韓国のトンカツの特徴を紹介した前回の記事(リンク)に続き、今日は韓国の大好況期と呼ばれる1990年代の韓国の外食文化についてのお話だよ!経済成長は韓国のトンカツにどのような変化を与えたのか、そして韓国の “X世代” と “オレンジ族” の登場について調べてみよう!
人気ドラマ『応答せよ』シリーズで1988、1994、1997という年度の意味も分かるよ~(笑)
寿司とトンカツ、貧困の時代
日本の寿司と韓国の茶碗
前の記事(リンク)で、韓国の食糧不足による食堂の茶碗の大きさ制限(ステンレスの器)や粉食(小麦粉)奨励運動、それによるラーメンとジャージャー麺の流行、そして韓国酒がおいしくなくなった理由と独特のトンカツ文化まですべてつながっていることを確認した。
このつながりの核心キーワードは “貧乏” 。
韓国は皆さんが想像する以上に長い間貧しかったし、肉は一般の人が簡単に接することができなかったので、韓国スタイルのトンカツにも影響を与えたのだ。
これは韓国人がいろいろな “クッパ料理” を好んで食べることからも痕跡を見つけることができる。スープ料理は少量のメイン材料で満腹感を与えることができるから。
ドラマで貧しい生徒がお弁当を持って来られず、学校の水道水でお腹を満たす場面がよく出てくるほどで、“水でお腹を満たす” という言葉がよくあった時期だよ。
そのような環境の中で、肉をできるだけ薄く伸ばして量が多く見える効果を与えたのが韓国式トンカツなので、もっと高級部位(ロース)を使わなければならないヒレカツスタイルは発展が遅くならざるを得なかったのだ。ロースも高いのに、どうやってヒレを食べるの(笑)
1970~80年代の経済成長の時期になってようやく大衆化し始めたトンカツは、韓国人にとって “軽洋食食堂=レストラン=トンカツ=高級料理” というイメージが残るようになった。
ジャージャー麺が占めていた特別食の座をトンカツが占め、1980年代後半にハンバーガー、ピザと続く。
このように一国の食文化は経済力と農業生産力、そして所得水準まで多様な影響を受けているため、国ごとに食の種類は違ってもほとんど似たような発展段階を経ている。
特に、第2次世界大戦直後、深刻な食糧難で配給制を実施したり、飲食店の営業を制限した日本と非常に似ている。
日本の寿司の大きさや個数に影響を及ぼしたこの時期と1970年代の韓国のステンレス茶碗の時期が似ていると考えると理解しやすいだろう。
違いがあるとしたら、日本は金持ちだったがその後貧しくなり、韓国はただでさえ貧しいのにもっと貧しくなったことで克服に時間がかかったということかな?(笑)
ドラマ『応答せよ1988』タイトルの理由
朝鮮戦争以来、世界最貧国だった韓国は漢江の奇跡と呼ばれる経済成長を成し遂げ、1980年代からは少なくとも “食べることの心配” はなかった時期に入ったようだ。
特に1988年のソウルオリンピックを前後に韓国の多くのことが変わったが、外国人に韓国の貧しい姿を見せないために地下鉄や道路のような社会基盤施設から交通秩序や行列文化のような生活文化まで多くのことが変わった。
これがドラマ『応答せよ』シリーズで『応答せよ1988』が作られた理由だよ! 各シリーズの背景となる1988年、1994年、1997年ともに韓国文化大変革の時期なんだ。
江南(カンナム)の記事(リンク)で紹介したソウルの板村(貧民街)が大部分撤去され、韓国人が嫌いな食べ物の記事(リンク)のポシンタンの店も相当な数が強制廃業と移転ㅠㅠ。
今、多くの人がチキンを食べる漢江(ハンガン)の川辺の公園もこの時に出来たたため、川辺公園のすぐそばを通る道路の名前が “オリンピック大路” だ。
この時期は本当に短期間で天変地異レベルで多くのことが変わり、スリや組織暴力団も一斉に掃討された。軍事政権の時期だったから可能だったことで、急に世の中が清くなった感じというか?(笑)
1988年の韓国の人気ドラマ『人間市場』は、当時ありふれていた人身売買がテーマだったほど各種犯罪が蔓延していたが、この時期を前後に人身売買犯たちもすっかり掃討~(笑)
変化した韓国の外食文化
マクドナルドとX世代、オレンジ族と江南
文字通り、韓国社会全体が再整備(リセット)、アップグレードされた1980年代後半を経て、韓国は豊かな時代に突入した。
節約して空腹を我慢することが国家的使命だった時期を経て、経済成長の実を取る本格的な “消費の時代” になったのだ。
