前の記事(リンク)では韓国で発生した戒厳令が何なのか調べてみたよ。国家非常事態に戒厳令を発令すると、国民の自由と権利が多く制限され、様々な副作用があったから韓国人にとって戒厳令は恐怖だとお話したよね?
それにもかかわらず、実際の韓国現代史では戒厳令がしばしば発令されたが、その理由は何だろう?そして戒厳令がすぐに解除された理由も一緒に調べてみよう!
なぜしきりに戒厳をするのか?
戒厳令は万能だ
前の記事(リンク)で韓国人が戒厳令を恐れる理由を調べてみたが、
いくら軍事政権であっても、朴正熙(パク・チョンヒ)から全斗煥(チョン·ドゥファン)政権時代まで、表向きは民主主義を標榜していた韓国で、なぜこのような恐ろしい蛮行が長い間続いてきたのか?
韓国には確かに野党も存在し、“三権分立” が明確に区分されていたにもかかわらず、戒厳令がしばしば、そして長い間乱発された理由は、まさに北朝鮮のせいである。
分断された朝鮮半島、休戦状況の韓国で万能なキーワード “アカ(빨갱이)”
(빨갱이(パルゲンイ):赤い色の人、赤いやつの卑下語で共産党の象徴である赤色に染まった共産主義者を指す表現)
朝鮮戦争以来、これまでも随時挑発し紛争を起こしている北朝鮮の存在のおかげで、韓国の軍事政権は万能キーワードを得た。
そしてそのおかげで戒厳令は全知全能の万能の鍵になったのだ。
共産主義者を捕まえるために戒厳令を下さなければならないと言えば、誰も止められないから。それを止めたり反対したりすると、その人が共産主義者になる時代だったㅠㅠ
韓国の戒厳令①の記事(リンク)で韓国初の戒厳令がなぜ宣布されたと言ったっけ?“アカ”のせい。
全羅道と済州地域も、反乱軍とスパイを捕まえるためだったと言ったよね? そんな中、罪のない市民たちも共産主義者に追い込まれ虐殺され…
韓国の軍事政権は自分たちの立場が不利になったり動揺する度に、このキーワードを適切に活用して “恐怖政治” を繰り広げてきたのだ。
このブログiumで紹介している映画『南山の部長たち』(リンク)にも、釜山と馬山地域の独裁反対デモ隊を “アカ” と表現する場面がよく出てくる。
警護室長はデモ隊をタンクで轢いて、銃で撃ち殺さなければならないと言う。そして当然のことながら、朴正熙大統領が戒厳令を宣布する場面につながる。
韓国人にとって、軍事政権の恐怖よりも大きな恐怖の北朝鮮という存在があったからこそ可能だったこと。
韓国に潜んでいる北朝鮮のスパイはもちろんアカで、北朝鮮を崇めている共産主義者たちもアカだったが、
朴正熙の軍事クーデターに反対した市民もアカとなり、軍事政権の独裁に反対した民主主義の闘士もアカになり、
映画『南山の部長たち』(2020)のように釜山地域のデモ隊もアカで、朴正熙を暗殺したキム·ジェギュ情報部長さえ裁判ではアカになってしまった。
映画『弁護人』(2013)で貧しい工場労働者たちに勉強を教えていた大学生イム·シワンもアカになって拷問を受けたほど、軍事独裁に反対した数多くの市民と教師、大学生、政治家たちが皆 ”アカ” になって拘束されたり消えていった。
韓国で独裁政治をするのは本当に簡単だよね? “アカ(빨갱이)” だけ覚えてね!
