韓国芸能界レジェンド記者会見④!前回の記事に続いて韓国芸能界の “噂” についての話だよ!2023年春、韓国ではあるポップ歌手が実は韓国人だという噂が出回り始めたが、この歌は海外のTikTokでものすごい人気を得ていた。
この歌についての面白い話、そして最悪の状況で記者会見のおかげで復活したある所属事務所の代表の話を聞いてみよう。
ミン·ヒジン代表の記者会見で言及されたもう一つのガールズグループ FIFTY FIFTYの話だよ。
韓国芸能界の噂②
新しい噂
しばらく目を閉じて、上の音楽をまず鑑賞してみよう。歌そのもののスタイルから歌手の声と歌い方、英語の発音まで、誰が聞いてもただの外国のポップソングだった(笑)
この歌がまさに噂の主人公、FIFTY FIFTYの<Cupid>だ。
2022年11月にデビューした韓国の女性アイドルグループ、FIFTY FIFTYの<Cupid>の英語バージョンで、海外のTikTokで口コミが広がり、全世界に広がった歌。
FIFTY FIFTY? Cupid? こんな歌があったの?と思うし、“全世界” という言葉はもっと納得しにくいと思うけど、実際すごい人気だった。
2023年3月にアメリカのビルボードチャートに初めて入った時、韓国人もこういうグループがいることさえ知らなかったので、ランキングを見てもただの海外グループだと思っていたグループだった。
去年ちょっと人気って聞いたことある~って言う人は、それでも情報が早い人だけど、FIFTY%は合っててFIFTY%は間違ってる。西洋では狂った人気だった!(笑)
特に西洋文化圏のクラブで、団体で<Cupid>を歌う場面がTikTokとインスタリールのようなショートフォームメディアで共有され “クラブで若いパリピたちが大勢で歌う歌” として有名だった。
国別の音楽チャートはもちろん、アメリカのビルボードチャートまで席巻したが、その人気を確認するには、1年間の成績を総合したビルボードの年末チャートHOT100のランキングを見ればよい。
海外の熱心なK-popファンが同時にストリーミングすれば、一時的にランキングに上がる週間ランキングや月間ランキングよりさらに難しく、実際の現地の大衆人気を確認することができる。
このランキングに入るためには、ちょっとした人気ではなく、海外現地の人たちがラジオやストリーミングサイトで地道にたくさん聞かなければならないのだ。このチャートにランクインした韓国歌手は計4組(個人含む)のみだ。
去年は4グループではなく、これまでのビルボードの歴史上で4グループ。その中の1つがFIFTY FIFTY。
世界中にソウル江南(カンナム)を伝播したPSYの<江南スタイル>が2年間で最終47位、55位だったが、FIFTY FIFTYの<Cupid>が2023年最終44位だった。
そのすごさがだんだん分かってきたよね?(笑) だから私は知らなかったし、あなたも知らなかったけど、世界の人々は知っていた歌が<Cupid>(笑)
残りの2グループがBTSの<Butter>が最終11位、<Dynamite>が2年間38位、41位、BTSジョングクのソロアルバム<Seven>が82位だ。この計4グループ(PSY·ジョングクを含む)。
世界的な認知度が最も高い韓国女性アイドルと評価されるBLACK PINKさえ一度もランクインしたことのないランキングで、韓国音楽界の歴史上、PSYとBTSだけが可能だった成果を作り出したグループがFIFTY FIFTY。
この話をする理由は、前の記事(リンク)ソ·ジヨンの記者会見で良心宣言をした当時の広報理事がFIFTY FIFTYを作ったプロデューサーだからだよ(笑) チョン·ホンジュン代表。
突然姿を消した最高成績のガールズグループ
このように、韓国のどの歌手よりも歴代最高点を記録したグループのFIFTY FIFTは、実は最高点ではなかった。
2023年3月のデビュー123日でビルボード12位に入り、BTSの記録より速い大韓民国全体のアイドルグループ史上最短ランクインという歴史を塗り替えた瞬間に、メンバーたちが活動を拒否したのだ。
本格的な上昇期だった5月に突然活動を中止した後、6月からは所属事務所のチョン·ホンジュン代表を相手にしたメンバーたちの専属契約紛争が起き、今も裁判中だ。
