韓国の姓と本貫
「金・李・朴・崔」の誕生 新羅の始祖説話
韓国には ”南山から石を投げれば金さんや李さんの庭に落ちる(남산에서 돌을 던지면 김씨나 이씨 마당에 떨어진다)” という諺があるよ。それだけ昔から金さんや李さんが多かったっていう話。
姓(名字)が多い日本とは正反対だけど、何か特別な理由があるの?
韓国の名前についても一緒に話してみよう!
2015年の調査結果の資料を見ると、韓国の姓(苗字)には金(キム/김)、李(イ/이)、朴(パク/박)、崔(チェ/최)だけがいるのではない。 韓国にある姓は計5,582個。個人的にはすごく驚いた。
「韓国にこんなにたくさんの苗字があったの?!」 韓国人として体感していたより多かったんだ。
それでも、5,582個の姓のうち、金、李、朴、崔の割合が49.3%、鄭(ジョン/정)、姜(カン/강)、趙(チョ/조)、尹(ユン/윤)、張(ジャン/장)、林(イム/임)までの10大姓を含めた割合は全体人口の63.9%だから、本当に韓国人の2人のうち1人は金、李、朴、崔で合っているんだよ(笑)
日本で最も多いという佐藤、鈴木、高橋の割合がそれぞれ1%台であることを考えると、韓国の姓は非常に集中しているし、中国の有名な姓の、李、王、張の割合もそれぞれ7%程度であることを比較しても、韓国の姓の割合は珍しい。どうしてこんな差が生じたのだろう?
古代中国で初めて使われたと推定される「姓」が韓国で本格的に使われ始めたのは、新羅末期から7世紀頃にかけてと考えられている。
当時、中国(唐)では姓を除いて名前だけ呼ぶと無礼だと思う文化があり、唐との交流が活発だった新羅(신라)が自然に受け入れたという学説だ。
最初は貿易商人、外交使臣、儒学者を中心に中国の名門家の姓を使い、その後、新羅の誕生説話に登場する3人の始祖にも姓を付けはじめ、韓国式の姓が誕生したと推定される。
3人の新羅の始祖の名前が最初は、「赫居世(ヒョッコセ/혁거세)」、「閼智(アルヂ/알지)」、「脱解(タレ/탈해)」と記録されたが、ある時点から姓がついて記録されたのだ。それぞれの誕生説話の内容に合わせて、箔(植物)の形の卵から生まれた「朴(パク/박)」赫居世(ヒョッコセ)、金箱から生まれた「金(キム/김)」閼智(アルジ)、石墓の内容にまつわる説話がある「石(ソク/석)」脱解(タレ)。
国の始祖に姓を付けたら、その子孫の王族や貴族たちも同じ姓を使っていたはずだから、その時までは主に上流階級の人々と中国と交流する貿易商、外交使臣を中心にのみ姓を使っていたと思われる。 だからほとんどは、 依然として名前だけであった。
新羅王族の姓だった金氏と朴氏が最も古いから、それが現在もこの姓が多い理由の1つなのだ。
「姓の本貫の始まり」高麗王建
本格的に姓の使用が増えたのは、高麗を建国した太祖·王建(テジョ・ワンゴン/태조 왕건)が王権強化のため地方に貴族と開国の功臣に自身の王氏の姓を与える四姓制度(사성제도)を施行してからだ。
建国初期だから、反乱を起こす力のある新羅の人々が多く残っているはずだから、”僕と同じ姓を使い味方を作る”という目的だよ!
その時、それぞれに土地(地域)を分け与えたものを土姓分定(토성분정)というんだけど、当時は姓の種類が少なくて、ほとんど王氏や新羅の金氏、朴氏だったから、自分が住む地域を追加で表現して区別したのが本貫(ほんかん/본관)の由来と見ることができる。
確かなのは、このときから姓の存在が “特権層” という区切り点になり始めたことだ。
「下る道は分からない」 両班時代の朝鮮
高麗が滅び、太祖·李成桂(テジョ イ·ソンゲ)の朝鮮時代が始まり、本格的に身分が分けられ始める。王族の下の貴族は文官と武官の両班(ヤンバン/양반)に分かれ、平民は中人と商人に、その下は賎民と、大きく6つの階層に分けられた。
朝鮮時代には “科挙試験” を受け、文科や武科に合格すれば両班という身分の格上げが可能だったが、その身分が固定ではなく合格者本人の世代を含め、普通4世代までを「両班」として認めていたという。
4世代以内に科挙試験の合格者を輩出しなければ両班になれないため、教育熱が高まったものの、科挙試験が難しいので、今で言う1浪や2浪、3浪が溢れたのだ。
ここで複雑な状況が発生する。
“両班じゃないのに両班の人”、“両班じゃないのに両班のふりをする人”
4世代の中に合格者がいなくなった場合の明確な規定もなく、ちょっと前まで高位官吏がいた家をある日突然平民扱いすることも難しい。つまり、一種の「意地」と「粘り」が蔓延していたのだ。「猫も杓子も両班の時代」。
高麗時代の姓が主に王から授けられた下賜品の性格だったとすれば、朝鮮の場合、それぞれの家系と血縁を象徴する姓の使用が一般化したが、その勢力の範囲を拡大してこそ両班の「維持」に有利になるのだ。
範囲を拡大するってどういう意味?
