ナヒド母娘の和解 “恋しさ” よりは “寂しさ”
父の墓地でナヒド母娘は心を開き、これまでの誤解を解いた。
나 사실, 네 아빠가 너무 보고 싶어. 너무 그리워
ドラマ『二十五、二十一』(2022)シンジェギョン
私、あなたのお父さんに会いたい。すごく恋しい。
ヒドにとっては “お父さん” だったが、お母さんにとっては ”夫“ で “恋人” だったことを、ヒドも知らないはずがないから、初めて感情を表したお母さんの涙で心を開いたわけではなかったはずだ。
木工所で母親が修理に出した椅子を見つけた場合、”私” と “母” が “同じ思い出” を、”同じ人” を大切に思っているという “共感” のためだったと思う。
これまでヒドが悲しくて辛かった理由は父に対する “恋しさ” よりは私だけが恋しんでいるという “寂しさ” だったはずだ。
母シン·ジェギョンも辛く、寂しかったし、お父さんを恋しんだという涙の意味が理解できるようになり、ヒドは13歳から脱しつつあるのだろう。
気丈で強い情熱でフェンシングを守ってきたヒドのように、母さんもよく耐えてきて、似たような人生を歩んできた。保証詐欺エピソードのコ·ユリム母娘は、悲しみと辛さを1人でいやしながら慰めるスタイルが似ており、自主退学エピソードのチ·スンワン母娘は、堂々としていて元気なガールクラッシュの感じが似ている。3母娘のスタイルを比較する楽しさもある(笑)
ムン・ジウンのTシャツの秘密
学生たちの大歓声の中、堂々と登校したムン·ジウン。
ジウンが着たシャツは友達に人気だったけど、学生主任にはそうはいかなかった。
ジウンは学年主任に暴力を受け、スンワンは不当さに耐え切れず警察に通報した。しかし、警察は何も解決してくれず、大人たちに失望したスンワンは大変な決断を下すことになる。
スンワンは元々正義感がかなり強く、学年主任は元々暴力教師だったが、それでもジウンのTシャツが何もこんなに事を大きくしたのだろう。
ジウンが登校する時、生徒たちはなぜ歓声を上げたのだろうか。
話は再び脱獄囚のシン·チャンウォンの検挙シーンに戻らなければならない。
華麗な逃走劇を見せたシンチャンウォンは1999年7月16日に逮捕された。
2年6ヵ月間の闘争に終止符を打ったのは、全羅南道順天(チョルラナムド·スンチョン)のガスレンジ修理技師、金ヨングンさん。
15万人の警察も解決できなかったシン·チャンウォンの検挙に導いたキムさんの能力が、通報電話の内容に盛り込まれている。
通報の内容を整理してみると、
順天のあるアパートにアフターサービスをするために訪れた。
真夏なのに男性が帽子を被っていて怪しさを感じた。
若い夫婦が住む家だが、結婚写真がない。(当時は新居に結婚写真が流行っていた)
ビニールがついたままの新しい家具が多い。
運動器具がいっぱいの部屋が1つある。
(シンチャンウォンは100m走12秒でボクシングをしていた)
念のため再訪問したが、顔が似ている。
管理事務所に行って確認したら、家の名義が女性になっていた。(当時はほとんど男性名義)
不動産に行って入居過程を確認したが、全額現金で購買(融資がないので怪しい)、売買契約を結んだ翌日すぐ入居していた。(普通は元々住んでいた家の関係で入居には時差があるから)
ここまですれば、もうほぼ捜査官(笑)
シンチャンウォンを警察署の前まで送ってあげたってぐらいでしょ(笑)
シン·チャンウォンにとって不幸だったのだろうか。後で分かったことだが、キムさんは陸軍情報司令部下士官出身で警察を夢見た人だった。
さらに、その日の午前、順天警察署では「シン·チャンウォン逮捕訓練」のために数百人の警察官が集まって訓練までしていた状況だったので、警察が近くにいたのだ。
46人の警察特攻隊が出動してシン·チャンウォンを逮捕し、通報者のキムヨングンさんは懸賞金5000万ウォンと、捜査能力を認められ、夢にまで見た警察に特別採用されたというストーリー。
問題は、たぶんナヒドの母・シン·ジェギョンが担当したのニュースの逮捕場面だ。
全国民の関心度を反映するかのように、全ての放送で大騒ぎだったが、逮捕当時、シンチャンウォンあが着ていたTシャツ、その華やかな柄のTシャツが問題だった。
イタリアのブランド「ミッソーニ」のTシャツとして知られ、突然の流行が生まれたのだ。
逃走中の盗みは金持ちの家だけを対象にし、孤児院や老人ホームに寄付までしたという特異な行動が知られていたため、国民はすでに彼の過去の犯罪は忘れた状態だった。
10人を超える同棲していた女性には親切で義理堅い男で、女性全員がシン·チャンウォンに有利な証言だけをしている状況だったから、何か「義賊」の感じで包装されたというか。
シン·チャンウォンに対するおかしな人気は、このドラマの時期を考えれば答えになるかもしれない。
“ IMF ” (韓国通貨危機により国際通貨基金から金を借りた経済危機)
IMFの真っ只中、苦労していた韓国国民にとって “金持ちは悪いやつら” だったし、無能な警察と政府を苦しめるシン·チャンウォンの姿に痛快さを感じていたのかもしれない。
シン·チャンウォンの一代記を扱ったマンガの出版、意外に高クオリティーという「シンチャンウォン監獄脱出ゲーム」まであった状況だったからだ。
