朴正熙の死に関する10・26事件を扱った2つの映画。
イビョンホンさん主演の『KCIA 南山の部長たち』の解説記事は読んでくれたかな?
ここからは10・26事件を扱ったもう1つの映画『ユゴ 大統領有故』について本格的に紹介していきます!『KCIA 南山の部長たち』の知識を基に紹介しているので、先に『KCIA 南山の部長たち』の記事を読むことをおすすめします!
ネタバレなしの基本情報
映画の日本語版タイトルは『ユゴ 大統領有故』であるが、「有故」とは、誰かの死亡の知らせを伝える時に使う表現で、事故や事情が生じて「席を外す」という意味だが、主に目上の人が死亡した時に使う。 今回は韓国語のタイトル『그때 그사람들(あの時あの人たち)』に合わせてお話する。
朴正熙大統領が死亡した1979年10月26日の事件を、本格的で細かく扱った最初の大物映画である『ユゴ 大統領有故』は2005年2月に公開された。2005年の百想芸術大賞 作品賞の受賞作。
最初の長編映画で新人監督賞受賞、2番目の映画では他の映画祭で新人監督賞受賞、3番目の作品である『浮気な家族(바람난 가족)』(2003)は、ベネツィア映画祭に出品されて好評を博すほど、韓国映画界の新星と呼ばれたイム·サンス監督の4番目の映画、『ユゴ 大統領有故』は、イム·サンス監督だったから製作が可能だったかもしれない映画だ。
浮上する新鋭監督に対する果敢な投資と、怖いもの知らずの新人監督の挑戦精神と闘志がなかったら、これまでタブーとされていた素材を正面から扱うことはできなかったはずだ。
『KCIA 南山の部長たち』が事件40日前から当日までの金載圭(キムジェギュ/김재규)の心理変化を追って描かれていたとするなら、この映画は、ただ事件当日の10月26日の話だけを扱っている。特に、朴正熙の暗殺の後、金載圭の動向が細かく描かれているので、『KCIA 南山の部長たち』の後のストーリーが気になる方には役に立つだろう。
映画はブラックコメディで、テーマの割には軽くてコミカルに表現されているため、重い心理描写が描かれている『KCIA 南山の部長たち』とは相反する雰囲気の映画だ。
主要俳優と配役
事件に巻き込まれた生存者と遺族がまだ多く残っていた時期だったため、全ての役柄は名前の代わりに役職や仮名を使った。映画のテーマ上は、金載圭役のペク·ユンシクさんが主演だが、儀典課長の朴ソンホ役のハン·ソッキュさんの視線で映画が進行されるので、共同主演ともみれるキャスティングだ。
俳優名 | 役割 | 映画内での名前 | 実際の人物 |
ハン·ソッキュ | 中央情報部 儀典課長 | 朱課長 | 朴ソンホ(박선호) |
ペク·ユンシク | 中央情報部部長 | 金部長 | 金載圭(キム·ジェギュ/김재규) |
ソン·ジェホ | 朴大統領 | 大統領閣下 | 朴正煕(パクジョンヒ/박정희) |
キム·ウンス | 中央情報部長随行秘書 | ミン大佐 | 朴興柱(パク·フンジュ/박흥주)大佐 |
チョン·ウォンジュン | 大統領府警護室長 | チャ室長 | (チャ·ジチョル/차지절) |
キム·ユンア | 当時現場の初代歌手 | 招待客 | (シム·スボン/심수봉) *映画冒頭でのナレーション |
チョ·ウンジ | 当時現場の女子大生 | 女子大生チョ氏 | (シン·ジェスン/신재순) |
