いよいよ韓国兵役問題の“ラスボス”の登場~(笑)今まで皆さんが学んだ様々な事例はすべてこの人のせいだと思っていいくらいだよ!歌手ユ·スンジュン。国民歌手から国民逆賊に墜落したこの男を知ったら、韓国の軍隊問題はマスターレベルにアップするよ(笑)さっそくみてみよう!
韓国で今のBTSほど影響力の大きい歌手だったけど、今は韓国に入国もできないという。その事情が気になる~!
ラスボスの登場
国民の弟歌手ユ·スンジュン
ここまでついて来てくれたみんなお疲れ様~!“韓国兵役問題のラスボス” 歌手ユ·スンジュン!(笑)
2000年代、韓国に本当に大きな影響力を及ぼした人物であるユ·スンジュンは、ソウル江南区蚕室(チャムシル)生まれでアメリカに移民し、1997年にデビューしたダンス歌手だ。
1970年代生まれのX世代、江南生まれの在米韓国人オレンジ族、1990年代にデビューしたダンス歌手、兵役記事2(リンク:国防の義務➁ 軍隊に2回行った芸能人たち)のPSY(サイ)を思い出すよね?
当時、韓国で流行していた条件をすべて備えた男。 それにユ·スンジュンは背も高くてハンサムで、PSYのデビューとは次元が違う反応だった。
ご存知のようにPSYはクラブのウェイターがデビューしたんじゃないかという反応だった(笑)
ユ·スンジュンは激しいダンスと華麗な動作、優れたライブ歌唱力まで備え、デビュー後2000年代初めまで韓国歌謡界を席巻した。
今の韓国の若い世代はよく分からないが、“国民の弟”、“美しい青年” という修飾語だけ見ても当時の人気が分かる。
親が婿にしたい人1位、女性がデートしたい人1位に毎年選ばれるほど、老若男女みんなから最高の人気だった。
自称国民の弟じゃなくて本当に全国民の弟だったよ(笑)
ダンスと歌の実力の他に、テレビでの面白い話術と進行能力、万能スポーツマン、謙遜な性格とどこかお粗末に見える人間味、キリスト教信者としての模範的なイメージまで備えているため、歌手活動以外にも多くの愛を受けた。
現在の有名人に例えると前回の兵役の記事(リンク:入隊後褒められた芸能人・海兵隊出身の芸能人が多い理由)で紹介した “現在の国民の弟” 歌手イ·スンギ(規則正しい生活と天然のイメージ、歌唱力)+韓流歌手RAIN(ピ)(ダンスの実力、スター性)+歌手キム·ジョングク(芸能感、ナイスボディーな筋肉)+2PM出身ラッパーパク·ジェボム(ラップ、英語力、悪い男風の風変わりな魅力)まですべて混ざった狂ったキャラクターだった。
みんな合わせてユ・スンジュン1人(笑)
少なくとも韓国内だけはBTSの地位を越えたと言える理由が、ユ·スンジュンは年配の大人たちにも人気だったから! 漫画の主人公みたいなイメージ(笑)
美しい青年とマイケル·ジャクソン
ここにX世代とオレンジ族文化を象徴する在米韓国人スタイルのファッションまで、ユ·スンジュンは時代が望んでいたスターそのものだった。
デビューアルバムから連続大ヒットし、韓国のマイケル·ジャクソンと呼ばれるほどだったが、実際マイケル·ジャクソンの家に何度も訪れたほど社交性も良かった。
全国民に愛されたスターだっただけに、いろんな公益キャンペーンに登場して “美しい青年ユ·スンジュン” というニックネームを得て、当時よくあったアンチもほとんどなかった歌手だ。
こんな彼にも“入隊”という運命の時間が近づき、“韓国人として当然すべきこと” と明かしたので、国民は大歓声だった。
「私は韓国国籍を放棄することも、法律を破ることも、便法を使うこともありません。」
韓国でこの程度のインタビューをしたら本当にアンチが生まれるわけない(笑)
数百億ウォンを逃した最悪の選択
運命の時間
2001年のユ·スンジュンの入営身体検査は、当日夕方のメインニュースに出るほど話題だったが、残念ながら現役ではなく4級公益要員の判定を受けた。MV撮影中の墜落事故による椎間板ヘルニア。
しかし事故シーンがテレビに出たことがあって、“たいした怪我ではないと思うけど?”というちょっとした議論があった。椎間板ヘルニアなのにそんなにダンスをするのかという疑いまで(笑)