だから皆さんも、私もよく知らないグループになってしまったんだよねㅠㅠ
2023年世界最高興行映画3位の映画『バービー』のテーマ曲歌手が元々FIFTY FIFTYだったが、契約が取り消されたことだけを見ても、ビルボードランキングは実は最高点ではなく最低点だったのだ。
本当に誰よりも短い活動で大きな足跡を残して消えた(笑)
チョン·ホンジュン代表は、ソ·ジヨン事件(リンク)以降、様々な苦労をして ATTRAKT という小さな芸能会社を設立し、資金事情から大規模な広報ができなかったため、FIFTY FIFTYは韓国人も知らないガールズグループだったが、
過去には彼を苦しめた “噂” のおかげで、全世界的人気グループを作ったプロデューサーになることができた。
しかし自分たちが人気になると、大手芸能会社に移籍するための担当プロデューサーの欲とメンバーたちの裏切りで訴訟戦を繰り広げている状況だ。
世界的な人気による収益がさらに大きくなる前に、本人たちの既存契約を解約してこそ、他の会社に移籍する時の違約金が少なく済むので、非常に早い選択をしたのだ。
その違約金さえ払わなくても良いように、チョン·ホンジュン代表を横領の疑い、背任の疑いで警察に告発した。所属事務所の代表に問題があれば、違約金なしでも契約解除が可能だから(一一”)
ATTRAKTのチョン·ホンジュン代表の立場では、収穫の時期を目前にして突然墜落した状況で、
外注製作を任せたアン・ソンイルプロデューサーの The Givers という会社とメンバーたちは、チョン・ホンジュン代表がグループの売上をごまかしたり、収益金精算をまともにせず、体調が悪くても強制的に活動をさせるなどの契約に違反したと主張した。
一言で言えば、お金もまともに払わずにこき使う悪い社長だということだ。
これまで韓国芸能界でよく発生していた所属事務所がパワハラする不公正契約と見られる状況なので、事件序盤には「またこんなことが起きたんだな」程度の反応だった。
主に ATTRAKT のような中小企画会社でよく起こる事例なので、悪い社長が欲張ったんだな~と思った。こういうことがあるから芸能人志望者は大手芸能事務所を好むんだよね。
良い噂と悪い噂
前の記事(リンク)で、2000年代の韓国のフェミニズム運動が活発だった理由が、急速な経済成長の間に疎かにした様々な不公正、不合理を正常化させる内的成長の時期だったと説明したよね?
2009年にSMエンターテインメントの東方神起メンバーによる “奴隷契約” 訴訟の後、韓国政府が「芸能人標準契約書」という指針を勧告した後、韓国の芸能界はこれまでの不公正契約がかなり消えていた。
しかし、中小企画会社の芸能人の中には依然として不公正契約の被害を受けている場合があったので、ほとんどの国民は ATTRAKTのチョン·ホンジュン代表を批判した。
だが、ATTRAKT側の立場のニュースが一つ二つ登場し、国民世論は急反転し始めた。
その核心は、プロデューサーだったThe Giversのアン·ソンイル代表が、大型レーベルであるWarner Musicへの移籍を準備した後、メンバーたちを懐柔したということ。 反乱とクーデター(笑)
現在、The Givers所属のソロ女性歌手であるソン·スンヨンもまた、今回のFIFTY FIFTYと非常に類似した方法で既存の所属事務所からThe Giversに移ったことが知らされ、The Giversのアン·ソンイル代表の正体が明らかになり始めたのだ。
アン·ソンイル代表がソン·スンヨンのアルバムを外注して作業した後、メンバーが突然既存の所属事務所と訴訟戦、そしてThe Giversに移籍したため、ソン·スンヨンを育てた既存の所属事務所は廃業。
でも今回は彼の手口が通じなかった理由が、ATTRAKのチョン·ホンジュン代表は “優しい人” だったから。いや、韓国の芸能界従事者の間でも優しいことで有名な人だった。
突然の裏切りと攻撃にチョン·ホンジュン代表が苦しんでいる時、彼を助ける人たちが現れたのだ。
アン·ソンイル代表の過去の悪行を証言してくれる人々とチョン·ホンジュン代表の無罪を証言してくれる人々が列を作った。 反撃の始まり(笑)
悪徳社長か善人社長か?