ユン·ヨジョン | 映画の中の創作人物 | 若い女性のママ | 実際の人物不詳 *映画の後半部ナレーション |
1990年代末、韓国映画界の代表俳優だったハン·ソッキュさんは、2000年代初め、3年間の空白期の間スランプに陥っていたが、この時期、彼のトップの座に代わって登場した俳優が『パラサイト』(2019)のソン·ガンホさん、『オールドボーイ』(2003)のチェ·ミンシクさん、『シルミド』(2003)のソル·ギョングさんだ。
ハン・ソッキュさん主演の映画で助演だった俳優たちの急成長を見守りながら、ハン・ソッキュさんはこれまで見せたことのない程の短く切った髪で、覚悟を決めてこの映画に出演した。
監督は、主演俳優ペク·ユンシクさんの映画『地球を守れ!(지구를 지켜라!)』(2003)でパンツ姿だけで拷問を受けながらもカリスマ性を失わない姿に惚れ、シナリオ自体をペク·ユンシクさんに合わせて書いたと明らかにした。太宗 李芳遠(テジョン イバンウォン)役で出演したドラマ『根の深い木(뿌리 깊은 나무)』(2011)の、幼いころの世宗役(ソンジュンギさん)との対立シーンを見れば、ものすごいカリスマ性を感じることが出来る。
この映画には当時の中堅俳優たちが多く出演しているが、映画『ミナリ(미나리)』(2021)で2021年アカデミー映画祭助演女優賞を受賞したユン·ヨジョンさんが、コミカルな母親役を演じる姿を見る楽しさがある。当初は、ドキュメンタリー部分のナレーションのみのキャスティングだったが、母親役をすることになったそう。イム·サンス監督の前作『浮気な家族(바람난 가족)』(2003)に出演したユン·ヨジョンさんは、その後もイム·サンス監督の映画によく出演するイム·サンス監督のペルソナだ。
ミン·デリョン役のキム·ウンスさんと、映画の後半に軍人としてカメオ出演するボン·テギュさんも、『浮気した家族』(2003)に出演した縁でキャスティングされた。
BTSの歌の『ペルソナ』は知ってるけど、ペルソナってそもそも何?
もともとは仮面や分身の意味だが、映画界では「愛情のある俳優」程度と考えればいいだろう。 簡単に表現すると”愛着人形”くらいかな?^^?
韓国では、映画『パラサイト 半地下の家族』のポンジュノ監督と俳優のソンガンホさんが有名だよ。
チュ課長に殺害される警護員役は、最近『応答せよ1988、1994』で有名な俳優チョンウさんだ。他にも、シム·スボン役の歌手キム·ユナさん、軍人カメオ出演は芸人のホン·ロクギさん、実際の新聞記者、当時の区庁長など多様な人物が出演しているが、1番面白いのはイム·サンス監督本人が出演したということだ。映画の序盤、金部長の主治医として登場し、「この政権は長く続かないでしょう。辞表出して、退いて下さい。」と言っている人がイム·サンス監督だ。
イム·サンス監督は、以前にも『パラサイト』(2019)のポン·ジュノ監督のデビュー作『ほえる犬はかまない(플랜다스의 개)』(2000)にも出演したこともあり、自分の作品によく出演することで有名だが、意外にも演技はまあまあ上手という評価だ。2人の監督は、いずれも延世(ヨンセ)大学の社会学科出身の先輩・後輩だ。 イム・サンス監督が7歳先輩。
応答せよシリーズの쓰레기오빠 (スレギ兄さん)!
あまりにも一瞬で見逃しちゃったよ。
なぜわざわざこの映画を作ったのか?