ユ·スンジュンは前の記事(リンク:入隊後褒められた芸能人・海兵隊出身の芸能人が多い理由)のヒョンビンのように、海兵隊に志願入隊したいとインタビューしたことがあり国民は残念がっていたが、これまで築いてきた正しい青年のイメージのおかげで特恵論議はすぐに収まった。
ユ・スンジュンのダンスの特徴が絢爛さなのに腰椎間板ヘルニアだなんて(笑)
しかし、2001年の年末、公益要員の入隊が予定されていたユ·スンジュンが3ヶ月入営延期を申請したことで雰囲気がおかしくなり始めた。
そして日本でのコンサートのために出国、公演を終えて家に帰ってくるとアメリカに行ったが、ここからが集中しなければならない地点だ。
韓国には “兵役義務者の国外旅行許可制度” というのがあり、18歳以上の韓国人男性のうち兵役を終えていない人は海外旅行(出国)禁止だったので、普通の大学生の場合、海外に出るには大学総長の推薦書と一定金額以上の財産税を払う成人保証人2人が必要だった。
ユ·スンジュンは2人の証人書類と再び帰国するという覚書を提出した後、出国した。
書類を提出した後に審査を受けるシステムで、軍隊に行ってこないと海外旅行も思い通りにできないという話だ。韓国の男として生きるのは簡単なことではない(笑)
最悪の選択
2002年1月18日、ユ·スンジュンがロサンゼルスの裁判所で米国市民権取得手続きを踏んだ後、現地大韓民国総領事館に大韓民国国籍放棄申請書を提出したというニュースが伝えられた。
国民の弟と呼び、彼を大事にしていた韓国人には青天の霹靂のようなニュースだった。
韓国の男性は兵役を終えるまで複数国籍が不可なので、以前紹介した記事のように、誰かは入隊したくないので韓国国籍を放棄し、また誰かは入隊のために外国国籍を放棄してきた。
ユ·スンジュンは前者を選んだのだ。
そんなこともあり得る選択だったけど、“ユスンジュン”だったから怒ったんだ(笑)
ものすごい非難が続いた理由の1つは、ユ·スンジュンが外国国籍を選択した方式のためだ。
入隊日の直前にもかかわらず、コンサートを理由に海外出国を許可する特恵を与えたため、逃げることができたという抗議が国防部に殺到した。
軍隊にまだ行っていない一般男性は、語学研修や留学に行くには審査が複雑で海外旅行もややこしく、有名人だけが簡単に許可してくれるという差別に対する怒りだった。
入隊直前の時期には逃走の恐れがあって特にややこしいのだ。軍入隊に対する平等と差別問題に本格的に火がついた事件だ。
平凡な人々にとって保証人制度自体も差別なのが、海外旅行に行こうと思っている人に財産税書類と保証人を頼むのが容易ではないからだ。
史上初の入国拒否
韓国のこういう雰囲気をちゃんと把握できなかったのか、2002年2月2日、ユ·スンジュンは韓国に来た。これまでの他の “黒髪外国人” のように軍隊には行かずにお金は韓国で稼ぐということだ。
ユ·スンジュンは入国後、記者会見を通じて自分がアメリカ市民権を選択した理由を説明すると明らかにしたが、彼は仁川空港を抜け出すことができなかった。
“入国拒否と追放措置”
これは大韓民国史上初の兵役逃れ者に対する入国拒否措置で、大韓民国法務部はユ·スンジュンに出入国管理法第11条1項3号「大韓民国の利益や公共の安全を害する恐れのある人」に基づき入国禁止処分を下した。
ユ·スンジュンは自分が重大犯罪者でもないのに入国拒否は行き過ぎだと抗議したが、国防部と法務部、出入国事務所が明らかにした理由は簡単だった。
民主主義国家は憲法が根幹で、休戦国家韓国の根幹は国防と兵役の義務だが、ユ·スンジュンによって模倣犯罪が発生し、兵役忌避者が増えたり、既存の兵役義務者が相対的剥奪感を感じたりすれば、国防力が低下する恐れがあるため、韓国の安全と利益の妨げになる人だという論理だ。
当時、さりげなく微笑みながら入国しようとする生中継の場面を見て怒ったが、法務部バンザイを叫んだ決定だった(笑)
韓国ではこの時から英語の名前の“スティーブ・ユー”と呼び始める(笑)
彼はなぜアメリカ人になったのか?