FIFTY FIFTYのメンバーたちは給料もまともに貰えないまま劣悪な環境で生活し、強制的にダイエットをし、体調が悪くてもスケジュールのために休めないほどの人権侵害が多かったと主張したが、全て事実ではなかったのだ(一一”)
調べてみると、ATTRAKのチョン·ホンジュン代表は、FIFTY FIFTYと彼女らのデビューのために、自分が乗っていた車や会社の取締役の車も売って、母親が一生貯めたお金までもらって制作費に投資し、その金額だけで80億ウォンに達するという事実が明らかになった。中小企画会社としては莫大な投資額。
そのおかげで、FIFTY FIFTYとは収録曲4曲ともPVがあるほどで、制作費は10億ウォンを超えるほどの高クオリティだったという。
メンバーたちのふっくらとしたお腹を見て、本当に強制ダイエットしたのかっていう意見が一番ウケたよ(笑) 周りの職員たちが「メンバーたちは夜食やおやつを楽しんでいた」と証言したから(笑)
メンバーたちが気分が下がるかもと江南(カンナム)に用意した宿舎は、部屋3つにトイレ2つの家賃270万ウォンの家だったことも明らかになった。
同じ部屋でメンバー全員が一緒に寝ていたBTSやLOVELYZ、Secretなどの初期の宿舎と比べると、メンバー4人に部屋が3つ、そして場所が江南なら、デビュー前の練習生宿舎としてはほぼ最上級の環境だった。
ファーストアルバムからすぐ大ヒットした大企業HYBEのNewjeansさえ、部屋2つで5人が生活していたからだ。
また、チョン·ホンジュン代表は、自分の娘のように思っているメンバーたちの未来のために、高価な英語の家庭教師の授業を続けてきたし、多様な本を買ってあげながら読書を勧めるほど真心を尽くしたと見られる。
チョン・ホンジュン代表の美談の中で、メンバーたちは本当に贅沢だという反応が一番多かった(笑)
結局、デビューアルバムの発売時点では資金がなくなり、著作権協会に認知代金を納付できなかったが、
迷わずに、自分が10年間つけていたロレックスの時計を中古のブランドショップに売って解決するほど、自分のすべてを賭けたグループだったそう。
そのように物心両面で支援を惜しまず作ったグループが大成功を収めたが、喜びを享受する前に裏切られたのだ。
むしろ一瞬にして悪徳社長にまでなってしまったのだから、その心情は想像もできないだろうㅠㅠ
それにもかかわらず、チョン·ホンジュン代表は、「全ては大人たちの過ちだから、メンバーたちは傷つかず、また戻ってくることだけを待っている」とインタビューで答えた。もちろん彼女らは帰ってこなかった。
あれほど熱かった2023年の夏が過ぎ、2025年の現在まで彼らの訴訟は進行中で、活動は突如休止、中小芸能事務所アイドルグループの神話はあまりにもむなしく崩れた。
それでも幸いなのは、多くの人々の助けと投資のおかげで、2024年9月にFIFTY FIFTY2期が発足した!
