スポンサーリンク

韓国の外食文化 ドラマ『応答せよ』はなぜ1988年・1994年・1997年?

韓国グルメ

ペコム
ペコム

韓国のトンカツの特徴を紹介した前回の記事(リンク)に続き、今日は韓国の大好況期と呼ばれる1990年代の韓国の外食文化についてのお話だよ!経済成長は韓国のトンカツにどのような変化を与えたのか、そして韓国の “X世代” と “オレンジ族” の登場について調べてみよう!

おはる
おはる

人気ドラマ『応答せよ』シリーズで1988、1994、1997という年度の意味も分かるよ~(笑)

韓国のトンカツ解説シリーズ

韓国のトンカツにまつわる歴史や文化、社会背景を解説するシリーズ★
この記事と一緒に読むともっと理解しやすいです!

【韓国のトンカツシリーズ】
韓国の外食文化 ドラマ『応答せよ』はなぜ1988年・1994年・1997年? ←本記事
①日本と韓国のトンカツの違いは?
②韓国の深夜文化とキンパ天国&ペク·ジョンウォンを知ってる?
③韓国で一番有名なトンカツとSNS・行列文化

スポンサーリンク

寿司とトンカツ、貧困の時代

日本の寿司と韓国の茶碗

韓国初のラーメン “三養ラーメン” (左)、ご飯の量を減らすための食堂のステンレス茶碗(右)
出典:투데이신문한국일보

前の記事(リンク)で、韓国の食糧不足による食堂の茶碗の大きさ制限(ステンレスの器)や粉食(小麦粉)奨励運動、それによるラーメンとジャージャー麺の流行、そして韓国酒がおいしくなくなった理由と独特のトンカツ文化まですべてつながっていることを確認した。

このつながりの核心キーワードは “貧乏” 。

韓国は皆さんが想像する以上に長い間貧しかったし、肉は一般の人が簡単に接することができなかったので、韓国スタイルのトンカツにも影響を与えたのだ。

これは韓国人がいろいろな “クッパ料理” を好んで食べることからも痕跡を見つけることができる。スープ料理は少量のメイン材料で満腹感を与えることができるから。

ペコム
ペコム

ドラマで貧しい生徒がお弁当を持って来られず、学校の水道水でお腹を満たす場面がよく出てくるほどで、“水でお腹を満たす” という言葉がよくあった時期だよ。

韓国人が好きなクッパの順位(1位は骨付きヘジャンクク、2位はスンデクッパ、3位は豚肉クッパ、4位はカルビタン、5位は豆もやしクッパの順 放送局独自調査)
出典:다음뉴스

そのような環境の中で、肉をできるだけ薄く伸ばして量が多く見える効果を与えたのが韓国式トンカツなので、もっと高級部位(ロース)を使わなければならないヒレカツスタイルは発展が遅くならざるを得なかったのだ。ロースも高いのに、どうやってヒレを食べるの(笑)

1970~80年代の経済成長の時期になってようやく大衆化し始めたトンカツは、韓国人にとって “軽洋食食堂=レストラン=トンカツ=高級料理” というイメージが残るようになった。

ペコム
ペコム

ジャージャー麺が占めていた特別食の座をトンカツが占め、1980年代後半にハンバーガー、ピザと続く。

寿司1皿が2つの理由(左)1948年日本の密酒生産業者取り締まり現場(右)
出典:비즈니스워치네이버뉴스

このように一国の食文化は経済力農業生産力、そして所得水準まで多様な影響を受けているため、国ごとに食の種類は違ってもほとんど似たような発展段階を経ている。

特に、第2次世界大戦直後、深刻な食糧難で配給制を実施したり、飲食店の営業を制限した日本と非常に似ている。

日本の寿司の大きさや個数に影響を及ぼしたこの時期と1970年代の韓国のステンレス茶碗の時期が似ていると考えると理解しやすいだろう。

ペコム
ペコム

違いがあるとしたら、日本は金持ちだったがその後貧しくなり、韓国はただでさえ貧しいのにもっと貧しくなったことで克服に時間がかかったということかな?(笑)

