『王と生きる男』は、朝鮮王朝初期の「悲運の幼王」と呼ばれる「端宗(タンジョン)」の死を描いた物語だよ。歴史がネタバレ(笑) ここまで、韓国映画史の新記録を打ち立てたこの映画のヒット理由や監督について見てきたけど、今日は映画のメインストーリーと主要な登場人物について話してみるよ。事前に予習しておくべき、朝鮮の歴史の世界へ~!
情報を一つずつ知るたびに、端宗は幼い頃、本当に大変だっただろうなと思う…ㅜㅜ
悲運の王、端宗
歴史的背景とメインストーリー

江原道寧越の青嶺浦の様子
例年よりも長かった2026年の旧正月連休。他の映画は超大作『ベテラン』を避けて公開を見送ったが、堂々と対決し、むしろスクリーンを独占する状況まで作り出した映画『王と生きる男』。
この映画は、朝鮮時代初期の1457年、江原道寧越(ヨンウォル)の青嶺浦という地域を舞台に、自分の村のために流刑地を自ら志願した村長・厳興道(俳優ユ・ヘジン)と、王位から追放され流刑となった幼い先王(端宗)・李弘煕(俳優パク・ジフン)の流刑生活を描いた作品だ。
端宗は、朝鮮第5代王である父・文宗(ムンジョン)が病没したため、12歳という若さで朝鮮第6代王となったが、3年後、父の実弟であり自身の叔父である「世祖(セジョ)」(朝鮮第7代王)による王位簒奪により流刑地へと追放され、そこから映画は始まる。
普通は前の王様が亡くなってから次の王様が即位するから、新旧の王様が同時に存在することはないんだよね。でも、たまに年老いて体力が衰えたからって、若い息子に王位を譲って隠居するケースもあるんだ。もちろん、映画に出てくる端宗(タンジョン)の場合は、無理やり退位させられちゃったパターンだけどね。

映画『王と生きる男』村長オム・フンド(俳優ユ・ヘジン)と端宗イ・ホンウィ(俳優パク・ジフン)
当時、「高官の流刑地(島流しの場所)」を引き受けると政府から支援が得られる制度があり、流刑に処された高官が復職すればさらに村に大きな恩恵を受けることもあったため、貧しい田舎の村では生計を立てるために流刑地の誘致合戦を繰り広げていた。
もちろん、流刑に処されること自体が、どのような理由であれ罪を犯した結果であるため、それほど歓迎すべき状況ではない。政治に巻き込まれれば、村全体が消滅してしまう可能性もある(笑)
あまりにも奥深い山奥の村だったため、生存をかけた必死のあがきだったわけだが、普通は極力避けるべきものだろう。現代の概念で言えば、原子力発電所の誘致合戦といったところだろうか。
映画『王と生きる男』は、熾烈な競争の末、村長・厳興道(オム・ホンド)の村が流刑地として選定され、高官ではなく先王「端宗」が流刑としてやってくることで巻き起こる物語を描いた映画だ。
普通は政治的な理由で流刑に処されても復帰するケースはよくあるが、「先王」の場合は状況が異なる(笑) 先王が再び復帰するというのは、反乱しかあり得ない。クーデター(笑)(関連記事:戒厳令)
流刑に処する理由

江原道寧越・青陵浦、端宗の流刑地の現在の様子
特に、強引に王位を奪った現王である「世祖」の立場からすれば、以前から文宗や端宗を支持していた勢力が、端宗を担ぎ上げて反乱を起こす可能性があるため、常に警戒を怠ることができなかったのだ。
自分よりも正統性が強い「先王の存在」そのものが、世祖にとっては決して助けにならない状況だったのだ。
しかし、徹底した儒教思想(関連記事:儒教タリバン)の原則に基づいた朝鮮時代の社会規範上、王(文宗)の息子を、それも先王を殺すということは絶対に許されないタブーだったため、「とりあえず」は生かしておかなければならなかったのだ。
名分が重要な朝鮮時代において、歴史に「人の道に外れた冷酷な王」として名を残すわけにはいかない世祖は名分を守るためにも、端宗を流刑地に送ったのだ。
高官や政治勢力が多く存在する漢陽(ソウル)から遠く離れた地に隔離することで、支持勢力との接触を遮断することが狙いだった。そのため、流刑地の管理者たちに課された一番の任務は、外部者との接触を監視することだった。
こういう場合、流刑という状況への無念さ、自身の境遇に対する怒りと屈辱から、自ら命を絶つケースが多い。名誉を重んじる儒教の「士精神」に基づき、「自ら死んでくれ」ということだ。

