韓国芸能界レジェンド記者会見第3弾!今回は芸能界にあふれるいろんな噂についてのお話。「誰々は〇〇だったな~」といった様々な噂。そして有名人関連の噂を楽しむ私たち。真実もあるし嘘もあるだろうけど、芸能人という職業も本当に簡単じゃないよねㅠㅠ 2002年の事件が2024年の現在まで続いている反転のストーリー!
今日の記者会見は一番劇的なドラマだったよ(笑) 私も好きでよく聞いているs#arpにこんなエピソードがあったなんて知らなかった(笑)
芸能界のうわさ
アイドルグループの乱闘、誰の過ちだろうか?
1998年にデビューした4人組混成グループ s#arp(シャープ/샵)が活動していた時期は、男性アイドルグループ2大トップのH.O.TとSechs Kies(젝스키스)(詳しい記事:リンク)、女性アイドルグループ2大トップのS.E.Sとピンクル(핑클)、
男性ソロ歌手トップはユ·スンジュン(ユ·スンジュンの記事:リンク)、女性ソロ歌手トップはイ·ジョンヒョン(詳しい記事:リンク)、混成グループはコヨーテ(코요테)に、国民アイドルグループはGOD(詳しい記事:リンク)という確固たる順位が決まっていた。
韓国歌謡界が大成長していた “第1世代アイドルグループの全盛期” で混成グループは生き残りにくかったが、s#arpはヒップホップ、パンク、ディスコ、ポップを基盤に20年が経った今聴いても洗練された歌を披露したグループと評価されている。
当時、第1世代アイドルグループの大多数が一字型の隊形のまま、個人パートの時だけ場所を変えながら踊っていた時代に、s#arpはメンバーが同時に動きながら隊形をV字、W字、M字など多様に変えて、現在の韓国アイドルグループの振り付け動線の変化に大きな影響を与えたグループだ。
メインボーカルのイ·ジヘの澄んだ音色と歌唱力、サブボーカルのソ·ジヨンの独特でユニークな音色、男性メンバーのラップとダンスの実力まで、調和が非常に優れたレジェンドグループで、私たちは2人の女性メンバーに注目しなければならない。
全盛期を謳歌した2002年、s#arpメンバーの暴行事件がニュースで報道されたが、別名、イ·ジヘとソ·ジヨンの “エレベーター乱闘劇事件” だ。
放送の出演のためにKBSに到着したメンバーたちがエレベーターに乗ったが、ソ·ジヨンが童謡のメロディーで「ムカツク、イ·ジヘ~(재수 없어 이지혜~)」、「イ·ジヘ、生意気な女、ふざけるな(이지혜 싸가지 없는 년, 지랄하네)」と替え歌を口ずさみ、イ·ジヘの怒りが爆発して「黙れ!じゃあ、お前はどれだけ偉いんだよ!(닥쳐! 그럼 너는 얼마나 잘났는데?)」と叫びながらソ·ジヨンを2回殴ったという。
その日の夕方、イ·ジヘはソ·ジヨンの父親に電話で謝罪したが、ソ·ジヨンの父親と当時のソ·ジヨンの恋人は、直接謝罪することを要求した。
翌日、ソ·ジヨン側ではイ·ジヘの父親も一緒に公の場で謝ることに条件を変更し、イ·ジヘはその条件に同意した。
この時、ソ·ジヨンの恋人はまたこんなことが起こったら我慢しないと脅迫までしたため、かなり強圧的な雰囲気に見えるが、この恋人はまさに当時韓流人気スターだった俳優リュ·シウォンだ。
公開謝罪の時期を調整している間、ソ·ジヨンは音楽放送の生放送スケジュールに参加せず、放送局に訪ねてきたソ·ジヨンの母親がイ·ジヘに向かって「おい、XXのような娘。お前みたいな女はテレビに出る資格がない」という暴言を吐き、イ·ジヘの頭を殴打する状況まで発生し、国民に知らされた。
翌日、ソ·ジヨンは精神的な衝撃を訴えて病院に入院し(イ·ジヘではない(笑))、イ·ジヘは公開記者会見を開き、自分の過ちを謝った。
争いの始まりはソ·ジヨンだったようだけど、状況があまりにも一方的に進んでいるよね? 何年も一緒に過ごした仲なのに、ここまでしないといけないのかと思うほど(笑)
いじめと暴行、そして記者会見
イ·ジヘはこれまで噂になっていた自身への “いじめ説” が事実であることを確認し、「私にも問題があるからジヨンがそのように行動したと思って我慢してきた」と話した。
当時、韓国では可愛い顔で人気を得ているソ·ジヨンが、自分がメインボーカルになれず、他のメンバーと一緒にイ·ジヘを仲間はずれにしているという噂があったんだ。
