ソウル江南(カンナム)シリーズ★ 江南を代表する有名なアパートとそのアパートが高い理由についての話、そして韓国のアパートの名前の作り方まで調べてみたよ!さっそく出発だ~!
日本人もたくさん知ってる場所が登場するよ。高速ターミナル地下街とロッテワールド♥
不動産伝説の始まり
土地金持ちと不動産投機
“行こう!江南へ” という標語でアピールするも誰も江南に行こうとしなかったので、前の解説記事1で紹介したように、各種官公庁移転に続いてソウルの名門高校をすべて江南に移した。
そして解説記事2の内容のように、江南の8学区がソウル最高の学区になり、住所を移す転入偽装まで流行したため江南の不動産価格は揺れ始めた。
農作業も難しい常習浸水地域が韓国最高の学区がある新式アパート団地に変わる過程でいわゆる “成金” も多く誕生した。
ただ農業をしていただけなのに、あなたも私も自分の土地を買うという状況になったのだ。
この時期の映画やドラマに不動産関連の金持ちがよく登場する。主に無知だがお金は多い地金持ちのおばさんの役割で(笑)
8282(パリパリ)の始まり 京釜高速道路
ソウル江南と釜山(プサン)を結ぶ全長428kmの京釜高速道路は大韓民国初の高速道路で、韓国経済発展の象徴のような存在だ。
この道路の完工により、ソウルと釜山を4時間20分で走破できるようになり、ソウル~釜山が一日生活圏になった。
この道路を知ったら韓国の歴史が見えて、韓国の文化とスタイルが見える。
単一路線で当時東洋最長の長さである京釜高速道路は1968年2月1日に着工し、総額430億ウォンの工事費をかけて1970年7月に竣工した。
もう一度お伝えすると、“東洋最長の長さ”
ところで時期はいつ? 韓国がとても貧しかった1968年の始まり。
いつ完工だって? 1970年(笑)
京釜高速道路の総工事期間は2年5ヶ月で、当時の世界の道路史上最短工事期間を記録したが、建設費は総額430億ウォンという最小費用。
これが韓国スタイルだ(笑)
江南スタイル以前の韓国スタイルのフレックス!!! (笑)
このブログの南山の部長たちの記事3やジャージャー麺の記事を読んだ方たちはお分かりだと思うが、この時期、韓国では食べる米がなくて国が小麦粉を食べるよう強制していた時期だ。
当然、経済的にも技術的なインフラが全くなかった時期だったので、韓国内部でも高速道路建設に反対した。
しかし、当時西ドイツを訪問した朴正熙(パク·チョンヒ)大統領は、世界的に有名なドイツのアウトバーン高速道路に惚れ、短い路線から進めようという参謀たちの反対にもかかわらず、ソウル~釜山路線に固執し、国際開発銀行の借款支援も確実でない状態で “先に進めた” 。
韓国スタイルに独裁者が加わると、どんな結果が出るのかを見せてくれた(笑)
当時、韓国は高速道路自体を建設した経験もなく、予想費用さえきちんと算出できないほどだったが、韓国の北側には北朝鮮がいて、それで韓国には軍隊があり、その軍隊には軍人が多かったからこそ可能だった無謀な挑戦。
それから、”なんでダメなの?”、”まずやってみて”、”やってみた?” で象徴される人物、”鄭周永(チョン·ジュヨン)” が韓国にはいた。
年配の日本人なら覚えているかもしれない現代グループ会長の鄭周永(チョン·ジュヨン)。
当時の現代建設の会長だったこの人の名前を覚えておいてほしい。
韓国現代史で必ず知っておくべき重要ポイントの 現代+鄭周永(チョン·ジュヨン)!