ドラマ『応答せよ1988』タイトルの理由

ソウル清渓川の過去と現在の姿の比較(左)、漢江公園でチキンを食べる人々(右)
出典:네이버뉴스조선일보

朝鮮戦争以来、世界最貧国だった韓国は漢江の奇跡と呼ばれる経済成長を成し遂げ、1980年代からは少なくとも “食べることの心配” はなかった時期に入ったようだ。

特に1988年ソウルオリンピックを前後に韓国の多くのことが変わったが、外国人に韓国の貧しい姿を見せないために地下鉄や道路のような社会基盤施設から交通秩序や行列文化のような生活文化まで多くのことが変わった。

ペコム
ペコム

これがドラマ『応答せよ』シリーズで『応答せよ1988』が作られた理由だよ! 各シリーズの背景となる1988年、1994年、1997年ともに韓国文化大変革の時期なんだ。

ドラマ『応答せよ1988』でオリンピック選手団ピケットガールの練習中のドクソンの場面
出典:중앙일보

江南(カンナム)の記事(リンク)で紹介したソウルの板村(貧民街)が大部分撤去され、韓国人が嫌いな食べ物の記事(リンク)のポシンタンの店も相当な数が強制廃業と移転ㅠㅠ。

今、多くの人がチキンを食べる漢江(ハンガン)の川辺の公園もこの時に出来たたため、川辺公園のすぐそばを通る道路の名前が “オリンピック大路” だ。

この時期は本当に短期間で天変地異レベルで多くのことが変わり、スリや組織暴力団も一斉に掃討された。軍事政権の時期だったから可能だったことで、急に世の中が清くなった感じというか?(笑)

ペコム
ペコム

1988年の韓国の人気ドラマ『人間市場』は、当時ありふれていた人身売買がテーマだったほど各種犯罪が蔓延していたが、この時期を前後に人身売買犯たちもすっかり掃討~(笑)

1988年MBC放送局の人気ドラマ『人間市場』のタイトルシーン
出典:MBC [인간시장] 공식홈페이지

変化した韓国の外食文化

マクドナルドとX世代、オレンジ族と江南

1988年、韓国初のマクドナルド1号店(江南狎鴎亭店)オープンシーン(左)と現在のマクドナルド売場の様子(右)
出典:조선일보

文字通り、韓国社会全体が再整備(リセット)、アップグレードされた1980年代後半を経て、韓国は豊かな時代に突入した。

節約して空腹を我慢することが国家的使命だった時期を経て、経済成長の実を取る本格的な “消費の時代” になったのだ。

だから『応答せよ1988』の7話に出てくる韓国マクドナルド1号店の場面は、新しい時代を見せてくれる象徴のようだった。ジャージャー麺とトンカツの代わりに本格的な西洋風ファーストフードの登場を知らせたのだ。

ハンバーガー専門店を皮切りにピザハットのようなピザ専門店に、24時間コンビニの進出で生活パターンはもちろん食習慣まで急速に西欧化し始めた。

ペコム
ペコム

当然のことながらマクドナルド韓国1号店はソウル江南の狎鴎亭(アックジョン)支店だよ! “狎鴎亭現代アパート” がある本当の江南!(笑) (参考記事:リンク)

ドラマ『二十五、二十一』ナム·ジュヒョク(ペク·イジン役)がスポーツカーに乗って狎鴎亭洞(アックジョン)を通る場面
出典:다음뉴스

1990年代には浪費贅沢がキーワードだった “X世代” と “オレンジ族” が登場するほど韓国経済は発展し、西洋文物が流入し韓国の食文化も急速に変化した。

続く好況でお金を稼いだ企業家たちの子どもたちや、不動産価格の暴騰で金持ちになった土地を持つ金持ちの子どもたちは、アメリカ留学派在米韓国人が多かったが、彼らがまさにオレンジ族の中心だ。

当時は輸入果物がとても高かった時代だからアメリカを象徴するオレンジは富の象徴だった(笑)