[ ium ] の模範生である皆さんは、以前の記事を通じてすでにご存じだろう。韓国の芸能界に黒髪の外国人が1人や2人じゃないでしょ?そう!(笑)
ユ·スンジュンの場合は、あまりにも人気のあったスターで “国民の弟” レベルだったため、さらに怒り、裏切りを感じたのだ。
また、彼のイメージを作るのに大きな役割を果たした入隊関連の発言がさらに大きな裏切りを感じさせた。人気を得るために良いことばかり言って、飼い犬に手を咬まれたような失望感だから。
それを知っているのでユ·スンジュンもまた、「国民の皆さんを愚弄したり意図的な計画で嘘をついたりはしなかった」と弁解した。
しかし、愚弄が目的ではなくても計画的な出国は明らかだった。
入国が拒否された後、焦ったユ·スンジュンは「必ずしも軍隊に行くという話はしたことがない」と主張したが、インタビューの証拠があまりにも多く、入隊関連のコメントはマネージャーの言うとおりにしたという言い訳もあまりにも窮屈に見えた。
意図的な兵役逃れ疑惑に対する “スティーブ·ユー” の最終言い訳は以下の通り。
2年半(当時基準)の公益勤務をした後、30歳になり、既存のアメリカ永住権を失うことになり、新たに準備しなければならない、とすればアメリカの家族とは事実上生き別れだと思ったという主張。
そしてダンス歌手の命が短いことをよく知っているので、アメリカにいる家族と長く悩んだ末、軍隊に行かないことに決めたと明らかにした。
家族が北朝鮮にいるわけでもなく生き別れだなんて~ お金もたくさんあるんだから飛行機に乗れ(笑)
韓国に来られないアメリカ人
同時多発テロがなぜ?
