていた。それだけ朴正熙と独裁政権も終わりに向かって暴走していたため、電話を密かに盗み聞きしたキムギュピョン(金載圭)は、最終決心をしなければならなかった。
「キム・ギュピョン(金載圭)の処理はお前がうまくやれ」という発言を聞いてしまったからだ。
朴正煕が本当に望んでいたものは何だったの?
キムギュピョン(金載圭) は 朴正煕が自身に対する絶対的な忠誠を望んでいると考えていたけど、ただお金が欲しかったんだよね…
映画の中で朴正煕が1人でお酒を飲みながら歌う「황성 옛 터(荒城の古跡)」は1928年に発表された曲で、実際に朴正煕のお気に入りの曲でもある。
北朝鮮開城市にある高麗時代の王宮跡である「満月台(マンウォルデ/망월대)」遺跡地を見て作った歌で、昔は燦爛たるものだったが、現在はその痕跡さえ消え廃墟となった高麗を思い出し、歳月の無常さと寂しさ、そして亡国の悲しさと懐かしさを表現しているため、日本による統治時代の時は禁止曲だった。
周りの誰も信じられずに、妻まで送り出さなければならなかった孤独な独裁者の心境を表している象徴的な歌で、映画の最初のシーンの暗殺事件現場で女性歌手が歌う歌だ。
歌の歌詞と朴正煕政権の虚しい結末を比べてみると、キムギュピョン(金載圭)からみた朴正煕政権の姿も満月台のようではなかっただろうか。
自分の粛清を暗示する指示を盗み聞きするキムギュピョン(金載圭)の眼鏡にかかった雨粒はまるで涙のようにたまり、彼の心情を代弁するように歌は寂しく物悲しく流れ、映画は結末に向かって走る。
山火事はどうやって抑えるか?
ヘリコプターから釜山のデモを見下ろすキムギュピョン(金載圭)の夢は何だろうか。
彼の本当の目標は何だったのか。依然としてミステリーだが、民主化に向けた国民の炎はすでに燃え上がっていた。
労働者たちの小さな闘争と金泳三総裁の除名から始まったこの山火事は、彼の言葉のように燃え尽きてから消えることのできる火だったからだ。
しかし当時、朴正煕、車智哲、全斗煥は火を強制的に消そうとしていたため、釜山の様子を視察した金載圭は10月26日以前まで、かなり多くの有力人事に会ったりと奔走していたようだ。当時、金載圭に会った人たちの証言を聞くと、デモ隊の被害を防ぐためにそれなりの方法を模索するために努力していたようだ。
しかし、すでに権力から捨てられた彼が出来ることは多くなく、10月18日の戒厳令と同時に空輸部隊が投入され、デモは強制鎮圧された。 この時の核心人物に対する大々的な拘束と弾圧により、韓国政府樹立以来、常に民主主義抗争の聖地であった釜山・馬山地域はその後、進歩系の力が非常に弱まり、現在ではむしろ保守系地域と呼ばれるようになった。
これによる風船効果なのか、7ヵ月後には慶尚道・釜山ではなく全羅道・光州地域で大規模デモが起こり、あの5・18民主化運動の悲劇が発生し、その主導者が釜馬抗争を鎮圧した全斗煥だったため、あれこれ多くのことが結びついたと見なければならないだろう。
釜山の山火事はしばらく消えたが、光州で生き返った。
閣下、政治を大胆に行ってください!
10月26日午前に行われた「挿橋川防潮堤竣工行事(삽교천 방조제 준공 행사)」は国家的にとても重要な行事だった。
食糧自給の目標はまだ遠く、1970年代に集中的に育成した工業団地のための支援施設も不足していたため、忠清道挿橋川に3.3kmの長さの防潮堤を建設し、忠清道全体の地域の農業用水と工業用水を解決するための大規模な工事であった。
大統領の重要業績になるこのような行事に、ナンバー2のキムギュピョン(金載圭)は同行できなかった。それが何を意味するのは明らかだった。
一人残され、ヘリコプターを眺めるキムギュピョン(金載圭)の怒りに満ちた表情は、その対象が朴正熙であれ、カクサンチョン(車智哲)であれ、この映画がハッピーエンドで終わることはできないことを示している。
この時、すでに決心したのか、カクサンチョン(車智哲)の電話を受けて決心したのか分からないが、通話が終わった後、キムギュピョン(金載圭)は陸軍参謀総長を別途招待しており、この行動によってこの日の事件が少なくとも飲酒後の偶発的な殺人事件ではないことが明らかになった。
国の重要行事には参加させなかったのに、キムギュピョン(金載圭)のために朴正熙大統領が設けた夕食の席の目的が何なのか、今や分からないが、おそらくキムギュピョン(金載圭)の解任や引退勧告だったのだろう。
そのような席でも、キムギュピョン(金載圭)は爆弾酒をよく作る人として扱われた。朴正熙大統領に最後の酒を注ぐのに、朴正熙大統領とカクサンチョン(車智哲)が首をかしげ、キムギュピョン(金載圭)をにらむ理由は、酒の量が多すぎるからだ。 ウィスキーをグラスいっぱいに満たす礼儀のない キムギュピョン(金載圭)の行動は、最後の最後の決心を表す彼の意志の表れではないだろうか。
革命のあの日を思い起こし、死んだパクヨンガク(金炯旭)のための乾杯の音頭で再び線を越え、朴正熙の下野まで要求したキムギュピョン(金載圭)は、歴史に残る発言とともに銃を発射する。
각하를 혁명의 배신자로 처단합니다.