イ·ジヘはグループを続けていくことを望んだが、ソ·ジヨンは所属事務所に以下のような条件を掲げた。
- イ·ジヘは多くの人々の前でひざまずいて公開謝罪すること。
- イ·ジヘのソロスケジュールの仕事を取らないこと。
- イ·ジヘをs#arpのメンバーから外すこと。
- 現在自分が乗っている良いバンに乗り続けさせてくれること。
良いバンとは当時最高の芸能人の象徴だったアメリカのスタークラフト会社のバンのことだよ(笑)
イ·ジヘは自分もソ·ジヨンに殴られたと主張したため、4日後にソ·ジヨンも記者会見を自ら要望したところ、弁護士とマネージャー、所属事務所の広報理事、男性メンバーのクリスまで一緒に出席した。
イ·ジヘとは違って、なんと生放送で行ったこの記者会見で、ソ·ジヨンは自分はイ·ジヘに悪口を言っておらず、7~8発を連続で殴られたためイ·ジヘを殴ることもできなかったと主張した。
エレベーターに一緒にいた男性メンバーたちとマネージャー、スタイリストの皆が証人だと言った。続いて当時現場にいたマネージャーが目撃談を証言し始めた。
マネージャーは、ソ·ジヨンが7~8発殴られたという主張は、あの短い瞬間でボクサーでない以上は不可能で、ソ·ジヨンは先に悪口を言っていないと言ったが、悪口を言うのをはっきり聞いたし、記者会見に参加していない他の証人とも電話で証言させることが出来ると話した。
自分が信じて連れてきたマネージャーの裏切りインタビューに驚いたソ·ジヨンが急いで席を立ち、レジェンド記者会見の誕生(笑)
ソ·ジヨンはマネージャーが不利な証言を続けると、弁護士をちらっと見た後に外に出てしまったが、生放送まで準備して周辺の人たちと作戦を立て、イ·ジヘを干させようとする計画は全て水の泡になった。
当時、ネチズンたちは「普段からソ·ジヨンが相当イ·ジヘを苦しめていたから、最も信頼するマネージャーも裏切ったのでは?」という意見が支配的だった。この選択でマネージャーの職も危ないかもしれない状況だから。
この記者会見によってソ·ジヨンのイメージは回復不可状態になったため、同日、所属事務所はS#ARPを解散することに決め、その後、所属事務所は不渡りになった(一一”)
イ·ジヘに一方的に不利だった状況が一気に逆転した瞬間だった。
ソ·ジヨンが外に出た後も、マネージャーと所属事務所広報理事の “良心宣言” が続き、グループ初期メンバーだったが脱退した元メンバーの証言も続き、事件の真実は明らかになった。
5人組で始まったファーストアルバムの活動時期から他の女性メンバーをいじめてグループから脱退させ、残っているイ·ジヘが新しいターゲットになったということだ。
可愛い顔と愛らしい笑顔で人気を得たイメージとは正反対の姿に、ソ·ジヨンはおびただしい非難を受けなければならなかったが、これまでイ·ジヘの顔にケーキを投げたり、ダンスの練習やレコードの録音もイ·ジヘだけが別で一人でしないといけない状況で、そのような状況に耐えてきたイ·ジヘには “菩薩” という称号がついた。仏様(笑)
また、韓国の“儒教タリバン文化”(詳しい記事:リンク)を説明しながら紹介した韓国初の同性愛者の放送人ホン·ソクチョンも、韓国芸能界の代表 “菩薩” と呼ばれている。 ものすごい忍耐力の持ち主たちㅠㅠ
勇気ある証言と良心宣言
ソ·ジヨン側が準備した本来の計画とは異なり、真実を明らかにしたマネージャーと所属事務所の広報理事の行動を大げさに “良心宣言” とまで呼ぶ理由は、彼らが単純に “真実を明らかにしてこの会社を辞めればいいか~” というレベルではなかったためだ。
人脈と助け合いが肝心の芸能界の特性上、“内部告発者” と烙印を押されることも恐ろしいことだが、さらに恐ろしい存在がいたために、彼らは芸能界活動自体が出来ないこともありうる状況だった。
暴力事件の最初からマスコミの方向が一方的だった理由、ずっといじめにあっていたイ·ジヘが先に謝罪しないといけなかった理由、ソ·ジヨンの母親が人前でイ·ジヘを平気で殴った理由、ソ·ジヨンが所属事務所にありえない条件を躊躇なく提示できた理由まで、とても変な状況じゃない?
