ねぇねぇ、最近の韓国のニュースで、4月のソウル北岳山登山路の開放ニュースと先週のBTS軍入隊問題で開かれた国会のニュース、新しい韓国大統領が青瓦台に行かない理由を解説して!
一気に沢山の質問しないで~(笑) 多分このブログを見てくれているみんなもBTSの軍隊問題が1番気になってると思うけど、この全てのニュースが結局1つの事件から始まるから、長期のシリーズを準備してみたよ。結局、北朝鮮と軍隊の話になるんだけど、韓国社会の各分野別に北朝鮮がどれほど影響を及ぼしているのか、話だけ聞く“休戦状態”の韓国は、日本とどのような違いがあるのか詳しく話してみようと思う。第1回はタイトルのように、このすべてに影響を及ぼした事件から始めるよ!いろんな分野を扱っているので、韓国の現代史と韓国人の実生活の理解に役に立つと思う。
1・21事件(青瓦台襲撃未遂事件)と金新朝(キム・シンジョ)
金新朝(キム・シンジョ/김신조)
次第に忘れられつつあるが、今も韓国人の老若男女がこの名前の影響の中で暮らしている。韓国の全てを変えた男、そしてあまりにも多くのことを変えた男、金新朝。
1942年 北朝鮮生まれ、北朝鮮偵察局所属の124部隊特殊要員。
金新朝を含む最精鋭要員31人は1968年1月17日20時、北朝鮮開城(ケソン)を出発して南側に向かった。そして1月17日23時、DMZ南側の南方限界線突破。1月18日22時、臨津江(イムジンガン)渡河。1月19日、坡州三峰山(パジュ·サムボンサン)に到着。再整備後1月21日5時、青瓦台(大統領府)のすぐ後ろの北岳山(プガクサン)に到着。
暗い夜にのみ移動し、数十kmの山道をおびただしい速度で侵入した彼らの目標は朴正熙。大統領の外部行事がない日曜日の夕方、大統領府を攻撃して朴正熙大統領を暗殺するために韓国に侵入したのだ。
夜まで待機していた彼ら31人は、警察の最初の検問を受けたが、特殊部隊訓練中だと騙して通過、青瓦台(大統領府)300m前の彰義門警戒所まで到達し、警察の2番目の検問を受けた。
韓国の軍服で扮した北朝鮮の特殊部隊たちは、「訓練中だからどけ」と言ったが、彼らを疑った刑事2人は通してくれず、続いて到着した鍾路警察署長と警察たちは人員と武装が足りなかったため強制鎮圧はできず、揉めていた。
ちょうど彰義門検問所を通ろうとした市内バス2台のヘッドライトを見て、北朝鮮軍は韓国軍の増員兵力だと判断して射撃開始、鍾路警察署長と最初の検問者だった警査が死亡し、数人の警察が重傷を負った。
この時、進入していた市内バスに手榴弾を投げたため、バスに乗って帰宅中だった学生と市民4人も死亡。
北朝鮮軍1名を現場で逮捕したが、警察署で手榴弾ピンを抜いて自殺。
その後、北朝鮮に逃走する北朝鮮軍を追撃し、29人射殺、1人投降、1人逃走し、韓国軍と在韓米軍25人死亡、民間人7人死亡、52人が負傷した事件だ。
当然ながら国防部長官を含めて休戦ライン担当部隊の将軍まで数十人を更迭させられ、以後韓国社会は多くのことが変わった。
この時、韓国軍の包囲の末に降伏したのが金新朝だ。
金新朝は陸軍防諜部隊(以後保安司令部に変更)の捜査を受け、記者たちの前で北朝鮮を非難する生中継インタビューをしようとしたが「朴正熙の首を取りに来た」という発言で、全国民を恐怖に陥れたため、当時の陸軍防諜部隊長は更迭、新しく赴任した人が金載圭(キム·ジェギュ)だ。
私たちのブログをよく読んでくれている方にはもう慣れた名前だよね!北朝鮮軍の侵入も防げず、性急にインタビューを推進したため、防諜部隊は威勢が落ち、その地位を占めたのが「中央情報部」だよ。
北朝鮮軍との交戦当時、首都警備司令部30大隊が夜間に照明弾を使って敵を見つける大きな功績を立てたが、同部隊の大隊長だったのが全斗煥(チョン·ドゥファン)。
10年後に起きた「10·26事件」の映画『KCIA 南山の部長たち』や『ユゴ大統領有故』に出てくる人物たちが、どのように重要な地位に上がることができたのかが分かる事件だよ。※映画『KCIA 南山の部長たち』、『ユゴ大統領有故』は詳しい解説記事があるからそれを見てね!