制作会社の思い切った投資と、売れっ子新人監督の覇気があったからこそできた映画だと前にも述べたが、もう少し正確に言えば、文字通り「イム·サンス監督」だったから制作が可能だった映画だと言える。
10·26事件当時、イム・サンス監督の父親は反政府記事で失業をくらった記者で、兄は毎日のように維新反対デモに参加していた大学生だった。父親が朴正熙の死亡ニュースで喜んでいる姿を見ている当時高校2年生のイム・サンス監督は、テレビの中で葬式で涙を流す国民たちを見て、あきれて、この映画を考えたという。ブラックコメディーのような状況。無謀にも思えたこの構想は、成人になって、やっと、完成することが出来たのだ。
撮影エピソードと上映禁止訴訟
「映画制作会社ではなく、弁護士が金を稼ぐ映画」という言葉があるほどなので、制作会社は映画制作そのものを最大限 秘密裏に進めた。当事者たちやその支持勢力たちにより、撮影を途中で止めさせられるのを恐れ、撮影日程まですべて非公開で完了。
にもかかわらず封切り1ヵ月前に裁判所は、全体で102分の分量のうち3ヶ所の3分50秒分を削除して上映することを判決した。朴元大統領の長男の朴志晩(パク·ジマン)氏が申請した「上映禁止仮処分申請」を部分的に受け入れた結果だ。
削除された部分は、映画の最初と最後に使われた実際のドキュメンタリー映像の部分だが、これによって観客が映画の内容を「実話」と誤解する可能性があるという判決だった。
映画の公開禁止までは免れたが、「創作と表現の自由」と「国家偉人と故人に対する冒涜」という熱い論争の中でものすごく騒ぎになった出来事だった。
当時は盧武鉉大統領の進歩派政権時代だったが、進歩派勢力は「部分削除」の判決だけでも、軍事政権時代の「検閲の復活」と反発し、次期大統領として朴槿恵候補を推していた保守派勢力は「政治的卑下の目的」のある上映だと反発した。
進歩と保守の両方から攻撃を受けたため、映画の興行成績は良くなかったが、映画界評壇の評価は非常に良かったため、映画に対する反応もまた極と極に分かれた。
ブラックコメディーに対する理解 ー『KCIA 南山の部長たち』と『ユゴ 大統領有故』の比較ー
正直、興行が低調だった理由は、進歩と保守の反発というよりは、映画そのものが難しかったからだろう。
最初のシーンから女優たちの胸が露出するこの映画は、保守側の国民が見るには居心地が悪い場面が多くて反発は当たり前だったが、初めて扱うテーマであるだけに、真剣で重く朴正熙を批判することを望んでいた進歩側の立場からみても、映画で終始展開される登場人物の軽いセリフとユーモラスな状況設定によって、何かすっきりした感じではなかったと言うべきだろうか。
朴正熙大統領の猟色家的(女を弄ぶ)な姿や色欲、日常生活でも日本語を使っていた親日派的なイメージなどを戯画化し嘲弄する姿だけでは、物足りなさがあったのだろう。
コミック映画として楽しむには重すぎるし、滑稽でねじれた政治風刺劇として見るには、ちょっと難しいと言うか。そういう意味では『KCIA 南山の部長たち』とは正反対である。
金と権力に執着し、忠誠競争を誘導する『KCIA 南山の部長たち』の朴大統領と、色欲と遊戯に溺れ無気力に撃たれる映画の中の登場割合自体が少ない『ユゴ 大統領有故』朴大統領。
鋭い印象と直線的な言葉遣いの『KCIA 南山の部長たち』と、表情からどこかもどかしく、たどたどしい言葉遣いの『ユゴ 大統領有故』を比べても、2つの映画の目指すところがはっきり違うということを見せてくれる。
重い音楽とともにゆっくりと、金載圭と他の登場人物の内面の心理変化に集中するために、表情を捉える “バストショット” が主に登場する映画が『KCIA 南山の部長』であるとすれば、『ユゴ 大統領有故』は、朴ソンホと金載圭の視線を速く追いかけるが、全体的には第3者の観察者の立場から上から見下ろす構図の “ハイアングル” の場面が多く出てくる映画だ。
このように、監督の目指す演出とポイントも違うし、鑑賞する観客の好みによって評価も変わるしかないこの2つの映画を比較しながら見る楽しみもまた、非常に良いと思う。
2つの映画を合わせると、最低限、10·26事件の進行過程について十分勉強になるはずだ。
改めて映画を観たら、2つの映画はだいぶ違って不思議~!
同じ事件なのに、監督によって違う表現がされているのは観る面白さもあるよね。