韓国で最も強力な単語
こうした恐怖の時期の中で、自身の人生全体を韓国民主主義の回復のために戦った功労でノーベル平和賞を受賞した金大中(キム・デジュン)大統領を呼ぶ表現がまさに “アカ” だった。
全羅道出身の金大中大統領は、当然のこと全羅道市民に人気が高かったが、朴正熙政権では朴正熙の政治的ライバルだった金大中大統領を妨害するために、金大中=アカというイメージを国民に洗脳させた。
もう一度、韓国の最初の戒厳令地域はどこだと言ったっけ? 全羅道と済州島。
1948年のスパイと反乱事件によって、韓国人にとって全羅道はアカの地域というイメージが残っていたのだが、これを引き続き活用したのだ。
当然のことながら、金大中大統領も国家保安法と戒厳法によって何度も逮捕され、拘束されたり拷問を受けたりしており、交通事故に偽装した暗殺の試みによって一生足を引きずらなければならなかった。だから杖をついて歩いていたんだよ。
1971年、大型トラックが乗用車を襲う交通事故によって足を引きずることになった金大中大統領は、1973年には東京で中央情報部要員に拉致され、海に捨てられそうになったが、アメリカの情報部の助けで辛うじて生き返り、
同じ時期に金泳三(キム·ヨンサム)大統領も塩酸テロで亡くなるところだったが、このすべては偶然ではないだろう。映画『南山の部長たち』の記事(リンク)に登場する金炯旭(キム·ヒョンウク)情報部長が在任していた時代だったからだ。
あれだけ多くの紆余曲折を経た金大中大統領は結局、全斗煥大統領が就任した1980年の軍事裁判で “国家内乱罪” で死刑を宣告されたが、再びアメリカの助けで亡命しなければならなかった。
大統領候補も避けられなかった “アカ” という汚名を着せられたまま。
韓国の有名な政治家は金大中と金泳三だけじゃなくて、多くの人が排除されてあまり残ってないんだㅠㅠ
色理論の終息
工作政治の達人と呼ばれた金炯旭(キム·ヒョンウク)情報部長もパリで行方不明になり、1993年の金泳三(キム·ヨンサム)大統領の当選で、長く続いた韓国の軍事政権時代は終わりを迎えた。
ここまでくると万能な単語 “アカ” は消えただろうと思うが、1998年の金大中大統領当選時まで彼の名前の後ろには依然としてその単語がついていた。
軍事政権時代の保守党にとっては、非常に効率的な攻撃カードだった。
その後、新しい世代の政治家には通用しないかと思ったが、地球が終末するというミレニアム時代でも “色理論” は消えず、政治界の新人の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は大統領選挙中に集中的な “アカ” 攻撃を受けた。
盧武鉉大統領 “義父のアカをめぐる議論”
当時、盧武鉉大統領候補の妻の父親が光復以降、左翼活動をしていたアカだったということだ。だから、盧武鉉の家族はみんなアカだという論理(一一”)
ただでさえ政治新人だった盧武鉉にとって、色理論は致命打だったため、大統領候補にすらなることが出来ない状況だったが、彼は以前の政治家たちと違って避けず、正面からぶつかった。
それが、盧武鉉大統領の名演説の一つ「それでは私が妻を捨てるべきですか?」の誕生。
この演説は韓国の政治史において非常に重要な転換点の一つとして評価されている。これまで多くの韓国人を苦しめてきたアカの色理論の終息とも言える。
まるで朝鮮時代の奴婢制度のようで、生まれてすぐに付きまとう烙印のようだった “親日派” 論議と “共産主義者” 論議。
連座制に縛られ、子孫までも批判や非難を受けなければならなかった韓国史の悲劇が、盧武鉉大統領の演説後、認識が大きく変わった。
親の両親、その家族の家族を遡って探してみると、先祖の中に親日派が出てこざるを得ず、植民地解放以後の大混乱の時期に左翼活動をした人たちが出てこざるを得ず、朝鮮戦争で全国土の95%を北朝鮮が占めた時は、北朝鮮軍に協力した人たちが出てこざるを得なかったからㅠㅠ
時間があれば上の映像を再生して、下の演説文の翻訳を読んでみることをおすすめする。
政治新人の盧武鉉がなぜ大統領になれたのか、そしてなぜ国民に愛されたのか、彼の話し方だけを見ても少しは感じられるだろう。
陰謀論、色理論、そして根拠のない謀略はもうやめてください。ハンナラ党と朝鮮日報が合作して、口をそろえて私をけなすことを防御することも本当に大変です。私の義父は左翼活動中に亡くなりました。(中略)
(映像部分↓)
私が結婚するずっと前に亡くなりましたが、私はこのことを知って私の妻と結婚しました。 そして子供たちをちゃんと育てて今も愛し合いながらうまく暮しています。何か間違っていますか? こんな妻を私は捨てるべきですか?
そうすれば大統領の資格があり、この妻を今のまま愛し続けると大統領の資格がないということですか? 皆さん、この場で皆さんが審判してください。
皆さんがそのような妻を持っている人は大統領の資格がないと判断されるなら、私は大統領候補をやめます。
皆さんにやれと言われたら一生懸命頑張ります!ー2002年盧武鉉大統領 大統領候補演説 中ー
韓国人はなぜ驚いたのか?