じゃあ金新朝のせいで金載圭、全斗煥が偉い人になったの? この事件のせいで10·26事件が起きたのかな?
そうじゃないよ。すでに2人ともエリートコースに上がっていたから。 ただその速度が早くなったね。
1つ疑問が生じるのは、この程度なら韓国軍と警察は大統領府の警護が徹底していたのではないかと考えることもできるだろう。ソウルまでは早く来たが、何度も検問を受け、警察署長まで直接検問に乗り出すほどだったからだ。
それではなぜそんなに多くの人が更迭されたのだろうか?
理由は時を戻して1月19日、北朝鮮軍が坡州(パジュ)の山で再装備をした時、その地域の木こり4兄弟に発覚したためだ。
4人兄弟を発見した北朝鮮軍は、彼らを殺すか生かすかで論争を繰り広げ、結局解放してあげた。
そして平壌(ピョンヤン)本部にも無線でこの事実を知らせ指示を待ったが、この時の平壌の指示は「発覚したから、直ちに帰還せよ」
しかし北朝鮮軍侵入組は、誤った暗号解読票を持ってきていたため、そのまま青瓦台(大統領府)まで突撃し、結局、南北100人余りの死傷者が発生したのだ。
この日、すでに坡州の木こり兄弟が警察に通報していたため、事前に備えていたにもかかわらず、北朝鮮侵入組のありえないほどのスピードを予想できず、ソウルまで突き抜けられたのだ。
彼らは30㎏以上の軍装を担いで、険しい山奥を行軍した速度は時速10km以上。
ランニングマシンの速度を時速10kmに設定して歩くとすぐ分かるよ。 小学生1人を背負ってこの速度で山奥を走ると考えてみて(笑)
何が変わったのか? 悪い奴、金新朝(キム・シンジョ)
こんなに速い北朝鮮軍を捕まえるためには、スピードから追いつかないといけない。
そこで、韓国軍に新しくできたのが “千里行軍(천리행군”)”
千里=400km(1里=約0.4km)
400kmの山岳地形を20㎏以上の軍装を担いで、10日以内に走破する訓練だ。
★ ← 写真注意!400kmではなく40km行軍を終えた韓国の軍人の足(気になる方だけ…)
さらに、通報が入ったときの対処が遅すぎたので、“5分待機組”が誕生した。
これはその名の通り、いつどの時点であれ、24時間、すべての軍部隊には5分以内に出動できる部隊員を別に待機させるものだ。
待機組になった兵士は24時間ずーっと、就寝時にも靴はもちろん軍服と防弾服(重い)を着用したまま寝なければならない。出動車両の運転兵の場合は、車で寝なければならないほど、軍人にとっては恐ろしい任務だが、それでもここまでは良好だ。
“遊撃訓練(유격훈련)” の始まり
韓国の男性は除隊後、軍隊の話をする時、「遊撃訓練は何回受けた?」と聞くことがよくある。
遊撃訓練は普通、夏にある訓練で、入隊時期と該当部隊の訓練日程によって、1回だけ受けて除隊したり、運がなければ3回も受ける訓練で、自分より苦労した人を探すときは、遊撃訓練を受けた回数で分かったりもするくらいの訓練だ。
こういうのはテレビでよく観たことある!