FIFTY FIFTYとNewjeans
裏切りドル、トンスドル、そしてNewjeansとミン・ヒジン
この事件によってFIFTY FIFTYは既存のニックネーム「バンバンイ(반반이)」(バン+バン)ではなく「裏切りドル(배신돌)」(裏切り+アイドル)、「トンスドル(통수돌)」(後頭部+アイドル)と呼ばれていて、チョン·ホンジュン代表は芸能界の天使と呼ばれFIFTY FIFTY2期を準備中だ。
2002年のs#arpメンバーによる乱闘事件から、FIFTY FIFTY事件の訴訟戦はしばらく静かだったが、2024年4月に再び韓国人に言及され始めた。
Newjeansとミン・ヒジン、HYBEとミン・ヒジン。
新しいレジェンド記者会見になったというミン·ヒジン代表の記者会見(リンク)で、ミン·ヒジン代表が自分の悔しさを訴えながら言った言葉、
「FIFTY FIFTY事件が前例ではないか。 私はそんな馬鹿なことはしない。」(ミン·ヒジン)
韓国芸能界でFIFTY FIFTY事件は裏切りや反乱の象徴になってしまい、1年も経たない事件だからミン・ヒジン代表は自分の行動はFIFTY FIFTY事件とは違うと主張したのだ。
しかし、本当に偶然にも全ての状況が似てるよね?
ガールズグループのデビュー、ファーストアルバムの世界的な人気、代表(親会社)の不正や問題点の指摘、メンバーに対する劣悪な処遇主張、子会社の親会社攻撃と訴訟戦まで。
大企業と中小企業という違いだけ除けば、核心キーワードと進行過程が非常に似ている。
これがNewjeans事件の記事を連載中にレジェンド記者会見の記事を書いた理由で、韓国でこの事件を “第2のFIFTY FIFTY事件”と呼ぶ理由だ。
この全ての連結点を分かってこそ、Newjeans事件を完全に理解することができる。
バン·シヒョクとパク·ジニョンの繋がり、そしてSource Music
国民アイドルグループgodメンバーの恋愛発覚記者会見の記事(リンク)で名前が登場した HYBEのバン·シヒョク代表の成長過程とJYPパク·ジニョン代表との関係、
そしてJYPで一緒に仕事をしたSource Musicソ·ソンジン代表との縁でミン·ヒジンの記事(リンク)で説明したバン·シヒョク初のガールズグループGramの制作失敗。
共同製作したガールグループGramの失敗以後、Source Musicのソ·ソンジン代表はGFRIENDのランチングである程度自分の能力を立証したが、HYBEのバン·シヒョク代表にはガールグループが最後のパズルとして残っていたのだ。
そのパズルを準備するために現在HYBEマルチレーベルの一つであるSource Musicを買収し、SMエンターのミン·ヒジンも迎え入れながら多角的に準備をしたのだ。
HYBEのバン·シヒョク代表、JYPパク·ジニョン代表、Source Musicのソ·ソンジン代表は一緒に働いた同僚であり友人のような存在だった。だから芸能界は人脈で成り立つ世界だという言葉があるのだ。
この部分がNewjeans事件の核心ポイントであり、基本出発点となる地点であり、現在訴訟戦で同じ結果を巡り他の原因分析が出てくる理由だ。
HYBEの資本でADORを作って、Source Musicで準備していたメンバーたちを連れてNewjeansを作ったが、このスタート地点に対するバン·シヒョク代表とミン·ヒジン代表の考えが違うのだ。
HYBEとSource Musicの役割は誰が見ても大きかったが、ミン·ヒジン代表の立場ではデビュー過程で見えたHYBEに対する失望によって、自分の役割がより大きいという主張が衝突している。むしろHYBEが邪魔したと言うほどだから。
“Newjeansの成功は、HYBEの功績なのか、ミン·ヒジン代表の功績なのか”
裁判の判決とは関係なく、韓国でも未だに論争中のテーマだ(笑)
記事の分量の関係上、これまで先送りしてきた最後の伝説の記者会見を次の記事で紹介し、その後からはすでに裁判結果が出た部分もあるHYBEとミン·ヒジン代表の本格な訴訟戦の話で戻ってくるよ。新しいメンバーでカムバックした FIFTY FIFTY2期の新曲で終わり~!