韓国の建設会社と韓国軍工兵隊のすべての重装備を駆使しても足りなければ外国からつけで装備を購入し、足りない建設人材は残った軍人で解決しながら “漢江の奇跡” と呼ばれる韓国経済成長の始発点が作られた。
一部の富裕層以外には乗用車もなかった時期だったので、開通当時の京釜高速道路は大きな効用性がなかったが、10年余り経ってからは非常に重要な役割を果たすようになり、韓国経済成長の象徴の一つである高速道路だ。
明があれば暗があるように、この時期の海外借款支援金額が足りなくて日本からもらった “対日補償請求金” と過去の歴史の清算問題は今でもニュースによく登場するネタになってしまったㅠㅠ
惜しみない投資 ソウル地下鉄
このように完成した京釜高速道路を活用するための高速バスターミナルがソウル江南に建設され、その地下には最近外国人観光客が多く訪れる高速バスターミナル地下商店街と、ソウル地下鉄2号線まで社会基盤施設インフラが段階別に追加され、江南の不動産神話の基礎が作られていった。
そのうち東京の山手線に似たソウル地下鉄2号線は、江南とソウルの重要地域がつながり、神の一手と呼ばれるほどの黄金路線だった。
むやみにアパートと学校だけ建てて強制したのではないよ(笑)
江南を象徴するアパート
サムスンではなく現代
1970年代初め、全世界を襲ったオイルショックによる経済危機の状況だったが、不動産に関してはむしろ好材料だった。物価暴騰で貨幣の価値が下落し、不動産の価値が暴騰したから。江南の開発と不動産ブームが起きたまた違う理由のひとつ。
そうやって社会基盤施設の拡充、江南8学区の成功、韓国型アパート団地の登場による人口増加と共に、江南の地位はますます上がり、今は富の象徴とも言える地域になった。
江南開発の初期と比べてみると、どんな写真を見ても天と地の差。
さっき紹介した名前、忘れてないよね?(笑)
現代と鄭周永(チョン·ジュヨン)。
今は韓国を象徴する企業として当然、サムスンを挙げるが、この時期は現代(ヒュンデ)だった。
特に独裁者の朴正熙と鄭周永会長は似たようなスタイルが多く、国家的事業のほとんどには当時の現代建設が先頭に立った。
京釜高速道路建設のとんでもない神話は、鄭周永会長がいなかったら不可能だったかも知れない事業だった。
無謀な挑戦だが、会社の利益を考えずに駆けつけて、特有の強力な推進力で押し通して作り出した成果なのだ。
この人の神話はまた別の記事で扱うよ!狂った人だよ(笑)
今振り返ると、独裁政権の手下と呼ぶこともできるし、当時を思えば国家のために率先して乗り出す模範企業と呼ぶこともできる現代建設は、そのように朴正熙政権と共に現代韓国を育てていった。
このように先頭に立ってくれる現代グループが、政府の立場ではとてもありがたく、可愛がらざるを得ないでしょ?
国家が困難な事業には現代グループが先頭に立って、それにともなう補償を国家が用意する政経癒着の構造が定着せざるを得なかったのだ。
今、じゃあ、もしかして?と思った方たちは気が利く人たち(笑)
ソウル江南の開発にも現代グループは政府とともに無謀な挑戦を共にし、それに伴う報い?で江南の土地の中で最も充実した区域を占めることができた。
その土地に建てられたアパートが江南区狎鴎亭(アックジョン)洞の現代アパート、”狎鴎亭現代(アックジョンヒョンデ)” と呼ばれるアパートだ。
1976年に建てられた第1、2次アパートから、1987年に建てられた第14次アパートまで、約15万坪を超える敷地に計6335世帯。
当時は一般的だった5人世帯を基準にすると31,000人、3人世帯を基準にしても19,000人が居住するところ。
ソウル江南区に小さな現代王国が建設されたのだ。韓国で最も有名なアパートの誕生。
狎鴎亭洞現代アパート
江南開発の象徴のような上の写真に出てくるアパートが狎鴎亭現代アパートだ。開発初期は本当に新都市?と呼ぶのも恥ずかしかった環境だった。
江南解説3の記事の内容のように、オンドル暖房を使う韓国型アパートが登場し、庶民のための賃貸アパートではなく中産層のための民営アパートに流れが変わった。
しかし、現代建設は江南の最も核心区域の土地を占めていた。江南の中でも川辺、漢江が目の前に見えるリバーサイドビュー。
現代建設ではここに中産層ではなく上流層のための最高級アパートを大量に建設した。
「漢江が見下ろせる狎鴎亭現代に来てください~」
ちょうど1976年に「住宅建設促進法」が改正され、500世帯以上のアパート団地には必ずテニスコート、プール、バレーボール場といった運動施設を義務付けるよう強制する措置が施行されたが、これも江南とともに誕生した規定と見られる。
何もない荒れ地にマンションを大量建設したので、住民の文化生活ができるようにしようという意図。
結局、初期の庶民のアパートで重要だったオンドルや甕台問題といった単語は消え、すでにこの時代からリバービュー、プール、テニスコートのような上流層の単語が登場したのだ。
下の写真は数年前に韓国で話題になった狎鴎亭現代アパート80坪型の平面図だ。
30坪から80坪の間の種類がある団地だったので、80坪は数が多くなかったが、1970年代の韓国の経済状況を考えると、30坪だけでもすでに大型だった。
その中で一番大きな坪数である80坪型の平面図だが、7つの部屋と今の基準でも洗練された構造が話題ではあったが、一番目を引いたのはキッチンの方に “家事手伝い” のための部屋が話題だった。
漢江の夜景が見える寝室7つの家で、家に常駐する家事手伝いが作ってくれる夕食を食べる人生。
これ以上、江南は韓国庶民のものではなく、その中心には狎鴎亭現代アパートがあった。
江南三大将の登場
1988年ソウルオリンピックと江南3大将
韓国の富豪の象徴とも同じだった現代アパート特有の黄色の塗色も徐々に色あせて始めたころ、韓国では1986年のソウルアジア大会と1988年のソウルオリンピックが開催された。
短期間で超高成長を成し遂げた韓国が「もう十分食べていける!」を全世界に見せるイベント。
しかし、最高裁の江南移転のような長期計画も1つ2つと完了し、人口が集中し、1980年代の江南はすでに飽和状態。
江南の拡張が必要な時期が来たのだ。1975年に設置された江南区の左右に1988年に瑞草(ソチョ)区と松坡(ソンパ)区が追加された。
その後、この3つの区を韓国では、”江南3大将(강남 3대장)” と呼ぶ。
ソウル不動産3つの大将という表現で、今でもニュースにほぼ毎日登場する表現。
この時期の江南区の左・瑞草区に移転したのが最高裁と検察庁で、右の松坡区に新しく浮上した地域が今の蚕室(チャムシル)だ。
皆さんも行ったことがある蚕室(チャムシル)ロッテワールドとロッテタワーがあるところ! (笑)
韓国不動産の大将たち! (笑) 今は東にもっと拡張されて江南4大将だよ。
ソウルオリンピックのために訪れる外国人に江北(カンブク)の旧都心を見せることはできないから、新しく造成された江南がメインプレイスにならなければならなかった。
オリンピックのメインスタジアムと各種競技場、そしてオリンピック選手村を建設する広い土地が残っているのが江南区の東側で、そこが今の蚕室(チャムシル)。
特にオリンピック選手村の場合、外国人に韓国の経済成長を知らせることが目標だったので、最先端設計のアパートを建て、オリンピック以後の人気はすごかった。
既存のマッチ箱型の建物をまっすぐに埋めた効率性だけを高めたアパートから、オリンピック公園の広い自然と各種競技場まで調和したアパートだったので不動産価格は大爆発~
蚕室(チャムシル)はあっという間に江南3大将の座を占めた。
汝矣島(ヨイド)? 蚕室島(チャムシルド)?