どんな言い訳も窮屈になるだけだったが、ただ一つ酌量が可能な内容はアメリカ永住権についての話だった。
当時、9·11テロが発生してから5ヶ月しか経っていない時期だったので、アメリカの移民政策がどう変わるか分からない状況で、市民権申請者が急増していた状況だった。
その後は実際にアメリカの移民政策が強化され、非常に厳しくなった。
それでもそれはほとんどが本当に不法滞在者やイスラム文化圏の人々についての話だったし、すべての家族がすでに居住しているユ·スンジュン家族の場合はそれほど問題なかったと見るべきだろう。 その後、みんなアメリカで元気に暮らしているから。
最後の4日
これまでの人気に酔っていたのだろうか? 明らかなことはユ·スンジュン本人と家族、所属事務所まで皆韓国の兵役問題をあまりにも簡単に考えていたということだ。
入国拒否事件の後も、受け入れてもらえれば韓国で歌いたいと明らかにしたユ·スンジュンや、国民によく説明すれば許してくれると思ったという所属事務所も、事態の深刻さを全く把握できていなかったからだ。
しかし、彼らの安易な考えとは違って、彼が捨てた韓国の国民はこれ以上ユ·スンジュンを望んでいなかった。
すでにユ·スンジュンは国民歌手ではなく、祖国を捨てた国民逆賊になったんだ。
その後、自国民に対する入国禁止措置は行き過ぎだとして人権委員会に提訴したが、韓国国民ではなく外国人に対する入国拒否なので人権侵害には当たらないという決定を受けた。
2003年、ユ·スンジュンは当時婚約者の父親の死で1年4ヶ月ぶりに韓国に帰国し、それが今までで最後の韓国入国だ。法務部の特別許可を得て4日間の滞在のみ許可。
アメリカに帰る前に「祖国に行くことができないということが胸が痛い」とインタビューしたが、それでは今からでも国籍を変えて入隊するのかという記者の質問には「良い解決策ではない」と言って去っていった。
ユ·スンジュンは2023年現在まで何度も入国を試みたが、ずっと拒否されている。
2003年にも最後まで入隊すると言わなかった時、国民はもっと怒ったよ(笑)
何を変えたのだろうか?
この事件が重要な理由は、個人の領域を越えて兵役法と国籍法の改正にまで影響を及ぼすほど、大韓民国社会全般に大きな波紋を呼んだ事件だからだ。
これまで蔓延していた二重国籍、遠征出産問題や海外永住権者の国内営利活動などについて、過去よりもはるかに厳しい基準を適用し始め、兵役を履行せずに外国に帰化した在外同胞のビザ発給を制限する兵役法、国籍法、在外同胞法、出入国管理法などの改正が続いた。
また、直ちにユ·スンジュンの椎間板ヘルニア診断と公益勤務処分が正しいかどうかで議論になったため、大多数の疾病分野で身体検査等級が1等級程度上方修正された。
本来の基準で4級公益勤務でなければならない人は3級現役兵で、5級以下免除だった人は4級公益勤務をすることになる人が大幅に増えた。
軍入隊に関するすべてのことがややこしくて厳しくなったと思えばいいよ(笑)
美しい青年ユ·スンジュンは、こうやって祖国を捨てた裏切り者と嘘つきになり、韓国芸能界はもちろん韓国社会から退出された状況であり、今も相変わらず韓国に入国するために政府を相手取って訴訟を進めている。
2年を節約しようと20年を捨てた選択で、数十、数百億ウォンの価値が消えてしまった。
それでもこの事件のおかげで韓国のすべての男性有名人には確実なメッセージが伝わった。
“軍隊の問題は間違って選択すれば完全に滅びる”
以前までの兵役の記事(リンク:国防の義務④ 最近芸能人の入隊が多かった理由と兵役免除理由総まとめ)のように、本当に多様な方法で免除を受けていた有名人たちに、不法が摘発されればどうなるのか確実に刻印させて入隊に対する認識自体を完全に変えた事件だ。
もちろん、それにもかかわらず、私たちが学んできたソン·スンホン、PSY(サイ)、MCモン、RAINのような有名人たちは強化された法を避けて何とか便法を使おうとして摘発されたのだ。
これまでのすべての記事に出てきた様々な兵役不正の方法が登場した理由がまさにここから始まったのだから。
でもこれくらいで終わると “ラスボス” じゃないよね?
ユ・スンジュンがどうして韓国兵役問題のラスボスでレジェンドなのか、これ以降の事件が待ってるよ(笑)
2002年以降どんなことがあって、どんな影響を及ぼしたのか実際の事例の記事で解説するよ!韓国兵役問題マスターレベルの昇任は次の記事で~。
何度も韓国入国を試みたが拒否されていたユ·スンジュンが、2015年突然ライブ放送に現れひざまずいて許しを請いた。この人の話はここからが本当だよ(笑)