だから『応答せよ1988』の7話に出てくる韓国マクドナルド1号店の場面は、新しい時代を見せてくれる象徴のようだった。ジャージャー麺とトンカツの代わりに本格的な西洋風ファーストフードの登場を知らせたのだ。
ハンバーガー専門店を皮切りにピザハットのようなピザ専門店に、24時間コンビニの進出で生活パターンはもちろん食習慣まで急速に西欧化し始めた。
当然のことながらマクドナルド韓国1号店はソウル江南の狎鴎亭(アックジョン)支店だよ! “狎鴎亭現代アパート” がある本当の江南!(笑) (参考記事:リンク)
1990年代には浪費と贅沢がキーワードだった “X世代” と “オレンジ族” が登場するほど韓国経済は発展し、西洋文物が流入し韓国の食文化も急速に変化した。
続く好況でお金を稼いだ企業家たちの子どもたちや、不動産価格の暴騰で金持ちになった土地を持つ金持ちの子どもたちは、アメリカ留学派や在米韓国人が多かったが、彼らがまさにオレンジ族の中心だ。
当時は輸入果物がとても高かった時代だからアメリカを象徴するオレンジは富の象徴だった(笑)
韓国に進出し始めた海外有名ブランドのファッションを着て、江南のクラブで数百、数千万ウォンの酒代を支出していた文化が流行した狂った時期だった。
24時間コンビニ、24時間居酒屋も沢山出来て、一晩中遊んで食べる今の飲酒文化が本格的に始まる(笑)
さらに1989年から年齢制限(それまでは40歳以上のみ可能)なしに海外旅行が自由化され、あれこれ外国文化が押し寄せてきた時期だ。(軍隊に行っていない韓国人男性は2000年代前半まで制限)
映画『南山の部長たち』の解説記事(リンク)で説明した洋風ウイスキーの輸入禁止が解除されたのもこの時で、ウイスキーや海外旅行はすべて贅沢と規定して禁止だった。
食文化でも目新しい洋風は、洗練していて過去のものはダサいと思う認識が多く、ジャージャー麺やトンカツのような従来の人気料理は若い世代に忘れられていった。
子どもちと若い世代の人気料理から大人たちの思い出の食べ物になってしまったの。
イモ?アジュンマ?セルフサービス
日本人にとっては日本企業として知られているロッテグループのロッテリアの場合を見ても、当時のファーストフードの地位が分かる。
ロッテリア韓国1号店がオープンした場所は、韓国最高のデパートと呼ばれていたソウル小公洞(ソゴンドン)のロッテデパート本店だった。
1990年代に急増した支店によって上流層が好んでいた西洋風ファーストフードを一般人も味わうことができたのだ。
このように西洋式ファーストフードが元祖国家とは異なり、“高級料理” 扱いを受けている間に新しく導入されたもう一つの文化がまさに “セルフサービス” だ。
セルフサービスは、当時の韓国人にとってハンバーガーの高い価格よりも衝撃的な文化革命だった。
店員が注文を取りに来ないで直接注文台に行って並んで注文しなければならないシステムを、簡単に受け入れることができなかったのだ(笑)
韓国の食堂の象徴とも言える魔法の単語 “イモ(おばさん)”、“アジュンマ(おばさん)”、“ヨギヨ~(ここです・すいません)” が使えないから(笑)
食堂に座るやいなや、注文も取る前に水といろいろなおかずを出してくれる韓国の食堂文化を考えてみれば、その衝撃が理解できるだろう。
私がお金を払って食べるのに、自分が持ってきて自分で片付けるの?という反応だから(笑)
急速に流入した西洋文物は、単に人気料理の順位を変えただけでなく、韓国の生活文化を含む様々な伝統や固定観念を変えていった。
国家経済発展のために前だけを見て走ってきたこれまでの世代の場合、あまりにも速い時代変化の速度に適応できないため、あえて ”X世代” 、“オレンジ族” のような新しい名称を付けながら世代区分をするしかなかったのだ。
どの時代にも大人には理解しがたい最近の若者たちはいたけど、韓国の1990年代はその格差が一番大きかった時代だと言えるのだ。
最初のオリンピック開催、最初の非軍事政権(文民政権)、最初の経済大好況期を通じて社会、政治、経済ともに大変革の時期だった1990年代の韓国は狂ったように走っていた。
1988年のソウルオリンピックで始まった1990年代の韓国の大好況期について紹介したけど、次回は “水はセルフ” に象徴される韓国の “キンパ天国” の話でカムバックするよ~!