本当にすべてが変に回っていた時代だった。
学校の体罰とX世代 空港ファッション
当時、学校の1軍でグレた若い生徒たちに人気だっだから、自称インフルエンサーのムンジウンがあのシャツを着たのは当然にみえる。
検挙された脱獄囚が作った流行だと考える学年主任の視線では、かなり気に障ったかもしれないが、指導方法が問題だろう。 行き過ぎた「暴力」は、決して「教育的体罰」にはなれないのだから。
特に、韓国の1990年代は個性と個人を重視する “X世代” が登場した時期だったので、既存の伝統と固定観念、そして悪習に対する拒否感が一番ひどかった時期だ。
ドラマの中の1990年代後半には、実際に ”体罰論争” が韓国教育界で話題となった。
政治的には軍事政権時代と文民政権時代の交替期を経験し、文化的にはアナログ時代とデジタル時代の転換期を経験し、経済的には経済成長の全盛期とIMFという墜落まで経験した “中間に挟まれた世代” と呼ばれるX世代の姿は、ジウンやスンワンとさほど変わらない。
時代の転換というのは、価値観の変化と衝突が起きるということだから、スンワンが経験した失望と精神的混乱は十分理解できる。
『幸せは成績順ではないでしょう(행복은 성적순이 아니잖아요)』(1989)という映画を通じて、”ジウンのように” もう成績が全てではない人生を生きたいと思ったし、フェンシングをやめた “イェジのように” 自分が楽しんで幸せになる方法を探そうと積極的に乗り出した世代だ。
当時の教育現場では、「制服廃止運動」、「頭髪自由化」、「体罰禁止」を要求する生徒と、既成世代である教師の衝突が起きていたよ。
既存世代との文化的衝突と葛藤で挫折する学生たちに現れた英雄が、韓国歌謡界の “文化大統領” と呼ばれる歌手 “ソ·テジ(서태지와 아이돌)” だ。
됐어(됐어) 이제 됐어(됐어)
서태지와 아이들 3집(1994) “교실 이데아”의 가사中
이제 그런 가르침은 됐어 (중략)
매일 아침 일곱시 삼십분까지
우릴 조그만 교실로 몰아넣고
전국 구백만의 아이들의 머릿속에
모두 똑같은 것만 집어넣고 있어(중략)
もういい もういい もういい もういい
ソテジワアイドゥル 3集(1994)“教室イディア”歌詞中
もうそんな教えはいらない
毎日朝7時30分まで
俺たちを小さな教室に閉じ込めて
全国900万人の子どもの頭の中に
みんな同じことを詰め込んでいる(中略)
バラードが主流だった韓国歌謡界に本格的な “ラップ” と ”ダンス”、 “ヒップホップ” をもたらしたグループ。
愛と別れがほとんどだった音楽番組でX世代の不満と気持ちを代弁してくれたから、韓国の若者たちは熱狂し、全てを真似し始めた。
この時代の話を取り上げたドラマ『二十五、二十一(스물다섯, 스물하다)』、『応答せよシリーズ(응답하라)』などドラマや映画を見ると、幅の広いヒップホップパンツを履いている理由は “ソ・テジ” なのだ。
音楽以外にもショートヘア、ボブ、赤い髪、ブランドタグを取らずに着る、男性のスカートファッションなど様々な流行を先導してきたので、今でも文化大統領と呼ばれているが、1996年の4枚目のアルバム発表後、突然引退を宣言してしまう。
デビューして4年も経っていない最高の絶頂期に突然引退宣言で、韓国芸能界が大きな衝撃を受けた出来事だ。韓国の10、20代にとっては青天の霹靂のような知らせだった。
ドラマ『応答せよ1994』(2013)でソ·テジの大ファンだった チョ·ユンジンが数日間断食をする場面が出てくるけど、引退したから?
そうだよ。最近の東方神起やBTSを合わせたくらいの波及力と言えば信じられないかもしれないけど、” 韓国だけに限定 ” したらそれ以上だったね(笑)
その「ソテジとアイドゥル」のファンとファン文化が続いたことが韓国の第1世代アイドルグループ「HOT」と「SES」につながったことから、現在のK-POPと音楽韓流の出発点として呼ばれたりもする。
その理由の1つは上の写真と引退後の映像を良く見ると、ソ·テジの左側に立っている背の高い男、「アイドゥル(子どもたち)」の1人がヤン·ヒョンソクだからだ。
YGエンターテイメントを作ったYGの会長が ヤン·ヒョンソクだ。ソテジ時代のあだ名が「ヤン君」だったので「YG」。
この部分は次回に詳しく解説することにして、こんなふうに突然去っていったソ·テジが海外へ姿を消したが、4年ぶりに帰国した時、韓国はもう一度大騒ぎになり、取材競争がものすごかった。
この日、空港で撮られた彼の写真が大きな話題になったが、今でも「韓国人にとって最も記憶に残る芸能人の写真」の1つに数えられるほど、強烈な印象を与えたグッチの「ㅅ」字セーター。
このセーターはシンチャンウォンのシャツ以上に販売され、以後今の芸能人たちの “空港ファッション” の元祖と呼ばれる事件だ。
ソテジファンたちには人生最悪の写真と呼ばれる写真だけど、服とヘアが強烈すぎて、また新たな1つの始まりを作ることとなった。
ソテジのセーターは正規品だったけど、シンチャンウォンのシャツは南大門市場で5千ウォンで購入した偽物だったんだって。(笑)
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