試験に自分の家系から1人で受けるより、何人かで受けたほうが合格確率が高くなるからね。「うちの家族」の範囲を広げるんだよ。 連合の結成っていうか? (笑)
今で言うと公務員採用試験である “科挙試験制度” は、身分の差別なく公平な機会を与える良い制度ではあるが、“身分制度” による差別のあった社会的側面から見れば、両班という上位階層を爆増させる原因にもなり得るのだ。一度上がった人たちは下りてこないのだ。
上位階層から下りたくないから、家柄概念の姓を中心に団結して、本貫がさらに重要になるのだ。うちの4世代には両班がいないけど、私の地域のような姓の家(本貫)は両班がいるから、私も両班という論理だ。
姓の概念が身分制度と結びつき、姓と本貫は身分を区別する概念として使われたのだ。
身分を下げない両班のせいで朝鮮の両班の数は増加していき、朝鮮初期には2~5%だった両班の割合が17世紀には10%を超え、18世紀には急増し、その後70%まで占めてしまう。この現象の始まりは空名帖(コンミョンチョプ/공명첩)の発行がきっかけだった。
1592年の壬辰倭乱(文禄·慶長の役)で国家財政が底をつくと、名前の部分が空白になっている公務員の身分証を販売し始めたのだ。それで名前が空名帖(コンミョンチョプ)。
政府としては、空名帖の販売収入+税金納付者数増加の効果を期待したのだ。(平民、賎民はもともと税金を納めない)
その後、経済が回復すれば良かったものの、1636年の丙子胡乱によって財政はさらに破綻、大飢饉まで重なり、空名帖の販売なしには持ちこたえられなかった。
誰もが空名帖を買いはじめ、姓のなかった人も空名帖に書くための新しい姓が必要で、この時に、伝統のない新しい姓を作るよりも、名門家の姓によって既存の身分を隠そうとしただろう。
その厳しい時期にも両班たちは権力と財力を独占し、それを支えるべき経済活動人口である下層民の数は減っているので、苦痛を強いられた平民と賎民たちが耐えることができずに系図を偽造したり系図売買を始めたりして、とうとう賎民を見つけにくい程までに至っていたのだ。まさに身分制度の崩壊。
結局、朝鮮は長い間持ちこたえられず、日本による強制併合とともに1909年「民籍法(戸籍法)」の施行で、残っていた平民、賎民まで、全国民は強制的に姓を登録しなければならなかった。
村全体が同じ姓で登録したり、両班家の奴隷の場合、主人の姓に従い、一度に登録する場合も多かったというから、この時もどの姓が人気だったかは明らかだ。
日帝強占期の収奪と朝鮮戦争の北朝鮮軍の地主探しを避けるために、系図を破棄したり隠れるしかなかった既存の名門家たちの状況まで考慮すると、韓国での姓と系図は今となっては大きな意味はないと思う。
北朝鮮軍の地主探しって何?なんで避けないといけないの?