映画「KCIA 南山の部長たち」中
(閣下を革命の裏切り者として処断します)
「バン!バン!バン!」
1979年10月26日午後8時頃。
1961年5月から18年間続いた朴正熙の独裁は、このようにむなしく幕を閉じた。
각하, 정치를 좀 대국적으로 하십시오!
1980年10月16日 金載圭が実際に銃で撃つ前に放った言葉
(閣下、政治を大胆に行ってください!)
このセリフは、韓国では1つの象徴のようになり、今でもよく語られる。映画では酒席の前の釜馬事態の対策会議でもこの発言をしていて、銃を撃つ瞬間には、「閣下を革命の裏切り者として処断します」と言い変えているが、当時の実際の裁判音声記録の金載圭の証言には、事件現場での発言として証言している。
銃を撃つ前、お酒を交わす時には、「閣下、政治をちょっと大胆に行ってください!(각하, 정치를 좀 대국적으로 하십시오)」、隣の席の車智哲を先に撃った瞬間には、「お前は生意気すぎる! この野郎!(넌 너무 건방져! 이 새끼야!)」、朴正煕大統領に銃を撃った瞬間は「お前も死んでみろ!(너도 죽어봐!)」と発言し、最後に朴正煕大統領は「私は大丈夫(나는 괜찮아)」と言い残したという。
この発言はいずれも印象的な文章なので、多くの人に知られパロディーされたりもしたが、2015年盧武鉉 (ノ·ムヒョン/노무현) 大統領死去6周年追悼式で、盧武鉉大統領の息子の盧建昊(ノ·ゴンホ)さんが、当時、盧武鉉大統領の過去の発言を攻撃したセヌリ党の金武星(キム·ムソン)代表に「政治を大胆に行え」と非難したことでさらに流行した。
当時は、朴正熙大統領の娘である朴槿恵(パク・クネ/박근혜)が大統領であり、相次ぐ失政で若い世代から非難されていた時期だったため、流行語やパロディーのほかに、今まで金載圭を大統領殺害犯として扱っていた認識の改善のための「金載圭レジェンド」や「金載圭の再評価運動」が繰り広げられた。
これらの発言の真偽は、金載圭の行動の目的と理由が直接的に分かるため、依然として論議を呼んでいる。
個人の安危のために殺害した後、自分の立場を弁護し、民主主義の闘士であるかのように装うために金載圭がでっち上げた発言という主張側では、当時現場にいた歌手・沈守峰(シム·スボン/심수봉)が、「銃を撃つ直前は非常に緊迫したため、多くの発言をしなかった」というインタビューを根拠にしている。
反対側の主張では、女子大生だった歌手・沈守峰は当時歌を歌っていたため、高位層の大人たちの対話を気にする余力もなかったし、また、すでに金載圭は似たような発言を何人かの高位層の人事にも発言したことがあるため、彼の発言は事実だと主張している。
真実は誰も知らずに引き金は引かれ、キムギュピョン(金載圭)は忙しく動き始める。
南山に行きますか? 陸軍本部へ行きますか?
運命の分かれ道。
朝鮮半島の歴史の新しい始発点になる選択で、キムギュピョン(金載圭)は、初めは南山に行こうと言ったが、車の中で行き先を陸軍本部へと変更した。
今でも一番ミステリーで、一番理解できないおかしな選択。これによって色々な陰謀論と終わらない議論が続いている。
すでに心の準備をし、陸軍参謀総長を事前に安家に待機させ、家族にもいろいろと暗示する発言をしたというが、靴の片方が脱げて歩き回る彼の姿のように、その後の行動は生半可な点が多すぎる。 暗殺に参与した秘書の朴フンジュ大佐や儀典課長の朴ソンホにさえ、具体的な指示や任務付与がほとんどなかったことを見ると、むしろみな無事に生き残ったのが不思議なほどだからだ。
逆に、陸軍参謀総長のほかに、中央情報部の次長まで安家に呼び出していたことを見ると、何かそれなりの計画があったような気もするし、この日の真実は本当に疑問だらけだ。
そのような状況で、逃げ出す車の中で突然行き先を変えたキムギュピョン(金載圭)の行動は、歴史に長く語られるミステリーだ。 大統領を殺した人が、自分の部下のいる拠点である中央情報部ではなく、陸軍本部に行って状況を統制しようとしたのか?
国防部長官がもっと高い地位の人じゃないの? なんで陸軍参謀総長を呼んだの?