映画『王と生きる男』の村長オム・フンド(俳優ユ・ヘジン)と端宗イ・ホンウィ(俳優パク・ジフン)
しかし問題は、端宗があまりにも幼く、生と死について深く考えることのできない年齢だったということだ。
もしかすると、全く無関係な勢力の反乱ではなく、自分の親族である叔父が現在の王であったため、自分を殺しはしないだろうという期待を抱いていたのかもしれない。
いかなる判断も、決断も下すのが難しい年齢ではあったが、端宗が生まれながらにして抱えていたより大きな問題は、「血統」だった。
端宗の父は早世したものの、名君として崇められていた「文宗(ムンジョン)」であったという点であり、その文宗の父こそ、皆さんもご存知の「世宗大王(セジョン)」だ。そう、あの世・宗・大・王。(関連記事:ハングル創製)
朝鮮時代500年の歴史において、これ以上ないほどの「黄金の血統」を持つ端宗。その絶対的な正統性を支持し、忠誠を誓う勢力が存在しないはずがないが、その強大な支持を受け止め、自ら命令を下すべき当事者の端宗はあまりにも幼すぎた。歴史の皮肉。
もちろん、その幼さゆえに叔父に王位を奪われたのだろうが・・・。
韓国で祖父が「世宗大王」(笑) これ、誰が勝てるっていうんだ?(笑) 私が「世祖」なら「端宗」を即座に排除するな(笑)

ソウル・光化門前の世宗大王の銅像
最高の政治家、最悪の奸臣
これほどの血筋である以上、世祖としても、政権を完全に掌握するまでは、安易に端宗を排除することはできなかっただろう。甥である「端宗」が怖いというより、彼を支持する勢力があまりにも多く残っていたからだ。
そこで、この映画で重要な役割を果たす人物こそが、宰相「韓明会(ハン・ミョンフェ)」(俳優ユ・ジテ)だ。
「朝鮮前期最高の宰相」、「最高の策士」と呼ばれる人物で、世祖の参謀として頭角を現すと、続く睿宗(イェジョン)と成宗(ソンジョン)の代まで、王が3度変わる30年余りの期間、朝鮮の最高位にいた政治家だ。
王が代われば主導勢力も変わり、立ち回りをひとつ誤れば即座に首が飛ぶような時代であったにもかかわらず、彼は生きている間、一度も権力を奪われたことがなかった。むしろ、3人の王すべてを自らが主導した、並外れた頭脳を持つ戦略家だった。
高麗時代から名門貴族だった家系で、いわゆる「金のスプーン(関連記事:金のスプーン)」出身だったが、勉強が嫌いで科挙には何度も落第していたそうだ。その代わり、小賢しい頭脳がずば抜けていたという。
ママたちが言う「うちの子は頭は良いのに勉強しないの~」というケースだったわけだね(笑)

映画『王と生きる男』のハン・ミョンフェ(俳優ユ・ジテ)
結局、科挙(官僚登用試験)を諦めた彼は、30代後半になってようやく、貴族推薦制度(親のコネ)によってかろうじて下級官吏になった。そして、この時期に世祖の参謀として大活躍し、朝鮮の領議政(首相)の地位にまで上り詰めた。
端宗の父である文宗が即位からわずか2年で病死したため、端宗が即位した時期は、祖父である世宗大王が亡くなってから3年も経っていない頃だった。
つまり、祖父の世宗大王と父の文宗の支持勢力であり、端宗の後援勢力であった者たちが、軍権を含めほぼすべての権力を掌握していた時期だったということだ。
世祖がいくら王になりたいと野心を燃やしてたところで、手出しができる隙もない状況。しかしこれを解決したのが韓明会だった。
彼は、端宗の支持勢力を「どの順番で、どうやって排除するか」まで詳細かつ緻密に計画した上で実行。それが世祖が引き起こした1453年(端宗元年)の癸酉靖難(クーデター)だった。結果は大成功。
端宗派の臣下たちの傾向や能力値の分類、排除する順番、味方に引き入れるための懐柔リストまで作ってたらしいよ。まさに「韓明会のデスノート」(笑)

