前回の記事では、朝鮮半島に人が住み始めた先史時代から、高句麗・百済・新羅の三国統一、そして統一新羅時代まで習ったよ!
今回は「高麗時代」!前回の記事をまだご覧になっていない方は、そちらからご覧ください!
高麗時代/고려시대
後三国を統一した高麗の王建は地方の豪族出身で、高句麗を継承しようとしました。だから名前も高麗(コリョ)。高麗は高麗青磁や高麗人参などで世界各国に名を馳せます。この時知られた名前が今使っている韓国の英語国号「korea」です。
日本とは勿論、アラビア地域とも活発に貿易していたよ!アラビアを通じて英語の名前が西洋に知られたらしい!
高麗建国初期は、後三国時代の混乱を治めるために、各地にいた勢力を持つ豪族たちと婚姻関係を結んだり、王の苗字を与えたりして王権確立を図りました。しかし王族が多くなってしまったせいで、初代・王建(ワンゴン/왕건)の死後に王権争いが続いてしまいます。
そこで、4代目の光宗(クァンジョン/광종)は、高麗の建国過程で無理やり奴婢にさせられた人を解放したりして、豪族の弱体化と王権強化を図りました。また、科挙制度(今で言う公務員試験)を導入したり、金属活字や高麗青磁、仏教文化も発達するなど、統一新羅時代より全体的な国家体制が整備されていきました。
“高麗青磁”は聞いたことある~!綺麗な色の焼き物!
八万大蔵経と世界初の金属活字も有名だよ!
高麗時代のポイントは 、“仏教”、”外国からの攻撃”と “支配勢力”です。
高麗の中期は、王族と姻戚関係を結んだ家門が貴族化し、王権争いや武臣に対する粗末な扱いが続き、武臣たちがクーデターを起こし、武臣政権が発足します。
しかし武臣集権期も政権交代が続いたため、国力が弱くなり、元(モンゴル)の侵略につながります。
高麗時代は、契丹、女眞、元、紅巾賊、倭寇などからの侵略に苦しめられることとなりますが、中でも当時全世界から恐れられていた元に一時的に支配下に置かれるようになり、今の韓国には様々なモンゴルの風習が残っていたりもします。
元が高麗を支配したこの時期を「元の内政干渉期」と呼びます。
韓国の屋台のおやつ「ホットク」や、韓国の伝統的な結婚式の時に女性が顔に付ける「赤のマーク」も当時のモンゴルの影響だよ。
高麗時代の終わり頃、元からの内政干渉を受けていましたが、14世紀に元から明に変わるタイミングで、高麗の31代目の王・恭愍王(コンミンワン)が大きな改革を実行します。
親モンゴル派を粛清したり、モンゴル風の禁止、儒学の強化、科挙試験を整備など…弱っていた王権を復活させようと試みるも、既得権を持っていた親元(モンゴル)勢力、権門勢族と仏教勢力によって恭愍王の改革は失敗すると、高麗政権は改革を望む新進士大夫と対立し、国力が弱くなります。
高麗末、有名な将軍の李成桂(イ・ソンゲ)は、1388年、高麗を脅かしていた明を討伐せよという指示を受け明に向かいますが、“すでに大きく成長した明を攻撃することは、むしろ高麗がやられる”と考え軍を撤収させます。
中国との国境地域である鴨緑江の小さな島、威化島(ウィファド/위화도)から折り返してきたので「威化島回軍」と呼ぶ事件です。この時に明を攻撃していたら、今の韓国はなく中国になっていたかもしれません。
朝鮮半島の歴史において、本当に重要で試験にもよく出る部分だよ!
李成桂(イ・ソンゲ)、威化島回軍、朝鮮建国は絶対覚えてね~!
高麗にはもう希望がないと考えた李成桂(イ·ソンゲ)が軍事反乱を起こし高麗王朝を崩壊させ、1392年に建てた新しい国家が朝鮮です。
この時、李成桂(イ·ソンゲ)を手伝い、新国家の建設を主導した人が鄭道伝(チョン·ドジョン/정도전)を代表とした高麗の新進事大夫たちです。
高麗時代の学習は、以下のように支配勢力で4つの時期に分けて勉強すると良いでしょう。
918年から1392年まで474年間続いた高麗時代をざっくりまとめてみたよ!次の記事は朝鮮時代からだよ!