ちなみに江南の記事1で何て言ったっけ? 江南は常習浸水地域だった!
特に蚕室(チャムシル)地域は漢江の水流が分かれて流れていた場所で、江南開発前の蚕室の名称は “蚕室島(チャムシルド)” だった。漢江の大きな島。
漢江の水流を1つに集めて、下の方は塞いで今の蚕室(チャムシル)と松坡(ソンパ)区になったのだ。
国会議事堂のある汝矣島(ヨイド)の名前が汝矣 “島” であることも同じ理由。
この時、漢江の残りの水流の一部を残した場所が蚕室ロッテワールド前の石村湖だよ。蚕室は元々、島だったんだよ~!(笑)
現代ではなくサムスン
サムスンが作れば違います
ソウルオリンピックが終わって1990年代に入ると、韓国経済は超高速成長した。
皆さんもよくご存知の時期。日本のバブル崩壊、失われた30年の始まり。
日本のポストに代わり始めた韓国経済とサムスン電子。
朴正熙時代に集中的に育てた重工業中心の経済構造が、半導体と電子産業中心に改編され、サムスングループが急成長し始める。
建設業でもサムスンは急速に成長し、既存の第1人者の現代を狙い始めた。
今まで韓国人にとってアパートの代表は “現代” であり、現代アパートという名前だけで富の象徴だったので特別な修飾語は必要なかった。
現代アパート1次、2次… サムスンアパート1次、2次… 建設会社の名前がそのままアパートの名前だった。
現代建設を追撃していたサムスン物産の建設部門は2000年、韓国初のアパートのブランドを作った。その名も “レミアン(來美安・RAEMIAN)”。
韓国の多くの分野で1位だったサムスンはグループのイメージを生かしてアパートにも高級化・差別化戦略を始めたのだ。
未だに韓国人に刻印されているサムスングループの広告コピーがある。
「サムスンが作れば違います」
韓国のアパート名が長くなった理由
レミアンアパートはサムスングループのイメージと爆発的なシナジー効果を起こし、単純にブランド価値だけが上がったのではなく、アパート価格を実際に上昇させる要因になると、誰もがアパートブランドを作り始めた。
既存の古いアパートさえ建設会社の名前ではなく、新しいブランドに名前を変えれば、住宅価格が上昇する寸劇が起きるほどだ。
そうしているうちにアパートのブランドネームはますます高級に~もっと高いふり~をしようとしたし、現在、韓国のアパートの名前に国籍が分からない外国語と意味の分からない英語の長い名前が始まったきっかけだ。
アパートが全財産であり、唯一の投資対象だから起きたことだろうㅠㅠ
おまけ★韓国のアパートの名前の作り方
アパートの販売価格のせいで高級で高そうな感じで名前を作ってみたら地域+建設会社の名前くらいで、最近は韓国人も紛らわしい水準になった。
レミアンで始まったこの正体不明の流行にも一定のパターンがあって、あるネチズンが載せた韓国アパートの命名法を紹介してみる。
近くに何もない = ザ·ファースト TheFirst
近くに4車線以上の道路がある = セントラル Central
近くに川や湖がある = リバー River, レイク Lake
近くに海がある = オーシャンビュー OceanView、マリーナ Marina
近くに公園がある=パーク、パークビュー ParkView
近くに山がある = フォーレ Forest 略語
近くに電車の駅がある=メトロ Metro
近くに学校がある = エデュタウン EduTown
近くに老朽化した建物が多い=シティ City
実はこれくらいなら基本だし、今は英単語を減らして組み合わせまでしてみたら英語が分かっても意味が分からない(笑)
次の記事では、まだ終わっていない江南の伝説について話すよ!これは始まりに過ぎない!!(笑)お楽しみに~★