韓国に進出し始めた海外有名ブランドのファッションを着て、江南のクラブで数百、数千万ウォンの酒代を支出していた文化が流行した狂った時期だった。

ペコム
ペコム

24時間コンビニ、24時間居酒屋も沢山出来て、一晩中遊んで食べる今の飲酒文化が本格的に始まる(笑)

저 세상 스웩;; 90년대 압구정 오렌지족 하루 ㅎㄷㄷ;;
1990年代のオレンジ族の様子を取材したニュース映像  出典:크랩 KLAB

さらに1989年から年齢制限(それまでは40歳以上のみ可能)なしに海外旅行が自由化され、あれこれ外国文化が押し寄せてきた時期だ。(軍隊に行っていない韓国人男性は2000年代前半まで制限)

映画『南山の部長たち』の解説記事(リンク)で説明した洋風ウイスキーの輸入禁止が解除されたのもこの時で、ウイスキーや海外旅行はすべて贅沢と規定して禁止だった。

食文化でも目新しい洋風は、洗練していて過去のものはダサいと思う認識が多く、ジャージャー麺やトンカツのような従来の人気料理は若い世代に忘れられていった。

ペコム
ペコム

子どもちと若い世代の人気料理から大人たちの思い出の食べ物になってしまったの。

1987年の海外旅行40歳以上の自由化実施後、1989年に全面自由化実施(それまでは50歳以上)
出典:경향신문

イモ?アジュンマ?セルフサービス

日本人にとっては日本企業として知られているロッテグループのロッテリアの場合を見ても、当時のファーストフードの地位が分かる。

ロッテリア韓国1号店がオープンした場所は、韓国最高のデパートと呼ばれていたソウル小公洞(ソゴンドン)のロッテデパート本店だった。

1990年代に急増した支店によって上流層が好んでいた西洋風ファーストフードを一般人も味わうことができたのだ。

このように西洋式ファーストフードが元祖国家とは異なり、“高級料理” 扱いを受けている間に新しく導入されたもう一つの文化がまさに “セルフサービス” だ。

ロッテリア韓国店舗数の変化(左)、1号店のオープンイベントの様子(右)
出典:비즈트리뷴

セルフサービスは、当時の韓国人にとってハンバーガーの高い価格よりも衝撃的な文化革命だった。

店員が注文を取りに来ないで直接注文台に行って並んで注文しなければならないシステムを、簡単に受け入れることができなかったのだ(笑)

韓国の食堂の象徴とも言える魔法の単語 “イモ(おばさん)”、“アジュンマ(おばさん)”、“ヨギヨ~(ここです・すいません)” が使えないから(笑)

食堂に座るやいなや、注文も取る前に水といろいろなおかずを出してくれる韓国の食堂文化を考えてみれば、その衝撃が理解できるだろう。

ペコム
ペコム

私がお金を払って食べるのに、自分が持ってきて自分で片付けるの?という反応だから(笑)

韓国人が食堂労働者を呼ぶ呼称(青-おばさん、赤-おばさん、緑-すみません、紫-社長)
出典:이투데이뉴스네이버뉴스

急速に流入した西洋文物は、単に人気料理の順位を変えただけでなく、韓国の生活文化を含む様々な伝統や固定観念を変えていった。

国家経済発展のために前だけを見て走ってきたこれまでの世代の場合、あまりにも速い時代変化の速度に適応できないため、あえて ”X世代” 、“オレンジ族” のような新しい名称を付けながら世代区分をするしかなかったのだ。

どの時代にも大人には理解しがたい最近の若者たちはいたけど、韓国の1990年代はその格差が一番大きかった時代だと言えるのだ。

最初のオリンピック開催、最初の非軍事政権(文民政権)、最初の経済大好況期を通じて社会、政治、経済ともに大変革の時期だった1990年代の韓国は狂ったように走っていた。

ペコム
ペコム

1988年のソウルオリンピックで始まった1990年代の韓国の大好況期について紹介したけど、次回は “水はセルフ” に象徴される韓国の “キンパ天国” の話でカムバックするよ~!

1990年代の韓国のX世代の姿をよく見せてくれた歌手PSY
出典:서울신문

タイトルとURLをコピーしました