お互いによく協議しなければならないようだけど、一方的で傍若無人な態度。すべてはこの人から始まる。ソ·ジヨンの祖父ソ·ジョンチョル。
朴正熙(パク·チョンヒ)大統領恐怖の軍事独裁時代、すべての軍隊を指揮する国防部長官の徐鍾哲(ソ·ジョンチョル)、全斗煥(チョン·ドゥファン)大統領の時代には韓国プロ野球協会の総裁を務め、死ぬまで韓国権力の最上層部にいた人が祖父だったためなのだ。
金泳三(キム·ヨンサム)大統領の当選で(詳しい記事:リンク)長い軍事政権が終わって10年も経っていない時期だったので、彼らの力は依然として強かった。
現在、延世(ヨンセ)大学の総長であるソ·ジヨンの叔父は、朴槿恵(パク・クネ)大統領政府で交通部長官になるほど、権力は世襲されていた。そしてソ·ジヨンの両親もまた大学教授の名門家。
生放送のパンクからいじめまで自然なソ·ジヨンから、暴行をためらわない母親まで、なぜそんなに高圧的で自信満々な行動をするのか、ようやく理解できるのだ。
マネージャーや所属事務所の理事は単純な退社レベルではなく、人生全体が埋葬されることを心配しなければならないほどの権力を持っているㅠㅠ それで彼らの勇気に拍手を送るのだ。
そしてソ·ジヨンの恋人は、ペ·ヨンジュンと共に最高の韓流スターのリュ·シウォン。リュ·シウォンは当時、ペ·ヨンジュンとともに人気俳優の順位1、2位を争うほどの地位だった。
それよりもっと重要だったのはリュ·シウォンの姓だった。“豊山(本貫)リュ氏(苗字)”(詳しい記事:リンク)。自分の家の歴史は分からなくても、豊山柳氏13代の孫リュ·シウォンを知らない韓国人がいないほどだった(笑)
朝鮮時代の名宰相として有名な豊山柳氏 西涯 柳成龍(서애 류성룡)の子孫で、彼が書いた本<懲毖錄(징비록)>は国の重要文化財であり、ユネスコ世界記録遺産の指定を準備中であるほど非常に有名だ。
韓国の歴史教科書に必ず登場する人物と本で、17世紀に中国と日本でも出版されたほどだが、壬辰倭乱の重要人物なので、韓国の英雄 李舜臣将軍(詳しい記事:リンク)とともにセットでよく取り上げられる人物だ。
国家危機の克服した方法が盛り込まれた<懲毖録>は、今も多様なバージョンの書籍が出版されており、映画やドラマも多く制作されるほどの地位。
それでリュ·シウォンがデビューした時から家の話がよく出ていて、国民はリュ·シウォンが何代の子孫なのか知っていた(笑)
豊山柳氏は安東金氏とともに朝鮮時代最高の名門家の一つで、まだその威勢は残っていて、今の慶尚道安東地域がその拠点だ。
韓国の千ウォン札にも登場する朝鮮時代の儒教書院と河回タル(詳しい記事:リンク)、安東チムタクで有名な安東 “河回村” には、彼らの宗家がまだ存在する。
1999年、イギリスのエリザベス女王2世の国賓訪韓では安東河回村を訪れたが、この時、女王の誕生日を祝って河回タルチュムを観覧した場所がまさにリュ·シウォンの本家だった。リュ·シウォンは民間の出迎え大使として女王の日程を一緒に遂行した。
大学教授の家や普通の名門家の家でも、私たちのような一般人は相手が容易ではなかったはずだが、ソ·ジヨンの家は単純な大学教授の家ではなく、リュ·シウォンの家も単純な名門家の家ではなかった。