共産党はみんなが公平じゃないとダメだから、土地を独り占めしている “地主” は民衆の敵!この当時は日本植民地時代のように財産だけ取り上げられるんじゃなくて、命が危険だったよ。処刑される人も多かったし。
金・李・朴・崔 姓の人気
日本の苗字との違い 金・李・朴・崔に集中した理由
初期には日本で平、源氏といった氏(うじ)の概念のものとして用いられた新羅の金・李・朴のような姓が、高麗時代に王氏が加わり、本貫を使って家族集団を区分した日本の名字と類似して使われ、朝鮮時代には日本の江戸時代の武士階級に一定の特権を与えていた苗字帯刀のように、両班に特権が与えられ姓の変化の流れ自体は日本と大きな違いはなかったと思われる。
結局、急にこんな偏り現象が生まれた最も大きな違いを生み出したのは、空名帖と両班制度。
科挙試験や両班という身分制度により、姓と本貫の意味が重要になり、空名帖の販売、系図の偽造、民籍法の施行により名前を登録する際、当時の王族や有名な家の姓として登録すれば、身分の洗濯ができ有利なため、特定の姓の人気が高かったといえる。
特異点としては新羅の王族である金と朴、朝鮮の王族である李氏は人気があったが、高麗時代の王氏はほとんど消えた点だが、これは新国家の出発形態によるものと理解すれば良いだろう。
高麗の場合、高句麗を継承することが目標だったが、新羅を統合するために和合の政策を施行した反面、朝鮮の場合は、高麗の忠臣の反対の中で開国したので、高麗時代の王族である王氏のほとんどは姓を変えるか隠さなければならなかった。
本貫まで細分化すると、新羅時代の地域の慶州金氏、金海金氏、密陽朴氏、慶州崔氏、慶州李氏らに朝鮮時代の王族の全州李氏と朝鮮の新興名門家だった安東金氏らが加わり、今の金・李・朴・崔の韓国を作ったのだ。
お互い公平にみんなが偽系図だったり、みんなが王族の末裔だと思った方が気が楽だと思う(笑)
金海金氏440万人、密陽朴氏310万人、全州李氏260万人、慶州金氏180万人。4つの本貫だけでも1200万人を超える現在の構造は、もうこれ以上説明する方法がないよ。
本当に多いね。 みんなが家族って感じ?(笑)
外国から来た姓と外国へ行った姓
もちろん、代々家門の伝統を守ってきた実際の「名門家」たちも残っているが、祖先のルーツを探すのは非常に難しい現実なので、むしろ少数の姓が血統そのものは真実に近いという意見もある。
外国に流入した姓には、ベトナム王族の子孫である花山李氏、明の将軍の子孫である上谷麻氏、アラブ人将軍の子孫の徳水張氏、モンゴルの薛氏、仁氏、オランダの南氏などがいる。
個人的には、むしろ信頼性が高いと思っているのが、韓国の有名俳優であるチャン·ドンゴンさん。彼を見るたびに思う。
誰が見ても東洋人の目つきと鼻じゃなくない?あの深さとあの高さ!私がチャン・ドンゴンさんの家は本当に徳水張(トクス・チャン)氏だと信じている理由(笑)
そして最近のウクライナ侵攻のニュースを見て知ったのは、中央アジアにあるウズベキスタンとカザフスタンの姓の数の1位が “KIM” だということ。
ウクライナの激戦地ミコライ州知事のインタビューで、名前はヴィタリ·キム? 髪が黒? それで、ウクライナになぜKIMがいるのか探してみたら、ウズベキスタンとカザフスタンにはKIMさんがもっと多かった!
日本の植民地時代に、日本の北方領土であるサハリン地域や中国の満州地域に強制徴用された朝鮮人たちが、植民地支配からの解放後に戻ることが出来ずに残され、ロシアでは高麗人という名称でカレイスキ(Коре́йский)、カレイチ(Коре́йцы)と呼ぶことはよく知られていた。
その高麗人の多くが旧ソ連時代に中央アジアに強制移住させられ、彼らの子孫のおかげで現在1位の姓が “KIM” になったという少し悲しいストーリー(ㅠㅠ)。
でも高麗人は少数民族だったはずなのに どうやって1位になったの?元々いた国の人たちは?
理解できなくて探してみたところ、高麗人たちは韓国と同様に父が金氏であればその子も金氏で、その孫も金氏になるのではなく、中央アジアでは全く違う方式で姓を作っていたのだ。
父親の名前を子どもの姓で受け継ぐ方式だが、「父親の名前+(息子、娘)」の組み合わせが子どもの名前になり、その子どもが孫を産めば、「子どもの名前+(息子、娘)」という方法。
つまり現地人の場合には姓が新しく変わり続ける方式で、同じ姓を継承する方法でKIMさんが1位を占めたということだった(笑)
朝鮮時代には自身の賤しい身分を隠すために利用した韓国の姓が、遠い外国では少数民族に対する差別を受け入れ、守ってきたのを見ると何だか皮肉かもしれない。
名前と姓が何だっていうのか…
「AAAの息子BBB」お父さんの名前なら、お子さんの名前は「BBBの息子CCC」という感じかな?何か複雑だけど結論は、姓がずっと追加されたり変形する方法だよ(笑)
韓国の姓について調べていたら、私も新しいことを学んだよ。次回は韓国名の命名法について話すよ! みんな、お疲れさま!
おすすめ映画
ここまで読んでくれてありがとう!
次の記事では朝鮮時代の歴史ドラマに出てくる名前を紹介するよ!