数多くの色理論と共産主義者問題も正面から突破して克服した彼だったが、退任した盧武鉉大統領はまた別の “連座制” に陥り、結局自ら生涯を終えた。
大統領在任時期、妻と子供、実兄家族の特恵と不正に対する保守政権の報復性捜査の末の選択だった。
盧武鉉大統領の死去後、韓国の政治には再び軍事政権の象徴ともいえる “朴正熙(パク・チョンヒ)” という名前が復活し、彼の娘、朴槿恵(パク・クネ)大統領が当選した。
そして崔順実ゲート事件などの不正が明らかになり、朴槿恵政権の弾劾運動が始まると2016年に韓国ニュースに再び登場した単語がまさに “戒厳令” だ。
政権退陣を求めるデモ隊を逮捕するために、政府が戒厳令を準備しているというニュースだった。
しかし今や韓国国民は変化し、変わったので戒厳令を恐れず、皆が街に出てデモをしていたのが2016年の冬、ソウル光化門前のろうそくデモだった。
憲法裁判所の弾劾判決が出るまでの約6ヶ月間、毎週末になると数百万人の国民がソウル光化門広場に集まり、政権退陣を要求し、
2017年春、
韓国の国民はついに勝利した。史上初の現職大統領弾劾。
数多くの被害者を残した韓国戒厳令の始まりから、数十年間の恐怖政治の時代を経て、色理論の代表的な人物が大統領に当選し、
ついに色理論の残滓である現職大統領まで弾劾して、韓国国民の民主主義が完成したのだ。
しかし、2024年12月3日22時30分、テレビでは現職大統領の口から再び “戒厳令” という単語が登場し、
数十年間、韓国国民を苦しめてきた悪霊のような単語 “アカ(빨갱이”)” がまた出てきたのだ。
尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の戒厳令宣布の理由が “従北勢力を撲滅し、自由憲政秩序を守るために非常戒厳を宣布する” だったからだ。
従北勢力=北朝鮮に追従する勢力=共産主義者(アカ)
緊急談話を見ていた韓国人は皆驚くしかなかった。戒厳令自体も驚いたが、「従北勢力(アカ)のせいで戒厳令とは?」
みんな呆れて笑ったし当惑したが、もう韓国の国民は知っていた。韓国民主主義の歴史が再び後退しないためには、
“戒厳令は防がなければならない” そして “国会を守らなければならない” ということを。
そうして韓国国民は直ちに国会に向けて駆け出し、呆れた2024年の戒厳令は6時間で解除された。
この日早く寝た人たちは、朝起きてみたら驚く時間もなく戒厳令が解除されていたって状況(笑)
戒厳令が解除された理由
このように韓国人が一番驚いたのは、戒厳令の発令よりはその理由にフォーカスが当てられていた。
理由と手続きが適当なら、戒厳令は正当な国家維持手段の一つであり、大統領はその権限があることを知っているからだ。
しかし国民の大多数の反応は、2024年にアカ? 従北勢力? それで韓国が非常事態だと? 到底納得できない状況だったのだ。
むしろ最近の尹錫悦大統領はいろいろな問題で深刻な危機だったので、これまで軍事政権がそうだったように万能キーワードを持ち出したと判断された。
当時、韓国のインターネットには「狂った奴、キチガイ、酔っ払っているんじゃないの?、正気じゃないな~」などの反応が続いた(笑) どう考えても国家非常事態ではなかったから。
しかし実際に戒厳令が発令されれば、どんな悲劇が繰り返されるか分からない状況なので、何とかその効力を中止させなければならなかったし、その方法はただ一つ、国会の議決だけだった。
たとえ妥当でない理由の戒厳令であっても、民主的で法的な手続きによって解除をしなければならなかったからだ。
それで韓国の国会議員たちはすぐに国会に駆けつけ、ニュースを見守っていた国民も国会のあるソウル汝矣島(ヨイド)に集まったんだ。 国会議員たちは解除議決のために、国民は国会に向かう軍人たちを防ぐために駆け付けた。
長い間、韓国人を恐怖に陥れた軍事政権時期の戒厳令について、ほとんどの韓国国民は歴史の勉強をしてきたので、これを防ぐにはどうすればいいのかも知っていたのだ。
見守る外国人の立場からすると、発令したのに解除? 冗談かな?と思うかもしれないけど、あの日の夜、ソウルの汝矣島では非常に緊迫した出来事が起きていた。
やはり警察は国会議員たちの国会への出入りを防ぎ、軍人たちは国会に進入して国会議員たちを引き出そうとしたが、国会に先に到着した国会議員たちと補佐官たちがバリケートをはり、軍人たちの国会進入を阻んだおかげで無事に表決を終えて戒厳令を解除することができた。
そして今は皆さんもニュースで接しているように、韓国では尹錫悦大統領の弾劾手続きが行われている。
正当な理由と民主的な手続きを経ない戒厳令と軍隊動員は国家内乱にあたるからだ。
2024年の韓国映画の最高興行作だった映画『ソウルの春』は、1979年に全斗煥(チョン·ドゥファン)大統領の軍事クーデターを扱った映画で、この映画で反乱軍の中心人物である全斗煥大統領が叫んだ名台詞がある。
「失敗すれば反逆、成功すれば革命じゃないですか!(실패하면 반역, 성공하면 혁명 아닙니까!)」
尹錫悦大統領と彼に従った軍人たちの短かった戒厳令は失敗し、失敗したら何だっけ? その代価を払わなければならない時間が来た(笑) 2024年 “ソウルの冬” はとても熱くなる予定だ。