全ての軍の最高責任者は国防部長官で合ってるんだけど、長官になる人は普通、現役から退いて長い場合が多いから、現役で部隊の運営が出来る人の方がもっと重要だったってことだね。
釜馬抗争対策会議の時、穏健的な性向だった陸軍参謀総長を信じたため、陸軍参謀総長も自分の同志だと思ったかも知れないが、鄭承和(チョン·スンファ/정승화)陸軍参謀総長はキムギュピョン(金載圭)を信頼していなかった。
映画の中の車の中でキムギュピョンが陸軍参謀総長に飴を渡すシーンのように、実際も金載圭は飴を勧めたが、鄭承和陸軍参謀総長は、大統領を殺したくらいだから自分も殺そうと毒が入っているのではと心配して、金載圭には内緒で捨てたという。
このように陸軍参謀総長と事前に計画があったわけでもないのに、彼の車は陸軍本部に向かうためにUターンをしたのだ。 誰が見ても最悪の選択…。
陸軍本部に行ったのはそんなに間違った選択だったの?
事件初期は当時起こった事件をよく知る人がいないし、おそらく自分の部下たちがいる情報部に行っていたなら、少なくとも時間を稼ぎながら金載圭自身に有利な状況で捏造することも可能でしょ?事件現場にいた女子学生と歌手の口さえ塞げば車智哲が殺したとも言えるし。
計画してたんだったら、何でそんなに右往左往してたんだろう?
事前準備というにはとても不十分だし、出来心というには何か用意した行動だから、それが本当に曖昧で色んな想像が出るんだよ。
映画の最後で流れる字幕の内容のように、金載圭は陸軍本部で鄭承和参謀総長が率いる陸軍によって逮捕され、光州民主化運動の真っ最中だった翌年1980年5月24日、死刑となる。
( 金載圭の詳しい逮捕過程は映画『ユゴ 大統領ユゴ』で描かれているので参考にしてみて下さい)
映画は、朴正熙の個人金庫の金塊とスイスの秘密口座のリストをこっそり持ち出し、大統領の席を眺める全斗煥の姿を通じて、彼の目的が純粋ではなく、その後の韓国の歴史も順調ではないことを暗示している。
10・26事件の捜査結果を発表する全斗煥は、金載圭の誇大妄想症による内乱目的の殺人事件だったことを主張し、裁判中に最後の供述をする金載圭は、民主主義のための革命だったことを主張する当時の実際の音声を聞かせ、映画は終わる。
2ヶ月後に起こる12・12事態(クーデター)を正当化するために、金載圭の逸脱と内乱を強調しなければならなかった全斗煥率いる新軍部勢力と、自分の殺人を正当化するために大義名分を強調しなければならなかった金載圭。 どちらが真実なのかは分からないが、その歴史の波紋はあまりにも大きかったので、今でも非常に興味深い論争の種になっているのだろう。
はっきりしているのは、1979年10月26日、夜。
朴正熙はそうやって死んだっていうこと。
忘れられた季節
韓国では今でも10月、特に10月26日や10月31日になれば、1982年の「잊혀진 계절 (忘れられた季節)」という歌がよく登場する。この歌が大ブームだった時期には、1日に137回も放送され、歌の1日の放送回数でギネスブックにも登録されているほど良く流れていたよ!
もともとは、見送るべき恋人に対する別れの悲しみと、秋の夜の名残惜しさを表現した歌として人気を集めたけど、歌詞が10月26日のあの出来事となぜかよく合うし、寒い秋の日の寂しい雰囲気なので、10・26事件を盛り込んだ歌と誤解されたりもした。
もちろん全く根拠のないデマであることが明らかになったが、依然として一部の韓国人には10・26事件の象徴とも言える歌と言われている。 それで今も10月26日や、歌詞に出てくる10月最後の日である31日には韓国でラジオを聴いていると必ず聞く歌として残っている。
朴正煕大統領を懐かしむ立場からも、金載圭情報部長を懐かしむ立場からも、歌詞が絶妙に合う、現代版「荒城の古跡」みたいな歌と言えるかな。
지금도 기억하고 있어요 시월의 마지막 밤을
뜻 모를 이야기를 남긴채 우리는 헤어졌지요
그 날의 쓸쓸했던 표정이 그대의 진실인가요
한마디 변명도 못하고 잊혀져야 하는 건가요
언제나 돌아오는 계절은 나에게 꿈을 주지만
이룰 수 없는 꿈은 슬퍼요 나를 울려요
그날의 쓸쓸했던 표정이 그대의 진심인가요
한마디 변명도 못하고 잊혀져야 하는건가요
언제나 돌아오는 계절은 나에게 꿈을 주지만
이룰 수 없는 꿈은 슬퍼요 나를 울려요
今も覚えています 10月の最後の夜を
うやむやな話だけ残したまま
あの日の寂しい表情は君の本心なのかな
一言も言い訳出来ずに忘れないといけないのかな
いつも巡り来る季節は私に夢をくれるけど
叶わない夢は私を悲しませる 私を泣かせる
あの日の寂しい表情は、君の本心なのかな
一言も言い訳出来ずに忘れないといけないのかな
いつも巡り来る季節は私に夢をくれるけど
叶わない夢は私を悲しませる 私を泣かせる
韓国の若い層から一番支持を受けているIUも、お年寄りからNo.1スターのイム・ヨンウンも皆が歌う歌なんだね!