うん、あのトレーニングが大変な本当の理由は、あのシーンの前に1日中素手体操(맨손 체조)をするからだよ。敵にいつもコンディションの良い状態で会うわけではないから、体力を極限の状況まで落とした後に訓練をするんだ。体操·障害物·体操·障害物の繰り返しで、手足が動かないほどきつい…。
しかし、金新朝が韓国男性の第1号の敵になった本当の理由は、1·21事態以後、すべての軍人の軍「服務期間が6ヶ月ずつ延長」されたため、当時現役服務中だった軍人には本当に最悪中の最悪の悪夢を与えたことだ。
普通入隊する日から除隊までの日を毎日カウントダウンするのにその数字が急に180日以上増えるなんて本当に想像もできないよ(笑)
それでも韓国政府は国民に公平で、幸いにも早く除隊した軍人には予備軍制度を作り、除隊8年目になるまで見るのも嫌になる軍服を捨てられないようにした。
普通1~4年目までは毎年、実際に軍部隊に入所して3泊4日程度の訓練を受けるが、場合によって最大20日まで訓練が可能だった。
その軍服を捨てた後、満40歳まで民防衛訓練教育で、主に年に1~2回程度、特定場所に集まる召集訓練を受けたり講義教育を受ける。
このように軍入隊後も20年余り苦しまなければならない韓国の男性たちが、うまく適応できるように高等学校教科課程には「教練(교련)」科目が新設され、軍隊をあらかじめ体験できるようにした。
1週間に1時間だったかな? 軍服のような教練服を着て、模擬銃器で訓練をしたり制式訓練を受けたが、教練科目は公平にも女子学生たちに必須で、女子学生たちの場合は主に応急処置訓練と救急教育を習った。
学校で毎週、基礎的な軍事訓練を事前に受けたよ。だから、映画『マルチュク青春通り(2004)』を観れば、学生たちの間にも階級文化のような序列ができたのが分かると思う。韓国人が年齢と序列を重要視するようになった理由の1つ。
このように全国民に護国精神を強化するためにできたのが1968年4月、ソウル光化門通りに建てられた李舜臣(イ·スンシン)将軍の銅像であり、大統領府の裏山に兵力を早く投入するために作った山奥の道路がデートコースとして有名だった北岳スカイウェイ。
現在、韓国の富裕層の地域がソウルの江南(カンナム)だというが、本当の財閥級の金持ちだけが住んでいるというソウル最高の金持ち村・平昌洞(ピョンチャンドン)がまさにここ。山の中腹に人々が住む村を開発して敵軍を通報させるという考え。
警察の場合は、北朝鮮の特殊部隊と交戦するほどの武装をしていなかったせいで、死亡者が多く、”戦闘警察(略して戦警)” という警察の中の“重武装準軍隊組織”を新設した。スパイを捕まえるためのこの制度は、軍隊に行く人達の中から選ばれたが、以後数十年間、民主化運動をする市民を抑圧する警察として悪名高く、最近になって制度が廃止された。
だったら戦闘警察は軍人?警察?どっち?
一般的には、試験を受けて合格した公務員警察じゃなくて、軍隊に行かなきゃいけない男性が軍隊の代わりに行くところだよ。軍隊の期間が終われば普通の一般人になるよ。最初はスパイを捕まえるために作られた制度だけど、民主化運動を鎮圧する用途として主に使われたよ。
予備軍やこういう制度の誕生の話は、他の人の解説などでも見たことがあると思う。でも、私たちが注目しないといけない部分は、戦闘警察制度!北朝鮮に備えるために作った色んな制度のほとんどは、朴正熙大統領や全斗煥大統領の独裁政権維持のために悪用されたってこと。
この制度の「おかげで?」大学生たちのデモ現場で友人1人は民主化運動デモを行い、もう1人はこの友人を鎮圧することになる韓国現代史の悲劇を目撃することになった。
他の記事でも紹介した、韓国の休戦ラインが全体が鉄柵に変わったのもこの時点で、何よりも金新朝が最も重要な影響を及ぼしたことは、韓国の住民登録番号と住民登録証が誕生したことだ。
当時は韓国内部にも北朝鮮のスパイが多かったため、全国民の指紋を登録して韓国内部のスパイを探し出し、金新朝のように侵入したスパイの検問を容易にするために作られた。住民登録番号だけでも基本的な照会が可能なので、彰義門の検問所でのいざこざのような事件を防止しようとしたのだ。
そのように全世界に由来のない全国民に対する住民番号付与と10本の指の指紋が登録される韓国の身分証、住民登録証は誕生たのだ。
朴正熙大統領の住民登録番号は知ってる(笑) 本で読んだことあるよ!(笑)
しーっ!詳しい話は次回にするよ。今日は1つの事件が韓国の男性たちに及ぼした影響について解説したよ!次回もお楽しみに♬