映画『観相』のハン・ミョンフェ(左)、世祖(首陽大君、右)
それどころか、最後の最後まで決断を躊躇していた世祖の背中を押し、クーデターを決意させたのも韓明会だった。癸酉靖難の成功の第一功臣。
その後も快進撃を続け、死の直前まで権力の最上層で主導的な役割を果たした。そのため、500年の歴史を誇る『朝鮮王朝実録』(関連記事:朝鮮王朝実録)に最も多く登場する臣下の名前トップ5が韓明会だ。その登場回数は、実に2000回以上!
これほど主要な歴史の局面ごとに登場し、記録も数多く残っているため、これまで端宗を主人公とした歴史ドラマはなかったものの、韓明会が主役の100話構成の歴史ドラマがあるほどだ。彼が仕えた3人の王がテーマの歴史ドラマにも必ず登場する(笑)
もちろん、そのほとんどは裏工作や嘘の告発(誣告)といった陰謀家として描かれることが多く、朝鮮の歴史を歪めた最悪の奸臣というイメージで登場している。
今までは「痩せ型で小柄、ずる賢い悪者」というイメージで描かれていたが、チャン・ハンジュン監督は、端宗が恐怖を感じるほど圧倒的な韓明会を表現したくて、ユ・ジテをキャスティングしたと明かした。ユ・ジテの身長は188cm。当時、これくらいの身長だったら将軍じゃん!(笑)

流れる水路を塞げば、別の堤防が決壊する 出典:NAVER NEWS
狎鴎亭洞の現代アパート団地の様子(左)朝鮮時代の狎鴎亭を描いた絵(右)
実は、韓明会の号は、カモメと友達になって親しく付き合うという意味の「狎鷗(アプグ)」で、ソウル市江南区の地名である「狎鷗亭洞(アプグジョンドン)」は、彼の号に由来する地名なんだ。
かつて漢江のほとりに、韓明会が自身の権力を誇示するために建てた亭があった。当時、カモメが集まっていた理由は、この地域がかつては頻繁に浸水する低湿地帯だったためだ。(関連記事:ソウル江南のはじまり)
韓明会が亭で酒を飲みながら風情を楽しんでいた場所が、今では韓国で最も高価な土地となっているのだ。ソウル市江南区狎鷗亭洞、その中心には、韓国の超高級アパートの代名詞といえる「狎鷗亭現代アパート」。(関連記事:韓国のアパート)
天井知らずに高騰する狎鴎亭洞のアパートの価格を見ていると、表立ってトップには立たずとも、常にNo.2の位置から最高権力を享受していた彼の権勢が、現在まで生き続けているような気がする。アパートの入り口には「狎鴎亭の跡」と刻まれた石碑が建てられている。
こういうのを見ると、風水地理を信じるしかないよね(笑) まさにパワースポットだ!(笑)
虚構と現実の間

映画『王と生きる男』でメファ役を演じるチョン・ミド(左)と、オム・フンド役を演じるユ・ヘジン(右)。
このように、この映画は多くの部分を実際の歴史に忠実に描いているが、登場人物のすべてが真実で実在の人物というわけではない。映画は映画だからね。
例えば、端宗を補佐するために付き添った宮女・梅花(メファ/俳優:チョン・ミド)の場合、実在の人物ではないが、かといって完全な架空の人物というわけでもなく、実際には3、4人の宮女が付き添ったと言われている。
むしろ村長のオム・フンド(俳優:ユ・ヘジン)役こそが真の架空の役柄だと思いきや、実は朝鮮前期に実在した文臣(官僚)だった!(笑) さらに驚くことに、実在したオム・フンドの子孫である俳優のオム・チュンミが村人として端役出演している。
オム・フンドは、映画のラストで描かれるある行動により、後に忠臣として認められ、王から諡号(死後に贈られる名誉ある名)まで授かったそうだ。オム・フンドが授かった諡号は「忠毅(チュンイ)」
絶対的な存在だった王が引きずり降ろされる激動の中で、過酷な現実を生きるのも当時の民衆にとって、何が本当の忠誠であり、何が義にかなった行動だったのだろうか。
次回は、出演俳優たちをじっくりご紹介!お楽しみに!
歴史ドラマは、このように事実と創作を見極めながら観ると、さらに学ぶ楽しみがあるよね。感動が倍増するしね(笑) てことで、今回はここまで!みんなまたね~!

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