一般国民の立場では、権力と富、名誉と位相まで合わさっている巨大な恐怖のような存在だからだ。
リュ·シウォンの本家である河回村の潭淵斎(담연재)は韓国の伝統建築と美しい自然の風景が調和した韓屋として有名で、現在もツアーや宿泊商品があるから、記事の最後のリンクをご覧ください! こんな家なんだよ(笑) “うちの家訪問ツアー” こんなのがあるんだよ(笑)
うわさはうわさで
このように、表からは見えない背景を理解してこそ、なぜソ·ジヨン側では脅迫、威嚇、暴行のような行動が自然だったのかが分かる。
そして当事者のイ·ジヘから同僚のメンバーたち、所属事務所とマスコミまでソ·ジヨン側に引きずられていたのかも分かるのだ。だから彼らの勇気ある証言が大切だったんだ。
それでも幸いなのか、暴行や殺人事件のような大きな復讐?はなく、この事件は終わりに近づいていた。ソ·ジヨンは国民の非難の中で芸能活動を中断し、しばらくして恋人のリュ·シウォンとも別れた。
イ·ジヘはメインボーカルを担当するほどの実力派だったのでソロ歌手活動を始めたが、2005年に過労で倒れて入院することになり、再びソ·ジヨンの名前がニュースに登場した。
“ソ·ジヨン、過労で倒れたイ·ジヘのお見舞いに行く”
まあ、この程度なら思ったより良好でいい感じの終わり方だよね?(笑)
和解を暗示する温かい内容の記事とは違って、上の写真が問題になったが、ソ·ジヨンが葬式で使う白い菊の花を持ってきたとネットは大騒ぎになった(笑) レジェンドはやはり違う(笑)
もちろんこれは別の写真が公開され(下の写真)、菊の花ではないように見えるが、弔花を象徴する白い花が多かったため、議論は残っている。お見舞い用として適切な構成ではなかったから(笑)
しかし、当時インターネットに掲載されていた写真のほとんどが削除?され、正確な判断は難しい状態だ。
ソ·ジヨンは芸能界復帰のために和解のイメージを作ろうとしたが、意図と違って花が論難になると関連写真を全て削除要請したという説、そしてソ·ジヨンの性格上、意図してあえて白い花を準備したという説という噂だけが残っている。
当時、ソ·ジヨンが国民に “悪女” のイメージとして残ったために生じた誤解だが、このことによって芸能界復帰はさらに難しくなった。
ソ·ジヨンがイ·ジヘに弔花を持ってお見舞いに行ったという噂がすでに国民に広まったからだ(一一”)
いじめ説のうわさが事実であることが明らかになり、イ·ジヘは国民の同情心を得て今も活発に芸能活動中であり、噂の中のソ·ジヨンはまた別の噂によって国民の記憶から消えていった。
各種メディアやインターネットで扱う “噂” は、実は思ったより面白いけど、思ったより怖くもある。それは私たちの周りの実際の生活でも同じ。
噂の伝え方は技術の発展とともに変化してもっと早くなり、新しい方法の “口コミ” が主流になった。Twitter(Ⅹ)とFacebookの後のInstagram、そして今はTikTokの時代。
TikTokと関連して韓国芸能界ではどんなことがあったのか、次回の新しい逆転ストーリーをお楽しみに!
今回出来なかった話と、最後のレジェンド記者会見の記事で戻ってくるね~ 今回の記事を補足してくれる当ブログ記事を下記に用意しているから、ぜひ一緒に読んでね~!